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【台本書き起こし】シーズン5「足利尊氏 夜明けのばさら」第3話 天皇御謀反:ボイスドラマで学ぶ日本の歴史

〇街道元徳三年(一三三一年)夏~秋
高時:何と申した。当今の帝に御謀反の企てだと……?執権守時!その報せは確かなのだな?
守時:さようでござる。高時さま。帝の近臣より、密告があったとの由、六波羅探題からの急使がございました。
高時:かの帝の御謀反騒ぎはこのたびが初めてではない。私が覚えておるだけで、二度、前にあったはずだ。
守時:いかにも。
高時:一度目は七年前…正中の変、と申したか、無礼講を隠れみのに討幕の謀議を繰り返したとの密告があった。二度目には、諸寺から僧侶を集め、関東呪詛の祈祷を四年の歳月にわたって行わせておるという噂が鎌倉まで流れてきた。
守時:御叛意の証拠はなし。冤罪ということでどちらの騒ぎも決着がついております。一度目はおそらく、皇統をうかがう、持明院統による讒言。二度目は無責任な風説のたぐいで、実のところは中宮さま御懐妊祈願の祈祷だったという話。
高時:さて、怪しいものだ。一度ならずも二度まで、いいや、このたびを加えて三度までも、御謀反の疑いが持ち上がる。後ろ暗いところがあるから、次から次にそうした話が出てくるのだ。二度までは見逃しても、三度目はない。かような騒ぎが続くようなら、鎌倉は、弱気、弱腰、既に威勢を失ったと侮られよう。
守時:疑いだけで、恐れ多くも、当今の帝を罰することはかないませぬ。いまは吟味を慎重にも慎重に重ねて……
高時:待てぬ、待てぬ、待てぬ。さような手ぬるい対処では世上がこれを何と見る。証拠がいるなら、まずは帝に近侍する坊主どもを引っ捕らえ、関東調伏の事実はあったか、責めにかけて口を割らせるがよい。帝をたぶらかす生臭坊主、容赦はいらんぞ。
守時:……御下知の通りに。

高時:執権。坊主どもは吐きおったか。
守時:はい。勅定によって調伏の法を行ったと認めました。討幕の謀議に参加した公家たちの名前もことごとく明らかに。
高時:殺せ、殺せ、殺してしまえ。持明院統からも、当今の帝の御謀反は明らか、糾明の沙汰はまだかと訴えが出されていたな。探題に命じて、鎌倉に仇なす者どもを都から一掃してやるのだ。

高時:改元……?執権、それはまことか?改元の詔を帝が発せられたとはどうした次第だ?
守時:探題の報告によりますると、元徳の元号を廃し、八月九日をもって元弘元年に改めるように宣言なされた由に。
高時:かような場合に悠長に改元とは、いったい、帝は何をお考えなのだ?改元を認める必要はない。詔を突き返せ。
守時:御下知の通りに。
高時:かの帝が御在位の間は天下の静謐はないようだ。ただちに東使を都へ遣わして、承久の乱の先例に従い、帝は御廃位、遠国へお遷しまいらせる。三千も兵をつけてやったら、幕府の武威に震え上がって、まさかのお手向かいはされぬだろう。
守時:では……高時さま、帝のお跡はどのように?
高時:当今の帝は大覚寺統のお血筋ゆえ、持明院統の皇族からお選びしたらよい。帝の代わりになる者くらい、いくらでもおる。

守時:都からの急報が!探題の監視をかいくぐり、帝が御所を密かに出たと伝えてきました。
高時:帝を取り逃がしたのか!探題は、東使は、いったい何をしておった。三千の兵を連れていったのは何のためだ。
守時:目下、北方南方の両探題では手を尽くして、帝のお行方を探索しておりまする。
高時:帝は往生際が悪い。草の根分けても、お行方を突き止めよ。鎌倉の威信にかけて、何としても逃すでないぞ!

守時:高時さま、高時さま!笠置山に帝が立て籠ったとの報せが!畿内近国に号令を発して、御家人、寺社、悪党、相手を選ばず親軍の参集を呼びかけている由にございます。
高時:ただちに討手を差し上らせよ。鎌倉武士の総力を挙げ、御謀反を討伐するのだ。天朝と武家は並び立たぬとの御宸慮なら、よいわ、こちらは武家らしく、武力によって叩き潰してくれるまで。
守時:早速、出陣の用意を進めさせまする。
高時:ふふふ。これはどうやら、かの蒙古襲来、元寇以来の大戦になるようだ。よいよい、戦働きは武士の本懐。帝にはこれから先の御生涯をかけて、御叛意などと申す、思い上がりのお考えを悔やんでいただこうではないか。ふふふ。あははは。

錦小路殿N:時に元徳三年八月。それとも、改元の詔に従い、元弘元年の出来事とお話しする方がよいでしょうか。時の帝…おくりなを後醍醐と申し上げる帝は、三種の神器を携えて御所を出ると、南の笠置山へ臨幸になり、鎌倉幕府討伐を天下に号令なされたのです。後の世に、元弘の乱と呼びならわされる戦乱のこれが始まりでございました。

