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団子サッカーを考える

Writer

やまだえっせい

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どうもジュニアの記事を担当させていただきます、やまだですよろしくお願いします。さて、学校は休業が続き、我がU9も依然活動休止です。こうして当たり前にあった日常がどこかへ行ってしまうと、改めて今までそこにあったものの存在の大きさを感じます。気晴らしに身体を動かそうと外に出ると、気持ちの良さを感じます。やはりスポーツは良いものです。まず身体を動かすこと自体が心地良いですし、思い通りに身体を動かせると嬉しいですよね。そこに勝敗が入ってくるともれなく楽しいですし、仲間がいれば幸せですよね。休業を余儀なくされて、部活動や各種スポーツ活動が自粛になり、家で過ごす期間を経て改めて多くの人がスポーツの持つ価値に気づかされたことと思います。

オリンピックを来年に控え、スポーツが盛り上がらなくてどうすると、各種スポーツ選手がSNS等で子ども達にトレーニングやプレーの紹介動画をアップしていましたね。日本全国でこたびの災害に立ち向かおうとする気持ちが見られたことは、スポーツを仕事にする者として、とても嬉しい気持ちになりました。

サッカー選手はリフティングの宿題をアップされている方が多かったですね。それと同時に子ども達が宿題に挑戦する動画を色んなところで目にしました。こうして活動休止期間に子ども達がサッカーの火を絶やさないようにと動画を上げてくれる選手達には本当に感謝です。うちも続々と100回を超える選手達が出てきました。だからいいんですよこの際、「リフティングが上手くなってもサッカーは上手くならないんだから」みたいな御託を並べる必要はないのです。例えそれが正論だとしても、今回は違うと思うんですよね。いいんですよ、子ども達が休みの間もボールに触りたい思ったんだから、それだけであの動画には充分価値があったんです。あぁなりたいという憧れの持つ力は、いつだって指導者の一言よりもずっと大きな力になる、僕はそう思ってます。

個人的にイニエスタの宿題が素敵だなと思いました。「両足を使ってリフティングを20回やる」というシンプルだけど、めちゃくちゃ大切な宿題でした。この人はやっぱりサッカーがどんなスポーツか本質から理解をされているんだろうなと感じました。

もし要望があれば僕がリフティングやる動画とかアップましょうか?あ、いらないですか?そうですか、ありがとうございました。

さて昔からスカートと前置きは短い方が良いと言われておりますがゆえ、本題に入りましょう。

今回のテーマは「団子サッカーを考える」です。

よくお父さんコーチより「やまださんは団子サッカーについてどうお考えですか?」とか「好きなお団子は何ですか?」というDMをいただくので、僕なりに団子サッカーについて考えてみました。


団子サッカーを考える

ご存知、団子サッカーは1つのボールの周りに大勢の選手が集まってプレーするサッカーの通称です。解消の年齢に差はあれど、万国共通で初めてボールを触った子ども達がゲームをすると起こり得るものだと考えて良いと思います。「スペインではないよ」と言われてしまうかもしれませんが、子どもの脳の発達の度合いは国によって大きく違うということはなさそうなので、最初はきっとあるはずなのです。その修正が日本よりも早いという文化はありそうですが。

ちなみにこの団子サッカー、ジュニアの低学年に限った話ではありません。

こちら中学2年生で初めてサッカーをやった子ども達の1回目の授業の感想です。

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確かに子ども達の言うように、その授業では、みんなが1つのボールの周りに集まりプレーをしていました。

つまりは、認知できるものが「ボール」しかないがゆえに、ボールに集まりプレーするのです。

子ども達の言うように、認知すべきものはボールだけではないのです。

サッカーの目的はゴールを奪うことですから、当然ゴールの認知が必要です。このゴールにどんな形でも良いので流し込めば良いので、それなら一番簡単な方法でゴールを目指そうが本質でしょう。ごちゃごちゃと混戦の中をドリブルで抜けて決めたら芸術点+0.5点なんてルールは今のところ存在しないので、敵のいないところに動いてパスを受けて、またゴールの確率が高い味方に渡した方が賢明でしょう。

