28年前の自分に再びつながってみる Vol.1
12月に開催するワークショップ「旅じたく」を共に企画・進めているゆきちゃん&Tathinaの言葉につづく形で、わたしも自分のことを書きたいと思います。以下は、その二人のそれぞれの記事です。一緒に読んでみてください。
ゆきちゃんとTathinaのnote
ゆきちゃんに倣って28年を振り返ってみようと考えはじめると、「そうだ、当時のトランジットを見てみよう」と思いついたので、今と同じ土星スクエア期(※)を前回体験していた時期(1995年頃)に合わせて自分の出生図を作成してみました。
28年前の土星はどこに位置していたのか?
ちょっとだけ細かい星の話をすると、今回WS旅じたく企画のヒントにしている土星という星は、出生図上を1周するのに28~30年と言われています。今日は、その周期である28年前に、敢えて合わせて出生図を作っているので、土星の位置は今と同じ『うお座』に位置していることになります。
これを更に『わたし』という個人レベルに落とし込むと、わたしにとっては『4ハウス』という場所に土星が位置していることになります。この『ハウス』というのは、出生時間・出生地が影響するので、同じ世代に生まれた人同士で例えば同じうお座というサインに土星を持っていたとしても、必ずしも同じハウスだとは限りません。出生図を作れる人は、ご自身のどのハウスに進行中の土星がきているか、見てみると興味深いと思います。ちなみに、旅じたくの参加者の皆さんが最初に受け取る「旅じたく準備キット」には、そんな情報も含まれています(宣伝!!!)。
さて、その4ハウスとは一体どんな場所なのかというと、こんな風にまとめられます。
つまり、『わたし』が28~30年おきに迎える土星のスクエア期は毎回この4ハウスで起きるため、上に書いたようなテーマを通して体験することになるるとも言えたりします。そして、事実そうだったりします。
28年前のチャートを見ると、進行している天体の多くが出生図の左半分、特にその中心に位置する12ハウス~1ハウスあたりに集中しているのがわかります。年齢にすると21-22歳頃の話で、当時のわたしは、日本を離れてオーストラリアに住んでいました。渡航した後、約10か月語学学校で学んだあと、試験を受けて現地の大学に進学するのですが・・・。
振り返って言葉にすることすらなかった28年前の自分
短くまとめると、挫折の連続を味わっていました。自分の英語のレベルが低すぎて、授業についていけないわ、試験は受けても落ちまくるわ、恋愛はうまくいかないわ。違う国から留学していた友人たちを頼りながら、必死に課題をこなす日々でした。助けを受け取る側でしかなく、自分からは何も差し出せない、そんな経験の連続でした。当時も今も、自分の感情を丁寧に扱うことが苦手なわたしは、その「挫折感」すらも、意識の奥深くに閉じ込めたのが、今ならよくわかります。
反対しながらも希望をゴリ押しした娘を送り出してくれた親には、申し訳なくてそんな「挫折」の話はできませんでした。残念ながら何かにつけてお見通しな親たちは、わたしに起きていたことをうっすらわかっていたのかもしれませんが、わたしから直接伝えたことは、今日までありません。帰国する頃には、「もう2度と勉強したくない」と思うくらいに打ちのめされて、何かを完結した感覚などまったくないまま、社会人として働く世界へと場所を変えました。
当時のわたしは、努力が足りなかっただけでなく、しょうもないプライドが邪魔をして、自分の力のなさも弱さも認められなかった、今振り返ると、鼻っ柱だけの強かった頃。痛々しい思い出が何よりも先に出てくる、28年前です。
実は、つい最近、まだこの「旅じたく」という名前が決まる直前に、その頃を思い出すきっかけをくれた出来事がありました。それだけで1本記事が書けてしまうような出来事なのでここでは触れませんが、当時の「挫折感」を生々しく思い出す瞬間がありました。どうやらわたしの「旅じたく」は、着々とはじまっているようです。
自信のなさを直視したくなかった頃からの「今」
この28年前の挫折の体験、当時のチャートを見ると、4ハウスにある自分を主張するエネルギーの象徴・火星に、進行中の土星がしっかり重なっています。当時、日本を離れて英語圏で生活することが夢で、その夢を実現したのはいいけれど、「そんなに簡単ではありませんよ。」と巡ってきた土星に正面から告げられたような、今だからこそなのか、そんな風にも読み取れたりします。
この挫折体験があったからか、帰国して仕事を探しだした頃、「英語力がないとできない仕事」を避けたい自分がいました。英語力に自信がないことを直視できないことが、そんな風に表れていたのかなと思います。ありとあらゆる会社の募集に応募しましたが、結局採用された職種は、英語が不可欠の職種ばかり。もう学生ではないので「できない」で逃げるわけにはいかず、仕事をしながら「現場」で使われる類の英語を必死に一から学びなおす、というところに辿り着きます。その「必死感」をひた隠しにしながら。
28年たった今、気づいたら英語でしか会話の成り立たない夫と生活を共にし、仕事の大半もそもそも英語がないと成り立たないことになっているわけで、今日こんな風に初めて振り返ってみて、なんだかんだでこの28年、ずっと当時の「簡単じゃないですよ」と告げられたような気がする土星の宿題をコツコツやり続けてきているのかな、なんて思います。
先に書いた4ハウスにつながる部分は、「オーストラリア」という土地と実は繋がっていたりするのですが、それはまた後日に。
こんな風に28年を振り返る機会を持てて、よかったと思いながらこの記事を締めくくろうとしています。28年経ったからこそ、振り返りながら再び当時の痛々しい、苦々しい感覚と改めて繋がれたことに、価値を感じています。
わたしの超個人的な振り返りにつきあってくださって、ここまで読んでくださったあなたに感謝の気持ちを送ります。
来月、江の島の海を見下ろしながら一緒に「旅じたく」しませんか?
ご参加お待ちしています!