昔のウルケルについてちょっと考えてみた
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Pilseno,_bierfarejo,_historia_vagono,_1.jpeg より画像を使用
こんにちは。
これを見ている貴方は、きっとこのピルスナーウルケルというビール🍺が好きか、あるいは関心があるのだと思います。
ピルスナーウルケルは今では世界に展開していますが、元々はチェコの地方都市プルゼニュ Plzeňの市営の地ビール。
ドイツ語名ピルゼン Pilsen としてより有名であり、ビールのスタイル「ピルスナー Pilsner」はここから来ていて、ウルケルはその原点です。
プルゼニュでもピルゼンでもお好きな方で呼んでください。両方正解なのです。ただ私はウルケル好きが高じてチェコ語を習い始めてもうすぐ2年になるという身ですので、前者で通します。
(でもドイツ語も出来ます)
1842年に創業してから現在まで工場の場所は変わっていません。
中の人は2017年6月に工場を見学し、そこで味わったパーフェクトなウルケルに惚れ込み、今も夢中です。
先月にもオンラインツアーに参加して工場を再び見学し、その際に1分前後軽く触れられていたサムネイルの貨車に注目し、そこからライフワークと繋ぎ合わせて思考を膨らませました。それを解説を交え書き起こしたものが今回の記事ですので、どうぞお付き合いくださいませ。
オンラインツアーは「旅の学校」さんのものです。
日本語の堪能なチェコ人の方が、工場のガイドさんのチェコ語をその場で訳してくれるのを中継するスタイルでした。
さて、その貨車ですね。
こちらはその本社工場の敷地内にあるものでして、かつて実際にビールの運搬に使われていた貨車と線路です。
オンラインツアーによれば、これは壁が二重になっていて、冬にはビールが冷え過ぎないよう間にレンガを入れ、夏には逆にぬるくならないように氷を入れていたとのこと。
左にはチェコ語、右にはドイツ語で
「プルゼニュ/ピルゼンの市民醸造所のオリジナル」
と書いてあります。
ブランド名「Urquell」自体がドイツ語で「オリジナル、元祖、起源、源泉」のような意味です。
このビールは傑作過ぎてコピー品が溢れかえったので、オリジナルを主張する必要があったんですね。
真似され過ぎて世界のビールの7割以上がピルスナーになってしまいました。
貨車は鉄道を走るものです。
ウルケル本社工場は、プルゼニュ中央駅のすぐ隣に位置します。
Google Earth リンク
https://earth.app.goo.gl/GoUBpc #googleearth
プルゼニュ中央駅の駅舎(本駅とも)
https://czechrepublic.jp/touristic/plzen-station/
今は線路は繋がっていませんが、昔は繋がっていたと考えるのが自然でしょう。
さて、この線路はかつてはどこに繋がっていたのかというと、プラハとウィーンです。
一つ前提知識を。
1842年の創業当時、まだ「チェコ」という国家は存在していません。ウィーンを首都とするオーストリア帝国(皇帝はハプスブルク家)に支配されていました。(1918年まで)
ここから鉄道の話になります。
プルゼニュはボヘミア地方にあり、ボヘミア地方の中心の大都市であり距離も約80kmのプラハとはすぐに鉄道が引かれました。今のチェコでは首都になっています。
「鉄道」と言うと大多数の人が思い浮かべるのは電車でしょうが、当時はまだ蒸気機関車すらまだ支配的ではなく、その前の「馬車鉄道」からの過渡期でした。
馬車鉄道は文字通り、馬車に線路を走らせるというもので、ただの路面を走らせるよりも速くて乗り心地も良く、蒸気機関車🚂が出てくる前は長距離でも、路面電車🚋が出てくる前は都市部でも活躍していました。
↓プラハ市営交通140周年記念の再現イベント
↓オーストリア帝国の現チェコの区間の馬車鉄道
こういったものでピルスナーウルケルはプラハに運ばれていました。それについてはピルスナーウルケルJapanの公式動画があるので、一旦リンクを踏んでご覧ください。78秒の動画です。
このウ・ザルツマヌーは今でもパブ兼ホテルであり、次回プルゼニュに行ったら絶対泊まりたいです。
一瞬(鉄道だけに)脱線をお許しください。
この動画内の「ピンカスナイトメアレース」には、東京のピルスナーウルケルのタップスターの野々村さんが、10月に招待されていたのですが、コロナ禍で果たせずにいる状態です。
中の人も夏には彼のお店で、ウルケルタイムズをやっている友人からインタビューを受けました。こちらもよろしければご覧ください。
179年続くウルケルは、創業から今現在まで脈々と生き続けていることを感じて頂ければ嬉しいです。
閑話休題。話を元の鉄道に戻します。
プラハと鉄道で結ばれていたことをお話しましたが、実はウィーンとも結ばれていたのです。
プルゼニュは工業的にオーストリアにとって極めて重要な都市でした。
(もちろん現在進行形でチェコにとっても)
兵器の会社シュコダ Škoda の本拠地でもあったからです。オーストリア帝国の火砲の大多数はシュコダ製でした。
なお現在は電車や自動車の会社として有名になっています。
このため、プルゼニュはウィーンと直通の路線で繋げられました。
中間ではチェスケー・ブジェヨヴィツェ České Budějovice を通ります。ここもビールの名門。
これが「カイザー・フランツ・ヨーゼフ鉄道帝室特認会社」 k.k. privilegierte Kaiser-Franz-Josephs-Bahn (KFJB) です。
※後にプラハにも繋がりました
名前は当時のカイザー(皇帝)フランツ・ヨーゼフ1世から。
在位が1848-1916の68年ととても長いので、肖像画・写真は老人になってからのものが多いですが、この頃はまだ若いです。
