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雨の月曜日の朝日記

You can't really run away from home.  Because you bring it with you everywhere you go.  There can definately be value in escaping to another geography - to protect yourself, to breathe, to get perspective - but you will still have to go back down the path and reclaim your childhood.  Becayse it is still alive in you, still dictating your relational patterns, still controling choices.  It must be owned.  It must be confronted.  It must be healed.  And until it is, it's still the place you live. 

家から真に逃避することはできない。なぜなら、あなたがどこへ行くにもそれを携えているから。別の土地へと逃れることに、絶対的な価値があるーあなた自身を守るため、息をするため、別の視点を得るためにーしかし、かつて来た道を遡り幼かったあの頃を取り戻す必要はある。なぜなら、その頃があなたの中に生きていて、未だあなたにとっての関係性の型を方向づけていて、未だあなたの選択をコントロールしているからだ。自らの手で握られなくてはならない。直視されなければならない。癒やされなければならない。そうなるまで、そこは未だあなたの生きている場所なのだ。

Hearticulation by Jeff Brown
翻訳:持田直子

月曜日朝から寝坊。昨夜遅くまで起きていたから折り込み済みなのだけど。朝から予定がなくて助かる。

そんな今朝最初に目に入った文章がこれ。Jeff Brown再び。
本のタイトルも好きなんだな。Hearticulation という造語。『正確な発音・表現』の意味を持つarticulationをHeartを使って文字っている。造語なのに刺さるものがあって気に入ってる。

それにしてもハッキリ書くよね。家 home というのは原家族で経験したことやその雰囲気までも含まれるんだろう。意識も含めたこの身体の一部となってしまっているものだから、地理的にどこに行っても着いてきてしまう。だから真に逃避することはできないできない、と。

今朝これを読む前にふと、国内外で出会ったファミコン/家族の座のトレーナーたちが圧倒的に還暦前後プラスそれ以上の人たちであることに、妙に安心を覚えた瞬間があった。自分の人生経験を圧倒的に必要とするということだ。知識と技術が30%くらいで残りは人生経験が補うんだなあ。学びだした頃、わたしには圧倒的に苦手だった『待つ』という技術も、自分が『動けない』ことを体験しないと、真に待てない。待つフリはできても。自分が『自分の痛み』をしっかりと扱うことで感じることのできるself compassion なんかもそうだ。焦ってたなあ、技術が会得したくて。焦って得られることは『知識』だけだったなあ、と振り返る。

うん、やはりわたしはわたしのペースでやるしかないな、と改めて思う。

ここ何年かで、自分の中の『躁鬱』を感じ取るようになった。鬱の時に寝込むほど極端ではないものの、確実にあるリズムとして。恐らく大なり小なり誰にもあるんだろうけど、わたしにとっては『誰にもあること』が重要なのではなく、『自分の中にそんなリズムがあること』を知ったことが、自分の視点を大きく広げているなあと思う。

何年も前に最初にそのヒントをくれたのは、坂口恭平さんだ。彼のXを読んでいると、あたかも彼の躁鬱リズム実況中継のように感じられる。ハイパーな躁の時期を過ごすと、セットでその後にやってくる鬱の期間。X上ではフォロワーがザワつくほどの沈黙期間となっていた。でも、そのリズムの極端さが、ここ最近の投稿ではマイルドになっていることが傍からも感じられるし、本人も言及している。すごくすごく興味深い。『自分しか見ていない』と言い放ち、オピニオン・リーダーのごとく他の誰かに彼のべき論を訴えることもない。自分の傷を自らの手で治癒する実験を長年公に共有してくれている、そんな感じすらする。

自分のリズムは自分にしか把握できないんだよな。他の誰かと常にいるとそのリズムは自分では分かりづらくなる代わりに、しんどさを相手に無自覚ににぶつける形で体現してしまう。〜しまう、と書いたけどそれが悪いわけではなく、関係性ってそういう機能を持っているんだよね。

親子間ー育てる側・育てられる側にしても、パートナーとの関係性にしても、

良い形・正しい形

を模索する必要性すら無いんだろうけど、せめて今をよくしようとしたとき、自分を見ることしか解決策はないってことだよな。結局そこに立ち戻るんだ。何であれ、自分から発せられるものを見ておくことのみが、自分から流れるエネルギーを変える。技術ではなくて、自分に対する正直さ・めんどくさがらないという意味でのマメさ、あたりがプラスになるんだろう。

ああ、ここまで書いてきて、何かこれまで前提として持っていた輪郭が緩やかに崩れていくのを感じるなあ。寝坊はしたけど、なかなか有意義なMonday morning じゃないか。

J.Brownと坂口恭平に感謝だな。わたしの愛読書作家たち。彼らのチャートもいつか見てみよう。

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