通訳の長い呟き:Connecting the dots
さっきまで、ザビエのセッションにいただいた感想をwebサイトに転載する作業をしていたのだけど、使っているサービス側のシステム不具合なのか、異様に入力の反映される速度が遅くて、すっかり作業が嫌になってしまい、ただいま放置中。そんなことをしながら思ったことがあるので、文字にして点を打っておこうと思う。
つい最近のある日のこと。ザビエのことをSNSでたまたま知った、とセッションに申し込んでくださった方から、セッションに関する質問のメールをいただいた。その後、メールでのやりとりが数回続いた。それにしても、
SNSでたまたま知った?
と聞いて、驚いた。今日現在のザビエに繋がってくださる顧客層は、圧倒的な割合で、リピーターの皆々さまとそこからのご紹介や口コミでたどり着いてくださった方々とで形成されている。販促目的でのSNS活動は、そこまで力を入れられていないのがここのところずっとの現状。細々とFacebookとインスタグラムで告知をする程度でしかない。それなのに、ザビエのことを「SNSでたまたま知った」とか「偶然Live動画を見た」とか「検索にひっかかった」などと聞くと、正直仕掛け人のわたし自身が驚いてしまう。まあそんなことはさて置き。ついでにちょっと宣伝。(募集はすでに終了しています。ぜひフォローしていただけたら嬉しい!)
さて、この記事の中では、そんな風にしてザビエと繋がってくださったクライアントのことをAさん(仮名)と呼ばせていただくことにしよう。
Aさんから届いたメールには、これまで占星学を学んできたことや、実際に個人セッションも他の方々から何度か受けたということが書かれていた。そして、文面からAさんがご自身のことを紐解きたくて、占星学と共に年月をかけて探求されてきた様子が伺えた。この界隈では誰もが知っているであろう著名な方のお名前も書かれていたが、一方でAさんに起きたこととしては、どれだけ学んだりセッションを受けても、ご自身の「知りたいこと」とは繋がらなかった、と綴られていたことが強く印象に残った。そして、どうかザビエとの出会いがAさんの「知りたいこと」に少しでも繋がりますように、、、と祈りにも近いような気持ちになった。
そうして迎えたAさんのセッション当日。珍しく、自分がやんわり緊張していたことに気づいた。緊張なーんて言っても、ザビエとのセッションがひとたび始まってしまえば、緊張など感じる一瞬の隙すらないままに、わたしもクライアントさんも共に、ザビエから語られる膨大な情報の渦に放り込まれることになる。ほんのわずかな緊張を感じた瞬間など、あたかも数日前の出来事かのような猛スピードで、時間軸が動いていく(ような体感がある)。
Aさんとザビエによるセッション自体は、とても和やかでスムーズなエネルギーの流れとともに、進んでいった。その中にわたしも身を置きながら、何度か込み上げるものを自分の中に感じるセッションだった。そうやってあっという間過ぎていった90分。
セッションの翌日だったかな?Aさんから再びメッセージを受け取った。セッションの感想を丁寧にまとめてくださっていた。目に入ってくる数々の文章の中に、「子供の頃から知りたい、知りたいと願っていたことがか叶えられた日になりました。 」と書かれていた一行が目に入って、わたしが勝手にひとりで安堵したのと同時に、目の奥が熱くなるのを感じた。
Aさんのセッションでの体験はわたしにとって、どんな出会いも出来事も後から振り返れば必然だったと思えるのかもしれない、と思える出来事となった。誤解のないように書いておきたい。「Aさんが知りたいことを知れたザビエのセッションってすごいでしょ?」というのがここでの言いたいことの要点では全くないのだ(すごいと思ってはいるけどね!)。
後から振り返れば、それまでのすべてがつながっていた。
そんなことを思わずにはいられなくなったのだ。
Aさんがザビエに出会う前までの過程があった。著名な方の元にも行き、その後も別の先生について占星学を数年間学んだ(と書かれていた)。Aさんがどう思ったかは全く別として、例えば、人生の中で、見方によってはそれが「遠回り」とか「時間とエネルギーを無駄にした」なんて思えることの一つや二つあってもおかしくない。実際にわたしにはある。きっと多くの人に聞けば、あると答えるんじゃないかな。
でも、今回のことを「例」として考えてみると、もしAさんご自身がそのような過程を通ってこなかったとしたら、、、と逆説的に考えてしまう。もしかしたらザビエもわたしも、Aさんにこのタイミングで出会うことはなかったかもしれない、と。もちろんこれは、「わたし」という立ち位置からの見方でしかないのだけれど。
そんな過去の布石の数々も、ある程度の時間が経過して、自分なりの経験と知恵が積み重なってた来た時に、「ここに繋がっていたんだ」と思える日が必ずどこかでやってくる。そんなことにじんわりと確信めいたものを感じられた出来事だった。
自分の人生が長い年月をかけて見せてくれる、もしくはその人が辿り着いて見つける「妙(みょう)」。
Aさんがこれまで歩みながら打ち続けてきた数々の点(ドット)と、ザビエ自身がこれまで打ち続けてきた点(ドット)が交差するタイミングだった。わたしはその場に遭遇して、目撃した。そんなことを考えていると、どうしてもかの有名な、アップル創業者のSteve Jobsのスピーチ、特にその中の"Connecting the dots" と題された一節を思い出す。改めて聞いてみると、やはり名言だと思うのだ。
スタンフォードの卒業式でのスピーチ。Wikiで彼の来歴を読むと、この世界的にバズった(まだそんな言葉すら生まれていなかった頃)スピーチをした時にはすでにすい臓がんを患っていたとされる。彼の波乱と栄光と闘いに満ちた人生をどこかで静かにじっくりと振り返る時間があったのだろうか、なんて思える。このスピーチの5年後に彼は肉体を去るのだ。そして彼の言葉はさらにこう続く。
わたしはAppleファンでもないしJobsを崇拝しているわけでもない。でも今回こうしてたまたま思い出した彼のこと。来歴を読み、彼のチャートを見たくなった。2月24日生まれ。この数字を見たとき、わたしの脳は一瞬「太陽水瓶座の人」と誤認した。彼がテクノロジーの申し子だからだろうか?でも実際は、わたしの母と同じく太陽魚座の人。
Jobsの来歴を読みながらチャートに目を向け続けていると、わたしのこれまでの「魚座」への認識が少し広がったような気がした。そのお話はまた今度。
これがかの有名なスピーチです。
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