セッションの記録001:出生図と遺伝子ー家系のつながり
再始動初のセッションでした
昨日、久しぶりに1 to 1のセッションの時間を持たせていただきました。これまでは、極稀にご要望いただくと、するにはしていましたが、自分から名乗りを上げて希望者を募る形は本当に久しぶりでした。そして、昨日セッションの機会を作ってくれたクライアントさんこそが、わたしのセッション活動再始動の「最後のスイッチ」を押してくれた方でもありました。感謝しています。
昨日は、クライアントさんと相談しながら、結果的に、ご本人の出生図はもちろんのこと、原家族(両親・兄弟姉妹)に祖父母の出生図が目の前に並ぶ、そんな流れになりました。そのような光景を目にしながら感じたことを、自分にとっての「セッション録」として残しておきたいと思います。ここに書いた内容は、事前にクライアントさんに掲載を承諾していただいています。
家族全員の出生図が伝えている「繋がり」
昨日のセッションのケースのように、一家の出生図が目の前に並ぶと、この家族が家族であることを遺伝子レベルで証明するかのように、注目しきれないほどの出生図同士の接点が見え始めます。というか、少なくともわたしにはそのように出生図が見え始めるのです。その接点は、もちろん家族によって全く異なるわけですが、その繋がりの数々に思わず『お、お見事です、、、』とひとり呟いてしまうほどです。そして、
ああ、いつもファミリーコンステレーションの場で見続けたものは、この繋がりだったんだな。
と思うに至るわけです。ザビエのセッションに同席することで数えきれないほど目撃し続けたことと、同じく数えきれないほど見続けた家族のコンステレーションでの様子が、こんな風に自分の中で繋がった、という超個人的なオチでもあるのですが・・・。
昨日のような、一族の出生図総出のような機会には、ご先祖の皆みなさんもエネルギーでその場にいてくれるのではないだろうか、そんな気がしてしまいます。なぜなら、ファミリーコンステレーションで今は亡きご先祖の代理人を立てるとき、必ずそのご先祖のエネルギーの存在(プレゼンス)を感じるからなのです。つまり、出生図もその代理人と全く同じ機能を果たしているのではないか、と思うのですよ。まあでもそれは、わたしの100%主観・完全な当社比事案に過ぎませんが。
先祖供養と先祖の想い
ところで、日本には『先祖供養』という風習が当たり前のようにありますよね。お墓をさて今後どうするか、という昨今の社会問題も、この『先祖供養』という風習がベースにあるからこそ。
わたしはたまたま、熱心に先祖供養をする祖母がいる家で育ちました。少なくとも月に1-2回はお墓参りに家族の誰かしらがいくのが当たり前でした。高校を卒業して運転免許を取りたての運転練習は、当時家から片道30分くらいの所にあった持田家先祖の墓への祖母の送迎でした。祖母も、ちょうどいいと思ったらしく、当時毎週お墓参りに駆り出されていた記憶があります。祖母にとっては、孫の危なっかしい運転よりも、お墓参り優先だったのか(笑)。さすが100歳まで生きた人です。そんな祖母が熱心に供養していたのは、戦争で亡くした夫(わたしの祖父)と幼くして亡くした長男(父の長兄)の二人でした。そのような祖母の人生背景が、彼女を突き動かしていたのは、子どもの頃からなんとなく感じ取っていました。
そんな先祖供養文化が染み付いた家庭で育った自分が、大人になってファミリーコンステレーションに出会い、発見したことがあります。それは、
そのように感じられたことでした。この考えも、またもや100%主観ではありますが、ファミリーコンステレーションに携わる方々の多くは頷いてくださるのではないか、と思っています。というのも、コンステレーションの場で先祖にあたる人が置かれた時、静かにそれでいてどっしりとした佇まいが感じられます。例外があるとしたら、先祖の代で一族から除外された人がいた場合。言葉足らずでわかりづらいかもしれませんが、話がそれるのでここでは細かい説明は省きます。いつかの機会にまた。
今日を生きる自分に、脈々と繫がる命・遺伝子をつないできたご先祖のみなみなさんのエネルギーが、末代のこの自分に対して、やれ成功しろだとか、我が一族の名を世に知らしめよ、ではないですが要は、自分のなし得なかった〇〇を必ず達成してほしい、といったような要望に、ファミリーコンステレーションをやっていて遭遇したことがまずないのです。むしろ感じることがあったとしたら、
といった応援するようなエネルギーだけでした。わたし自身も何度もご先祖の代理人としてコンステレーションの場に立ったことがあります。先祖の立ち位置から、末代の生命を受け継いだ人たちがただただ光輝いて見えた、そんな体験を思い出します。
先祖が末代に望むことがあろうがなかろうが、もしくは何を望もうが、自分の命が、脈々とつながる家系の一部として存在していることが、今を生きるわたしたちの脳裏の片隅に追いやられ過ぎているのではないか、と、時々思うのです。
『自分を生きる』ことが許された時代に
『本当の自分を生きる』
『自分の創造性を表現して生きる』
『自分の本質を生きる』
など、『自分』にフォーカスした言葉がいつしか世界には溢れかえっています。
『自分を生きる』
『自分らしさ』
『個としての自分』
という捉え方や考え方が当たり前になった時代に生きながら、その『自分』が何なのかということにも同時に葛藤を感じざるを得ない現代人そして複雑な現代社会。
ではその『個』として肉体を持った自分はどこからやってきたのか?
ということに、もう少し意識を向けてもよいのではないか、と思い考え始めている自分がいます。
自分を知る、という時に、自分の性格や傾向を色んな方法でわたしたちは知ることができます。占星術ももれなくそのような手段の一つになるわけですが、そのようにして自分を知ることに加え、自分より上の世代から継承したものが必ずあるということは、いとも簡単に忘れ去られがちなのではないか、と思うのです。
つまり、「自分のルーツ」という観点から「自分を知ること」を掘り下げてみてもよいのではないか、と思うわけです。
両親も含め、そのさらに上の世代が作り出したその家系の文化・雰囲気というものに、今を生きる自分が実はどれだけ影響を受けているか、ということに、現代を生きる人間はもう少し意識を向けてもいいのではないだろうか、自分のことも含め、そんな風に感じます。
その話題また次の機会にするとして、昨日のセッションは、そのような『繋がりを今一度意識することの大切さ』を自分にリマインドする機会になりました。
クライアントさんとその家系のエネルギーに、そしてわたしのご先祖エネルギーに、今一度敬意と感謝を送ります。
個人セッション詳細はこちらでご案内しています。
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