これだけの説明でもゴールに辿り着くまでに、味方、相手、スペースなど見ておくべきものがたくさんあることに気づきます。

ボール以外のものにも意識を配った方が楽だ、人がいないところにポジションを取った方が楽だと気づいたことで、初心者の中学生達はすぐにゴールの確率が高いものを選択する賢明な判断ができるようになりました。サッカーは初めてでも、どちらが楽かなんてのはこれまでの人生経験の中で容易に選択できますから。2回目の授業ではゲームに広がりが生まれ、もう子ども達の中に団子サッカーの姿はありませんでした。

しかし、サッカーに初めて出会った小学校低学年の子ども達は、自明の理も通じないことが多いですから、ごちゃごちゃした中をドリブルで抜けていく方が確率が高いと考えますし、ボールより人の方が速いと考えます。

だから、1つずつ問うていくしかないのです。

「相手がたくさんいるところをドリブルで抜けていくのと、相手がいないところを見つけてパスを回すのはどちらが楽そう?」
「できるだけ早くゴールに近づくために、ドリブルとパスはどちらが速そう?」
「(ビルドアップの場面で)自分達の距離が近い時としっかり幅を取った時では、相手はどちらがボール取りにくいと思う?」
「今スペースはどこにある?」

こうしてバカみたいに思われる発問を丁寧に繰り返していくことで、サッカーの本質的な理解を促していきます。これはサッカーの世界も学校の授業でも同じことが言えるのですが、「なぜそうなるのか?」がごそっと抜けてしまい、キャッチーな理論やフレーズばかりが先行しがちです。正直めんどくさいは、めんどくさいんですよ。「なんでそんなこともわかんねーんだ!」となりますから。

サッカーに初めて出逢う子ども達が、そういう''めんどくさいこと''を投げずに向き合ってくれる指導者に出逢うことができれば、子ども達の未来はとても明るいものになると感じていますし、そのめんどくささと向き合うことができない人は、きっとこのカテゴリーの人ではないと思うのです。良い悪いではなく、種を撒く人か、稲を狩る人かの違いです。僕は圧倒的に種を撒くことが楽しかっただけの話です。

またまた前置きが長くなりましたが、僕は団子サッカーは、早くに解消できるのであればした方が良いと思っている派です。現場にいると、意外と「団子サッカーで得られる力があるんだから無理に解消するな」という意見を持つ方が多くいますが、その方々の団子サッカーに求める目的が、メッシのように混戦の中を切り抜けていく力の育成にあったようなので、そこに目的を置くのであれば必要ないかなと思うわけです。その守備の仕方をしてくるサッカーに今後出逢う確率は、カテゴリーが上がるほど下がるわけですからね。

でももし団子サッカーを壮絶なトランジションの連続だと捉え、ボールを奪うことへの相当な執着心を高めることをねらうのであれば悪くないのかもしれません。


僕が8歳の子ども達に伝えたこと

僕はU8カテゴリーの時に、子ども達が、自分達のゲームの映像を見て挙げた「ごちゃごちゃしている」という課題をどうすれば解決できるか一緒に考えました。

実際のやり取り

👨「これ自分達のゲームだけど、どう?」
👦👧「ごちゃごちゃしてる」「固まってる」
👨「ごちゃごちゃしててどうだった?」
👦👧「オレ足蹴られた」「難しかった!」
👨「どうすれば簡単にプレーできそう?」
👦👧「相手にどいてもらう」
👨「おお、どうしたらどいてくれそう?」
👦👧「どいてくださいって言う(かわいいかよ、その刹那抱きしめたくなりました)」
👨「どいてくれたらいいよねwでも相手もどうぞとは言わないと思うから、じゃあどうしたらどいてくれるか考えよう!」
👨「みんなディフェンスの時のお約束は?」
👦👧「マークする」
👨「マークするよね、じゃ実際コーチが動くからマークに来てね!(3人並べて、幅を取るデモを見せる。マークの子は当然ついてくる。)」
👨👧「わかった!横に広がる!(この時の顔が最高に好きでした)」