〇鎌倉幕府・政庁元弘元年(一三三一年)九月
守時:西国討伐に遣わされる武将は、北条一門、御家人を合わせて六十三人。坂東五ヶ国から兵を動員して、これらを従える大将軍に任命されたお方は、まずは大仏陸奥守どの、金沢右馬助どの、遠江左近大夫どの、そして、足利讃岐入道どの……
高氏:御執権、お待ちください。我が父貞氏はこの秋から病みつき、臥せっております。屋敷から外へ出ることさえままならぬありさま。出陣を辞退する、ということはできませぬか。
守時:できぬ。高氏どの、これは得宗家の強い御意向なのだ。
高氏:得宗家……高時さまが……
守時:高時さまお一人に限らず、いまの幕府では万事が先例、形のごとく仔細なく、でよしとする評定がまかり通っておる。先例に従い、形式通りにやっておれば大過はない、という考え方だな。
高氏:先例。守時さま、先例とは何のことです?
守時:承久の乱だ。かの後鳥羽上皇の御謀反の折り、東海道大将軍として十万騎を従えて西上し、討伐に当たって大功があったのは他でもない足利家の御当主であった。
高氏:だから、足利一族から大将を出すことは吉例なのだと?陣中でみまかるようなことになったら、吉例どころではすみませんぞ。あの御容態ではおそらく、父上の命はもうお長くない。
守時:となると、一門の中から名代を立てるしかあるまい。
高氏:父上の代わりに軍勢を指揮して戦えと……しかし、誰が?
守時:御嫡孫は元服の儀をまだ迎えておらぬ。足利家の事情はあるだろうが、私は高氏どのに引き受けていただきたい。
高氏:さような大事、私の一存では答えようがございませぬ。ひとまず父上の判断を仰がぬことには。
守時:それがよい。よい返事を待っておるぞ。

〇足利家鎌倉屋敷・貞氏の部屋
貞氏:さようか。この貞氏が、西国征伐の大将を任されたか。
高氏:お受けになるのですか、父上。
貞氏:万余の軍勢を従える大将軍の大役、名誉、重責。鎌倉武士として御家人として生まれてきた上はまさに一世の御奉公となる。この重大事をどうして拒めるものか。
高氏:足利家を守るため、ですか。
貞氏:他にどんな理由がある。御家人の本分は一所懸命。家と所領を何としても守り抜くことだ。しかし……この身体が、動かぬ!
高氏:父上!お身体に障りまする、どうかお気を静めに。
貞氏:一年早く……一年早く、孫を元服させておけば、わしの手からお家を譲ってやることができたはず。伜の子を、高義の子を大将にしてやることができたはず。ああ、もう一年早かったら!何故だ、高氏よ。どうしてお前しか、いま、この大事の時にわしの代わりが務まる者がおらんのだ。お家を守ってくれる者がおらんのだ。
高氏:父上……どうして、どうして私ではいけないとおっしゃるのですか!この高氏にはお家を任せられぬと、どうして……
貞氏:似ているからだ。
高氏:似ている?誰に?
貞氏:父上だ。お前たちのお祖父さまだ。
高氏:お祖父さま……家時さまに?そんな……
貞氏:わしは怖かった。大きくなるにつれて、ますます父上に似てくるお前が怖かった。わしが十二の年、父上は自ら腹を切って死んだ。お前の顔を見るたびにわしは父上を思い出す。似ているのは当たり前だ。足利の男を父に持ち、上杉の女を母に持って、お前は生まれてきた子。わしの父上もやはり同じお血筋だったのだからな。
高氏:母上から何度も教えられました。小さい頃から、ずっと。
貞氏:そうか。では、父上のいまわのお言葉は聞いておるな。
高氏:三代の孫のうちから、武家の棟梁を出してみせると……
貞氏:あれはな、足利の家に父上がかけた呪いなのだ。お前と弟は父上の呪いを受け継ぐように生まれてきた。
高氏:足利家の呪いを、私たちが?
貞氏:お前たちは足利の家をいつか危うくする。それがわしは怖かった。わしの父上は自刃することでお家を守ったが、お前たちが同じことをやったところで、やはりお家が助かるかは分からぬ。父上がお命と引き換えに守ったお家を、誰にも潰させてはならない。高氏。お前の伜……千寿王と申したか……
高氏:はい。
貞氏:お前の血筋が父上と同じなら、あれの血筋はわしと同じだ。しかし、わしと同じ思いをさせてやるな。幼くしててて無しとなり、どれほど心細かったことか。
高氏:父上……
貞氏:御家人の本分は一所懸命だ。忘れるな。何としても、足利家を守れよ。お前の子や孫たちのために、お家を絶やすな。
高氏:お言葉、しかとうけたまわってござる。

錦小路殿N:西国追討の御出陣を前にした九月五日。下野源氏足利本家の御当主、讃岐守貞氏さまは亡くなったのでございます。

〇北条高時屋敷
高時:執権。それはまことか。西国出陣の辞退を足利家が申し出てきただと?
守時:はい、高時さま。足利家当主の病没につき、一門は喪に服したばかり。忌中の出陣は憚りがあり、この度ばかりは何とぞ御容赦願いたく、とこのように。
高時:ならぬ、ならぬ。戦を前にそんなくだらん理屈が通用するか。大事の前の小事だ、どうでもいいことだ。当主が死んだと申すなら、代わりの主をただちに立てよ。御家人は御家人としてただ奉公に尽くせばよい、と足利に申し聞かせておけ!

