201912新月日食の朝
2019クリスマスが過ぎ、ここから一気に正月感が増してくるのだろうか?今年は本当に暖かいなあ。
今日は山羊座の新月で日蝕だとか。仕事もほぼ年内終了モードで、今日はこれから健康診断と県警に行ってくる予定。年明けに申請したいビザの準備に必要な書類を取得するため。そんなこんなで少し早めに起きたのだけれど、facebookでファミコン(家族の座)関連のこんな書き込みにでくわす。記事を書いた方は、恐らくニュージーランドでファミコンのワークをされている方だと思う(後でシェアの承諾を得ようと思うのでここは書き直すかも)。
(以下全文転載)
Mother’s Sons and Father’s Daughters One of the dangers in relationships is that over time the original élan is lost, and resentments related to unbalanced giving and receiving are created. Wounded partners turn away. Fathers turn to their daughters and mothers to their sons and put them first. A man who remains in his mother’s sphere of influence remains a “mother’s son.” He can seduce women, but he cannot be with a woman in a relationship of equals. A woman who remains a “father’s daughter” similarly can seduce men, but cannot give herself to a man in a relationship of equals. Mother’s sons and father’s daughters do not become strong parents. What can parents do to release their children? Imagine saying to your son or daughter, “When I look at you, I also see your [mother/father]. I see your beauty and I also see [her or his] beauty in you.” In this way the parental relationship is respected, and children are returned to the sphere of influence that gives them the most strength.
雑な訳をつけてみた(後で修正するかも→15:35修正)。
「母の息子」や「父の娘」が関係性において抱える危険性の一部は、長い時間をかけて、本来(親子という関係がもたらすはず)の活力が失われ、与えることと受け取ることの間の不均衡によって、憤りの感情が生み出されてしまうことである。傷を抱えたパートナーは背を向ける。父は自分の娘に、母は自分の息子に、大切な人としての最初の場所をそれぞれ与えるのだ。母親の領域がもたらす影響下に置かれる男性は、「母の息子」として留まり続ける。その男性は、女性を誘惑し得るが、女性との同等な関係性の中に居続けることはできない。「父の娘」として留まる女性も類似して、男性を誘惑することは可能だが、男性との同等な関係性に自分の身を置くことはできない。親たちは、自分の子供たちを解放するために、何ができるだろうか?自分の息子や娘にこんな風に伝えることを想像してみてほしい。「あなたを見ると、あなたの[父/母]も見えてくる。あなた自身の美しさとあなたの[父/母]の美しさもまた見えくる。」このような形で親子の関係が尊重されたとき、子供たちは、(子供として)彼らに最も力を与える領域へと自身の場所を取り戻していくのだ。
朝からこの記事にハッとしてしまい、なんとなく訳を付けてシェアしないと気が済まなくて、健康診断に出かける朝なのにもかかわらず、訳を慌てて書いている今。なぜ今そうしたいのかはよくわからないが、一方で自分の中で理解が落ちまくっているのは、わたしは「父の娘」だったなあということ。ザビエと2009年に初めてであった時、彼はすでにこのことをわたしに伝えてくれていたけれど、本当に身に染みて理解するのに10年という歳月を要した。
先日ちょっとしたことで相方と久々にSkypeビデオ越しに文句の言い合いになった。彼からの八つ当たり的な要素と、わたしの配慮の無さが掛け合わさって起きたことは、明白だった。詳しいことは恥ずかしいので書き控えるけれど、わたしの「配慮の無さ」がいかにこの「父の娘」的背景からやってきているということに、言い合いを終えてまだ険悪な雰囲気の中、彼の方から、"Talk to you tomorrow."と静かに言われたことで、自分に対する痛々しさと共に気づいてしまった。
人ひとりがここに生きているということの深淵さに、ただただ頭が下がる。ファミコンで知った家族という人間集団の中に存在する序列と、ザビエが伝えてくれている占星学は、わたしが生まれ落ちた源の両親という存在とそのまた両親や彼らを取り巻く人々との間に紡がれてきた愛のドラマが自分にどう影響を与え、自分がそこから何を受け取ってきているのかを理解するのにとてつもなく役立っている。ザビエが言うところの「土星」と、わたしたちが家族という集団の中で生きてくる過程で受け取り続けたある種の「傷」というものがシンボルとして近しい、とわたしは思っているのだけれど、その「土星」も「傷」も「悪/ネガティブ」であるはずかない。
あーもう家を出ないといけないので一先ずここで。続きは夜書けたら引き続き書く予定~。
最後に、すでにたくさんのザビエ無料クラスにお申込ありがとうございます!年明け3日までお申込受付します!詳しくは、こちらから!
素敵な新月の1日になりますように。