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ある日の日記:父のマザーコンプレックスと親夫婦のヒストリー


夢の世界は潜在意識にとっての現実

先週金・土で行ったザビエによるグレイトマザーのWSが一区切りした翌朝。実家のグレイトファザー(父)からの電話で起こされた。父はどうやら娘(わたし)が行方不明の夢を見たらしい。山羊座の父らしく、体調を崩しているのではないかと気になっての電話だった。そんな父の第一声は、

オマエは生きているのか?

だった。父と言えば、30代の半ば過ぎにザビエと出会ったことで始まった、わたしのファザーコンプレックス探求。ここに来て、そのプロセスがマザーコンプレックスというテーマに移行しつつあるのを意識していた今日この頃。最近自分の見る夢にもそんなことを彷彿とする内容がチラついている。そんな時に父が見た夢は、『娘がいなくなる』という夢。ちなみにわたしは、天秤座の月を父と共有していて、その月は冥王星と合。

なんだか面白いなあと思ったのだ、この出来事。もし無意識にゾーンがあるのだとしたら、わたしの無意識の中で、注目する領域が、ここのところ父のゾーンから母のゾーンに移っている。ザビエが、前々回の「潜在意識の力学」の時間の中で、

夢の世界は無意識にとっての現実だ。

と言っていたけれど、まさにそうと思えるような出来事。父の無意識下で娘であるわたしがいない、というのはあながち「夢」ではない。

父のマザーコンプレックス

わたしの父は、母である祖母が亡くなるまで、わたしの目にはツンデレ系のマザーコンプレックス息子に映っていた。祖母へ見せる態度としては非常にクールに見えつつ、介護に取り組む姿勢は母溺愛そのものだった。なのでツンデレ系。あんなに親身に毎日病院や施設へ通っていたのに、祖母の最期の瞬間にだけ立ち会えなかった父の背中を見て、母とわたしは彼のことをかなり心配した。その後、涙一滴こぼさず、落ち着いて淡々と葬儀や手続きをこなす姿は、なんとも言えない感じだった。

ちなみに、祖母も父も太陽山羊座。その山羊をわたしは自分の双子座太陽の隣りに土星(山羊座の支配星)を持つことで、引き継いでいる気がしている。

でも、今になって振り返れば、母やわたしにはわからない、祖母と父をつなぐ絆がきっとあったのだろうし、誰も周りにいない時に一人で旅立った祖母の最期も、普段から弱みを見せるのが好きではなかった彼女らしいなと思えたりする。そんなことから、昨年夏、突然父の身体が発症した病は、父にとって祖母との死別のプロセスの一部でもあったのではないか、という答えのない問いが自分の中で浮かんだりしている。

父がマザーコンプレックスなのであれば、当然パートナーである母との関係性に余波が及ぶのは至極自然なこと。今回のワークショップの中でも、ザビエはそこに言及していた。

親子の三角形によって遠ざけ続けられた夫婦の危機

娘から見る本当の『親夫婦の危機』が彼らに訪れたのは、祖母が数え100歳で亡くなった後のことだった。結婚当初から姑と同居していた夫婦が、母亡き後、男女として今一度向き合わざるを得なくなった時。あの時初めて、親二人それぞれの口から『離婚』という言葉をわたしは聞いたと思う。

それまでは、夫婦がぶつかるときの理由は必ず決まって、祖母の存在か、一人娘であるわたしの存在が原因だった。常に「三角形」だったのだ。そうすることで、親二人が男女として真っ向から向き合わずに済んでいた、というのがザビエやファミリーコンステレーションのおかげで自分なりに理解できるようになった時、わたしはすでに40代後半に入っていた。

そんな頃に訪れた、親夫婦にとっての「本当の危機」。お互いのことが理由でぶつかり始めたのだった。この時ばかりはさすがに、二人の間に割って入らずだんまりを決め込み。『介入いたしません』的姿勢を貫いた。でも内心ハラハラしながら、

おいおいこの期に及んで、熟年どころか高齢者離婚なんてことになったら、一人娘のオレはどう立ち回ればいいんだよ~、、、

なんて思っていた。結果、二人はわたしの知らないところで何かしらのカタを付けたのだと思う。詳しいことは知らない。それ以降、二人の間の雰囲気が少し変わったように感じた。変な話、二人の間に「男女の親密さ」を感じるようになった。その頃、母がずっとしていなかった結婚指輪をはめるようになったのも、象徴的だった。この話をザビエにしたら、「結婚指輪を再びつけるのは、erotic(性的)ですね。夫婦間を流れるエネルギーが変わったのが分かります。」と言っていた。

わたしが抱き続けた虚構の夫婦像とそのツケ

そんな出来事を経てわかったことは、夫婦として向き合うことを長年遠回しにしていた頃の彼らを、一組の男女・夫婦として目撃し続けることで、娘であるわたしの『理想の夫婦像』が出来上がっていたんだ、ということ。つまり、わたしにとっての『理想の夫婦像』は、まさに親夫婦の『いいとこ取り』でしかなかった。額縁ではなくて、ガラスケースの中に大切に仕舞われて飾られている『笑顔で手と手を取り合う夫婦の写真』とでも例えられるだろうか。それを証拠に、若い頃は恥ずかしげもなく、「親みたいな仲の良い夫婦が理想です。」なんて言っていたのだから。彼らが真にぶつかり合ったり罵り合うところを見たことがないまま作り上げられた虚構的な結婚像・夫婦像をわたしが抱き続けたことのツケは、自分が結婚後にしっかりと味わうことになるのだった。

コロナ禍の国境閉鎖で2年半会えなかった夫との待ちに待った同居生活が始まって、半年くらいだった頃だろうか。夫と真っ向からぶつかり合うことに自分が恐がっていたことに気づいた瞬間があった。ぶつかることを避け続けたことで溜まったエネルギーが、どちらからともなく大爆発を起こしたりした。爆発が大きければ大きいほど、当然インパクトも大きかったし、避け続けている間に感じていたはずの苦しさを、自分で自分に隠していたことも自覚した。その後夫と、「言葉を選ばない話し合い」をしたことが、今を思えば第一の突破口になったと思っている。最近ようやく、小出しにぶつかることに少しずつ慣れてきたところだったりするけれど、まだまだな感じも否めない。

きっと夫側からの投影もあるんだろう。彼は父親をほとんど知らずに育っている。奇しくもわたしの父同様、彼らが共有した「避けることができない運命」だったりする。わたしも自分のファザーコンプレックスから始まったのだから、きっと彼もマザーコンプレックスを抱えていてもおかしくない。何を隠そう、夫の母の太陽星座はわたしと同じく双子座なのだから。

補足

ちなみに、ここで書いているコンプレックスというのは、和製英語的なマザコン・ファザコンではなく、心理学でユングやフロイトが提唱した、親子間の三角関係ーエディプスコンプレックスの一部として、言葉を使っています。わたしの持つ前提として、コンプレックスそのものに善悪を置いていません。先週末のザビエによる元型・グレイトマザーの話を聞き終えた今、むしろ誰しもが親との間にコンプレックスを抱くことからしか始まらないのだな、と思うようになりました。

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