2022冬至
ゆず湯につかりながら
自分にとって40代の最後の年になる今年の最大の出来事は、ついに水際対策による2年に及んだ国境の閉鎖が終わって相方が来日できたこと。そして40代最後の誕生日に入籍した。
このたった2つの文で表せる出来事だけとっても、わたし個人史においてはまさに大河級のドラマ仕立て(笑)で再現できるようなことだったし、他の出来事の数々も連動して、気持ちの上で非常に忙しい一年だったことには違いない。
そして今日はついに冬至。
昨日実家に立ち寄って、母からゆずをもらう。『アミちゃん(相方の愛称)も、ゆず湯を浴びたらいいのよ。縁起物なんだからやっときなさい。』と母。
冬至に言葉にしておきたいことをしておこうと思いたち、ゆず湯に浸かりながら、個人的にはまあまあ激動だったこの一年に思いを巡らせています。
まずは去年のこと
コロナの世の2年続いた国境閉鎖は、そうなる前から結婚を前提に付き合っていた相方と、
二度と同じ地に住めないかもしれない
と、そのさらに奥の方に
二度と会えないかもしれない
という2つの恐れがわたしの中に生まれるきっかけになった。今となってはそんな大袈裟な、と思われても仕方ないのかもしれないが、そのくらいのインパクトがわたし個人にはあった。特に、今から一年前の昨年12月、一度開きかけた国境がオミクロン株の登場により、事前の入国手続が完了したタイミングで再び閉じた時に味わったショックと絶望感は、今も身体が覚えている。
↑に書いた2つの恐れを直接手に取って見てみる勇気がない代わりに、仕事や肉体改造といった『打ち込むこめること』を欲して、時間を惜しまずあれこれやっていたのには当時自覚があった。何かに打ち込まなくてはいられないようなメンタルであったことも事実だけど、それ以上に、『先の見えない絶望感』を毎日感じながら生きていく事自体がそもそも嫌だったのだ。そんな中でDiamond Logos Teaching/DLT での学びはとんでもなく支えになった。
体験とは、自分にとっての唯一無二なこと
わたしの体験は、わたしに限定されたことだ。そうであるが故に、他者に自分の体験やそこに生まれる感情を理解してもらうことは時に簡単なことではない。
これも、不幸中の幸いなのか怪我の功名なのかすら区別がつかないけれど、コロナの世で辿り着いた数ある理解のうちの一つだ。
だからこそ、完全な理解や共感の代わりに、純粋にただ何であれ体験している、感じているこのわたしに、気持ちを寄せてもらえることが、実はものすごく支えになるんだということを体験できた。
それまでは、どこか無意識に、
・似て異なる体験 = 同じ体験
・相手の気持を想像する = 相手の気持がわかる
無自覚に作動していたこのような方程式を、
・似て異なる体験 = 異なる体験
・相手の気持を想像する = 想像に過ぎず、わかったとは言えない
と書き換えた。
『その気持ちわかる!』
と、自分が思わず誰かしらの体験や気持ちに反応するときは、わかってもらいたいのは実は『わたし側』でもあるんだ、ということも痛烈に知る体験になった。
これらはわたしにとって、大きな大きな収穫となった。
ここに至る数々の体験の背後に常にあったのが、ファミリーコンステレーションとセルフインクワイアリーだったんだ、と書いてみて改めて実感している。
自分が自分に対して開いている。→ 結果、くつろぐ。
この小見出しのように文字にしてみると至ってシンプルだけれど、わたしにとって、まず『自分に対して開いている』というのは、簡単ではなかった。
何であれ自分に起きていることを許し、見て、感じる。
わたしの場合、『自分に起きているのを許したくないこと』というのはそれなりにあって、悲しみ、悲しみからくる痛み、怒ったところでどうしようもないと諦めながら抱える怒り、惨めさ、寂しさ、助けのない孤独な感じ、未来への不安、、、といった
総称 ネガティブな感情
と紐づいているものすべて、感じたくないし、感じて涙を流すことも嫌だし、笑って『ま、そんなもんなんだよね』と流すか、見なかったことにするのが、これまでは都合が良かったし、それで済んでいくと思いたかった。
