その瞬間は突然やってくる

今朝突然思い立ってこのnoteのアプリを開いて文字にしています。自分のために文字にしておきたくて。

ここ数週間、過去に戻って見落としたものを拾いに行くような時間が続いていました。今思えばそんな時間が始まるわかりやすいきっかけになったのは、2月の中旬にザビエとマーリと一緒に企画した『月と土星ー無意識のパターンに創造性をもたらす』というワークショップだったと思います。このワークショップの実現はあたかも、『無意識のパターンを見ることにしました!よろしく!』と宣言してしまったようなものだったんだなあ、と後になって思えるような展開が、その後に待っていたわけです。

そのワークショップが一旦終わり、相方がまさに今日から始まるラマダン(イスラム教で年に一度の断食月のこと)に向けてとその他諸々彼の身の回りの手配も兼ねてマレーシアへ戻る予定を、3月後半から初旬に早めることになり、ザビエの帰国も同時期に重なって、普段よりも慌ただしい日常に入っていきました。

自分で意識的にそうしたというよりも、普段の当たり前のようなやり取りの中である日突然相方と激しく衝突するようなことが起きて、その衝突する中で自分の気づかなかったパターンを自覚する(というよりは「させられる」)ようなことが起きました。かなり動揺して、色んな感情が自分の中をうごめくのを味わいました。そんな出来事はごく「きっかけ」に過ぎず、両親ー特に母との間にわたしがこれまでずっと見ていたものがそれまでとは『違う角度』から見えてくるようなことが、日替わりに起きるような日々を過ごし、今日に至っているのです。その間の気分はというと、、、例えるならまさに今朝のどんより曇り空のよう。これを書いている今もまだ、スッキリ晴れた!とは到底言い難いのですが、今朝は大きな切り替わりを感じたので、そのことをリアルタイムで文章にしておきたかった、という経緯なのです。

わたしの場合、こうして自分にベクトルがフルに自然に向くには、ひとりでいる時間や空間が必要だったことがよくわかります。相方が同じ空間に居る時は、その少なくとも半分は相方に向いていたことが、今となるとよくわかります。そして、誰かと暮らしを共にする、というのはそういうことでもあるのかな、と少しずつですが感じてきています。

で、この記事のタイトルにした、「突然やってきた瞬間」のこと。ここには実は「喫煙」という行為が大きく関係しています。

実はこの約3週間ほど、2018年頃にやめた喫煙を再びしています。当時と比べたら量はわずかであるものの、この2週間で明らかに「習慣」になりつつありました。Facebookで書いたことを探してたどると(今月初旬のことなのにもう思い出せない!)、相方を空港に送ってから数日後に、何がそうさせたのかきっかけはわからないけれど、父が「1本吸うか?」とアメスピの煙草が数本入ったサンプルの箱を差し出してくれたのがきっかけでした。それ以降、ふう~と一息つきたくなる時に、父の吸っている煙草をくすねては吸っていました。食後とか、なんとなく思考に行き詰った時とか。

改めて、自分の喫煙ヒストリーを振り返ってみると、人生で初めて煙草を吸ったのは、受験が終わって高校卒業間近、父が当時吸っていたマイルドセブンをくすねて吸ってみたことからでした。数えてみるとその頃から25-6年、日々欠かさず吸っていたことになります。それがある日、これもまた突然ですが、その習慣を止めることになったのです。

長年わたしと関わってくださる方が、夢でわたしに煙草を止めるように、と言われ、それが3回続いたことを伝えてくださったのです。それも、その方の配慮がヒシヒシと感じられる形で。そんなことってあるんだなあ〜と不思議にしか感じなかったのは、奇しくも、わたしの中でも『そろそろやめようかなあ』という発想がチラホラ湧いてきていたのと、これもまた父から、『禁煙外来がいいらしいぞ。』と言われたタイミングが全て重なったからなのでした。それでわたしは、最寄りのクリニックに出向き、禁煙用の薬を飲み始めます。そして、飲んでみてビックリ。煙草を吸っていたことすら忘れてしまう効果だったので、逆に薬の作用があまりに怖くなって、服用を一週間でやめました。そして、そこから先程書いた瞬間まで煙草を吸うことはありませんでした。あ、試しに吸ってみようと思って吸ったけど、全然美味しくなくて途中でやめたことは一度か二度あったかな。

そこから今日に至る、というのがわたしと喫煙のヒストリーです。

喫煙も含め、この期間に自分に起きていることーーー時間がある意味過去に巻き戻っているようなことーーーが起きていることをある日ザビエに話すと、『それはまさに、月ー土星のWSで話したRegression-退行ですね。Naokoさんにとっては健康的なことです。』とキッパリ言われました。

今朝起きて朝ごはんを食べたあと、バルコニーの曇り空を眺めながら、一服しようとおもい、煙草に火を付けて一息吸い込んだときに、いつもにない体感がやってきました。言葉にすると、足元の方からエネルギーが上昇してきて全身に染み渡っていく感覚。心地の良し悪しはなくて、一掃というか一新というか、エネルギーが入れ替わる感じというのか。その時座っていたせいか、足元から昇ってくる感覚がわかりやすかったのです。頭の中では、長時間ニコチンを接種しなかったときのフラッとするあの感じかなぁ、とか分析が始まるのですが、それとも違う。初めて味わうような感覚でした。

ここの所、喫煙しながら、『そのうちやめなきゃな。』と思っていました。と同時に、『(喫煙という行為が自分から)落ちるときがきたら、落ちるな。』とも思っていました。

なので、その『落ちる時』がきたのかなあ、とも思います。まだ時間があまりたっていないので、もっと時間が経ってみないとわからないことでもあるのですが。ただ、喫煙と絡めなくても、何か自分の中での【切り替わり感】をハッキリ体感をもって感じた出来事でもあって、少しまだそのことに驚いている状態でもあります。

このいわゆるRegression期、小さなことから大きなことまで色々起きました。小さなことというのは、日々Facebookに日記として書いていたような、自分の中の感情の起伏やその扱い方に関わること。大きなことと言うと、父にとって初めて、彼が会うことのなかった父(祖父)の遺影とは別の写真を父が初めて見る瞬間に立ち会ったこと。そして、わたしの中の記憶にある、小さな頃から母に言われていたことの意味が、母の意図とわたしの理解とは大きく違っていたことを直接母と確認したこと、でしょうか。

、、、とここまで書いたところで、今日実家であることが起きたので、次にまた続けることにします。

冥王星みずがめ座入り、今日だったんだね、、、。






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