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グレイトマザーに白旗を
節分ですね。明日は立春。
そうか、旧暦で大晦日なのね。
夢のメモ貼になっているThreadsに朝から夢の内容を記録した。それを読み返しながら、過去の捉え直し作業が起きていて、ハッとさせられたことがあるので、書いておこう。
今朝記憶していた夢は3つ。
1つ目は、二人目の母親だという人と一緒にいる。その女性に既視感があって考えてみたら、昔の歌手だったかな、雪村いづみさんに似ている女性だった。色々身の回りのことをやってくれていて、その人の手書き文字があまりにも実母の文字に似ているのを見つけて、似てる!と言いながら泣いてる夢だった。
2つ目は、過去親しくしていた年上の女性が登場した。振り返ると、自分はその人に母を投影していたなあ、と思える人。
で、3つ目は昔、まだ10代の頃、初めてまともに『付き合った』人が登場。その人と再び仲良くしていて、関係がうまくいっている感じの最中、ふと相手に、『結婚してるんじゃなかったっけ?』と聞いて相手も認めたので、切なさを感じつつ付き合いはやめることに。
この3つの夢、なかなかリンクしている。
母という存在がすべて根底にある。
3つ目の夢を取り上げると、実際にも三角関係だったこの付き合い。それが結婚するまで、相手を変えても起きる自分の関係性パターンだったんだけど、それらを振り返りながら見えてくる元型。わたしの一番敵わなかった相手はまさに『母』なんだよなあ。なんて、今更ながら確認している。もちろん、母に敵わないなんて意識したことは当時なかったけれど。
家のことも仕事も完璧にこなして、身なりもいつも綺麗にしていて、家の外では学校の役員にいつも抜擢されて、かといってうるさいPTAおばさんのイメージとはかけ離れていて、先生や周りの人ともうまくやりつつ全て完ぺきにこなす。それでいて、わたしのつく小さな嘘もすべて見透かしていた母親。優しく時に厳しく。
母にこんなイメージをいつも抱いていたのは事実だし、それ自体が母という人の人間像だと思っていた。まさにグレイトマザーですわ。今わたしの目に映る母はかなり違っていて、その違いにまだ少し戸惑いの残り滓がある感じなのだ。
その愛情があまりにも大きくて、子どもながらにどうしていいかわからない、なんてこともあった。わかりやすく『甘える』ことが、母の見せてくれる完璧さ故に難しかったし、
『一人でできます。わたしできる子です。』
と、少しでも、自分も母に近いんだ、とアピールする方に傾いた。そうやって出来上がったのが、大人の世界を生きる今の『わたし』の大きを占めているのだ。
出来上がった自分の多くは、演じて出来上がった自分だ。演じたことで、やれるようになったことも増えたけど、基本、甘えっ子の部分が確実にあるし、しょうもないポカミスなんかもしょっちゅうする。母のような几帳面さもないし、そこまで綺麗好きでもない。周りと率先して関わる質も、わたしにはそこまでない、と思っている。
そろそろもう正々堂々と、白旗を挙げよう。
わたしが勝手に見ていた母親像に。負けていいし、そもそも勝ち負けじゃなかったんだということを当時の自分に伝えよう。
母に見る完璧さに対して不十分な自分を抱えながら生きていくことが、実に自然で時に美しいことも伝えよう。
そして、今の目の前の本来の自分をわかりやすく表現し始めた人こそが、本来の母という人なんだと今一度認識しよう。そして、その人のことが大好きなんだ、ということも含め。
こんなことを思う、2023旧暦大晦日。