思いたかったけれど、心の中のザワザワは常にあって、一見関係のないような症状ー例えば五十肩とか、歯茎の腫れと痛みーなんかも関係していたのが今となってはよくわかる。
仕事の関係で、一昨年〜去年あたりの自分が話してる動画を見ることがよくある。今より痩せていてスッキリしているように見えつつも、同時にキツい顔にも見える。口の奥の方で食いしばってる感じの力み具合が伝わってきたりする。
ファミリーコンステレーションやセルフインクワイアリーで、自分に開いていく体験が積み重なるにつれて、無意識に食いしばっていたのを、少しずつ意識的に緩めていくことをするようになった。と言ってもまたすぐ無自覚に食いしばるんだけど、それでも、『ほんの一瞬でも緩めることができた事実』が積み重なることに、すごく意義があったと思える。
あともう一つ。
原初的な繋がりをみることの功名
ここのところ8ハウス研究会でずっと見てきている親子の三角形ーエディプスコンプレックス。ザビエの『まだまだここ見ていくよ〜』といったプッシュがさすがに強いだけある。時々オエッと吐きたくなるような感覚と同時に、今日までの自分が無自覚にしていた行動の出処とつながる感覚も、ジワジワと実感している。
そんな中での最新の発見、というか、理解。
子供の頃のわたしからみた親ふたりとの位置関係について。
わたしーーー母ーーー父
この『一直線上』という形が、トライアングルよりも遥かにしっくりくるということを、先週の8ハウス研究会でザビエの話を訳しながら気づいたときに、軽い衝撃を受けた。ちなみにその時のテーマは、
親夫婦というカップルにとって、自分はどんな『機能』を持った子供だったのか?
いろんな機能の具体例が示されていく中で、わたしの場合、親ふたりとは常に一直線上にいて、三角形にすらなっていなかったという理解が自然にストンと肚に落ちる。『一直線上』を更に言語化すると、
父は物理的に常に近くにいたけれど、わたしと父の間には母が常にいた
ということ。だからなのか、父からもっと身体的に感じたかったであろう『守られている感覚』『包まれている感覚』を、まんま今の相方に求めていることは、これまでうっすら気づいていたけれど、この一直線上という図式の理解が、自分の行動の出処の詳細を遂に解き明かした。ここに、親から十分に愛されていたか否か、といった感情論と混ぜてしまうと、一気に客観性が失われるので、起きていたことの把握と理解をすることから、どんどん離れてしまう。
そのことを、一昨日の夜参加した、ドイツ人セラピスト・スバギートのクラスがさらに明らかにしてくれた。『子供の頃に親から受け取りたかったけど十分に受け取れなかったものが、誰にしも必ずある。』というくだりを耳にしたとき、同時に、ザビエが個人セッションでクライアントさんたちによく伝えていることを思い出した。
子どもにとって、それぞれの親との直接的な関わりが体験として築かれることは大切
なぜこんな話がしょっちゅう伝えられるのか、今をもってようやく頷ける。親との原初的な繋がりのところにしか、今の自分の行動を産んでいる現象や動機が存在しないからだ。
プツプツとシナプスが全部繋がった感覚があった。
整いました。的な(笑)。
ここに書いていることは全て、来年50になろうとしているわたしの『自立と成熟』のプロセス。
自分に興味がなければ、こんなプロセスをわざわざ振り返ったりしない。しかも、自分沼に光をもたらす8ハウス研究会(笑)を友人と主宰したり、ファミコン沼にずっと浸かり続けたり、占星術を人生の理解の言語にしたり、ここには書ききれなかった、ゼニスオメガに代表される、信頼する人たちが共有してくれる様々な自分に働きかけるワークに参加したりしない。
自分を愛する・愛してないとか、肯定・否定するとか、大切にする・しないとかあたりの二元論からはもうとっくに卒業していること、つまり大人のわたしと、永遠の子どものわたしの間に起きる和解の物語を亀のスピードでも少しずつ紡いでいきながら、わたしなりに成長していることに、今日は目を向けておこう。
2022年12月22日
冬至の朝に。
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