幅を取ることで、相手はマークにつこうと広がり、そうすると、選手間が広がります。そこにできたスペースを上手に使うことで攻めやすくなるという話を発問を通して学習しました。

しかし、焦って団子を解体しようとして「団子になんな!」「広がれ!」と言って広げようとすることは、近道のようで、サッカーへの本質的理解の点から考えると遠回りのような気がします。広げること自体が目的ではないですから。サッカーの目的から逆算した結果、広がっているというような形にならないと意味がないと思うのです。

ゲームでも''幅、深さ、高さ(うちではゴール方向に引っ張る動き)''担当をそれぞれ求めますし、そのシチュエーションにおける正しいポジションも求めます。そうすると子ども達は自然と戦いやすいことに気づいたんですね。サッカーへの理解が深まったら団子サッカーはいつの間にか消えていました。

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ゴール前がごちごちゃするという課題をハーフタイムに持ち帰ってきた時に子ども達が作ったボードです。「ボール持ってる人に近づかない方が良いんじゃない?」と自分達でミーティングをしていました。(実際U9のゲームだとゴール前であれ、相手は愚直についてきてくれるんですよね)立ち位置で選手間を広げることは、これから先どのカテゴリーでも必要とされることだと思います。

高学年になって団子サッカーをするチームがないのは、サッカーというスポーツの本質への理解が進んだからなんだと思います。だからこそ、しっかりサッカーを教えてあげる必要があると思っています。

また学校の研修でも僕らが口を酸っぱく言われることですが、「見ようとしないと見えない」のです。これ子ども達のトレーニングでも同じことが言えると思っていて、普段のトレーニングの中から、見ることを求めるものはカテゴリー問わず入れていきたいなと思っています。

このカテゴリーにポジションの取り方を「考えろよ!」と投げたところで、その素地はないわけですから、むしろ最初は、ここにいた方が良いよという立ち位置のディテールな修正をして、「そうかここにいればプレーしやすいのか」を体得していく必要があるのではないかと思っています。よく言われる「考えろ!」はイコール「持っている引き出しの中で最もこのシチュエーションを解決するのに最適なモノを選びなさい」だと思っているので、その引き出しを使っていく作業は地道にやっていきたいですよね。「考えろよ!」が「ごめん、ちょっと俺よくわかんねーから自分達でなんとかしてくんね?」は大いにあるかなと思います。

またサッカーの入り口に立った子ども達はサッカーのゲームをしっかり見たことがありません。見たことのないゲームをやれと言われたらそりゃ目の前のボールに飛びつきたくなりますよね。早く子ども達がサッカーを観れる環境が戻ってきますように。

最後に、団子サッカーになっちゃうのはやっぱりみんなボールに触りたいんですよ。みんなボールが好きなんです。ボールに触りたい、その気持ちは尊重していきたいなと思います。

長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました。もうしばらく辛抱の時期が続きますが、みんなで頑張っていきましょう。

ああ、好きなお団子ですか?きな粉です。


Writer

やまだえっせい

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「いつかこの子達が世界の誰とサッカーをしても楽しむことができる共通言語を伝えてあげたい。だから僕はサッカーを教える。」

中学校でサッカー部の顧問をしていた僕は、サッカーの原理原則やセオリーを知らずに苦労をしている選手をたくさん見てきました。
そんなサッカーの共通言語を知らないがために苦労している選手を、なんとか救ってあげたい。ひょんなことからジュニア(U8)の指導者になった僕は、彼らに共通言語を伝えるためにはどんなトレーニングが必要か、どんな言葉を選択すべきか、どんな関わり方をするべきか、そんなことにこだわってきました。

ジュニアのお父さんコーチが自信を持って指導ができるような一助となれば幸いです。「これを見てくれた人のチームの子どもが少しだけサッカーが上手くなったら良いな」そんな甘い考えでいます😊

note:https://note.com/kenseio7o3
Twitter:https://twitter.com/yamadaessay

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