そのオンラインツアーで聞いた話ですが、この皇帝、工場に招かれて公務で訪れて、彼専用に特注されたグラスで「うまい!うまい!」とばかりに大変お気に召したようでたくさん飲みました。
訪問記念にサインを書くことになったのですが、最初はドイツ語でFranz Joseph と署名しようとしたものの、(あっやべ、ここならチェコ語だよな)と思ったのか、František Josef と途中から書き替えようとしたようなのです。このためどっちとしても間違えているサインを残してしまい、グラスもサインも今でも工場のビジターセンターの一角にあるとのことです。
人間味が溢れてて可愛いですが、多民族帝国の大変さも伺えますね。
さて、次第にこのプルゼニュ→ウィーンの輸送も蒸気機関車に移っていきます。
結ばれていた先はウィーン北駅。通称フランツ・ヨーゼフ駅です。
↓2018年に旅行しました
↓帝国時代の姿
以前は東西南北の各方向にターミナル駅があり、向かう方向の駅に行くものだったのですが、ウィーンはより上位の「中央駅」を完成させて長距離路線をそこにまとめたため、今では北駅にはローカル線しか走っていません。
https://m.wien.gv.at/stadtplan/#base=karte&zoom=13&lat=48.2278&lon=16.3627
駅のすぐ近くに川のようなものがあります。
これはドナウ運河(Donaukanal)というもので、ウィーンに沿って流れるドナウ川に、市内のより内部からアクセスできます。
1905年のドナウ運河
当時のハプスブルク家による帝国には「ドナウ帝国」という異名があるほどドナウ川は重要でした。
(wikipediaの画像を筆者が加工しました)
青線がドナウ川、赤丸がプルゼニュです。
国土を真っ二つにしている上に、オーストリア側首都のウィーンも、ハンガリー側首都のブダペストも、ドナウ川沿いです。
ドナウ川の水運に乗れば、1910年時点で5000万を超える人口を持つこの帝国全体に行き渡ります。まさしく大動脈なのです。
しかし、ウィーン市のアーカイブで当時の地図のこの近辺を見ても、ドイツ語のキーワードで検索しても、鉄道から運河に積荷を載せ替えるための船着き場だと明確に断定できるものは見つけられませんでした。
よって現状では私の妄想どまりになるのが残念ですが、このあたりで鉄道で届いたウルケルが積み替えられて、ウィーンはじめ帝国各地に運ばれて消費されていったのではないでしょうか?
この時代もこのビールも大好きな人間として胸が高鳴ることです。
ここからは現在に話を繋げて締めといたします。
工場では無濾過のウルケルを飲むことができます。
(筆者撮影)
この一杯の力たるや、凄まじいものです。
あんなに美味しい飲み物を知ってしまったら、もう…。
工場から駅は先述のように極めて近いです。迷うことも無いと思います。
入り口にはウルケルのシンボルである、創業50周年記念に作られた「ジュビリー・ゲート」があります。
このデザインは各所にあしらわれています。
(筆者撮影)
現在ではプルゼニュからウィーンは直通しておらず、まずプラハに行き乗り換えるか、あるいはチェスケー・ブジェヨヴィツェに向かってさらにリンツで乗り換えることになります。まあプラハの方が良いでしょう。
プラハとプルゼニュは乗り換えなしで所要はおよそ70-80分。
チェコ国鉄はチェスケー・ドラーヒ České dráhy (略してČD)といいますが、こんな電車に乗ることになると思います。
(2枚目は筆者撮影)
向こうでは食堂車や車内販売が盛んであるため、車内でもビールなど飲み物にありつけます。
こちら実際の今季のチェコ国鉄食堂車のメニュー表でして、ウルケル樽生やチェコ料理があるのが分かります。
価格ですが、チェココルナは×5すればだいたい日本円になります。
プラハからウィーンはどんな感じ?と言いますと、電車で4時間、飛行機で1時間。
国鉄ならRailjetという赤か青の特急があります。
安い私鉄のRegiojetというのもあって、同じホームから発着します。
赤Railjet(筆者撮影) ※好きなので模型持ってます
青Railjet(筆者撮影)
私鉄のRagiojet (誰だこの人)
Regiojetは陸のLCCとでも言うべき存在で、鉄道だけでなくバスもやっていて、格安でサービスも評判です。私はまだ使ったことが無くてこれ以上言えないので、興味のある方は旅行会社のサイトをどうぞ。日本語です。
ウィーンはANAの羽田空港との直行便があり、行きやすいです。
※2021年12月現在は運休中
特に良いのは羽田を深夜に出て、ウィーンに翌朝に着けること。これにより金曜の夕方まで仕事をしてから、23時台に空港に来ても間に合うこと。
帰りのウィーン発も昼の12時台なので、朝は優雅に市内のカフェでモーニングを食べられます。
日本にも支店があるラントマン Landtmann の本店はこんな感じです。
https://www.landtmann.at/en/the-landtmann/news/news-detail/741/neu:-fruehstueck-sa-so-ft-bis-14-uhr.html
東京でも、日本橋の「ブルヴァール・トーキョー」や、四谷三丁目の「だあしゑんか」などでチェコ料理&ウルケルの極上の組み合わせを堪能することができます。
皆さんが美味しい一杯を楽しめること、そしてその力で幸せな人生を送れることを願ってやみません。
一緒に楽しみましょう!
Na zdraví!🍻(乾杯)
※画像に引用元または筆者撮影が添えられていないものは、WikimediaとWikimedia commons から使用したものです。
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