〇鎌倉幕府・政庁
高氏:やはり、出陣の辞退はかないませんでしたか。
守時:形のごとく仔細なく、ということだ。御一族の気持ちは分かるが、時機が悪い。承久の変以来となる天皇家の御謀反なのだからな。先例、吉例の類にみなが強くこだわっている。
高氏:今の足利家は当主が不在。父上の弔いどころか、新しい主すら定まっていない。大将軍のお役が務まるとは到底……
守時:そのことなのだが、ここは高氏どのにお預けしたい。
高氏:やはり私が名代として、出陣するしかございませんか。
守時:名代ではない。他ならぬ高氏どのが御当主として、大将軍そのものとして出陣するのだ。高氏どのが、足利家の主に立つのだ。
高氏:私が、大将軍に……足利家の主に?滅相もない。守時さま。いきなり、何ということをおっしゃるのですか。
守時:私の妹婿だから、贔屓で申したのではない。いまの足利家を任せるに足る者は高氏どのをおいてはない。なるほど、筋から申したら御嫡孫を元服させて、ただちに家督を継がせるのが正しいだろう。しかし、いまは危急の時。間違いが起きては困る。にわかに元服したばかりの子供を一手の大将に据えることはできない。
高氏:本来なら、私はお家を継ぐ立場ではない厄介者ですよ。そんな者が主になろうものなら、納得できない者、面白く思わない者は多いはず。
守時:高時さまは、それに北条の一門は私から何としても説き伏せる。いまは足利の力をみなが頼りにしているのだ。この戦が終わるまで、平穏が世に戻るまでは足利家を高氏どのに預かっていただきたい。この通りだ。力になってくれ。
高氏:私が、足利のお家を継ぐ……

〇鶴岡八幡宮・馬場
高氏:いざ、出陣!

錦小路殿N:足利の一門が貞氏さまの喪に服するさなか、西国追討の御出陣はとどこおりなく決行されて、七万を超える東国勢がこうして鎌倉を出立。西上の途についたのでございます。この時、貞氏さまとわたくしの間の子、高氏どのは足利家の新しい御当主として立ち、大将軍のうちの一人に加えられて、堂々と大軍を従えて出陣いたしました。高氏どの、時に二十七歳の晴れがましい武者姿でございました。

錦小路殿:六代さま、家時兄さま。御覧いただけましたか。わたくしのお子は、あなたさまの三代のお孫は、立派な武者としてお育ちになり、大軍の将を任されて、いま、こうして出陣を飾ることが叶いました。わたくしはあの子を、家時兄さまのお孫として恥ずかしくない武士に育てることができたでしょうか。家時兄さまの思いを受け継ぐ武士に育てることができたでしょうか。

〇足利家鎌倉屋敷・登子の部屋
登子:こら、千寿王。おとなしくしなさい。お殿さまがお留守の間、お家の主はあなたなのですからね。高氏さま。どうか御無事にお帰りください。お留守の間、登子はお殿さまの御武運を信じて、千寿王と共にこの家をお守りいたします。

〇山城の国・笠置山元弘元年九月二十八日
錦小路殿N:帝が立て篭る笠置山が、鎌倉方の総攻撃によって、ひとたまりもなく攻め落とされたのは同じ月の二十八日の出来事でございました。こうして帝は都へ連れ戻されたのでございます。御謀反に呼応して討幕の兵を挙げた宮方の勢力も、鎌倉方の前に相次いで討ち取られ、最後に河内の下赤坂城が落ちたことで、元弘元年の御謀反はひとまず鎮定されたのでございました。

〇京都・足利高氏宿所元弘元年十一月
直義:兄上。六波羅探題に鎌倉から東使がございました。先帝への御沙汰が決まったようです。
高氏:先の帝、か。天子のすげ替えとは思い切ったことをやる。それで、直義よ。御沙汰とはどのような?
直義:春の終わりを待ち、隠岐の国にお遷しまいらせると。形の上では御遷幸の宣旨を新しい帝からたまわるという話でしたね。
高氏:御遷幸と申したところで、つまりは島流しだろう。
直義:承久の変の先例にならったようです。
高氏:何事も先例のままに、か。面白くない。
直義:戦が終わってからというもの、どうして兄上はそのように不機嫌なのです?他の大将方は毎日毎晩のように宴の招待に出かけていくのに、兄上はほとんど断っているではありませんか。
高氏:先帝の御謀反がずっと気にかかっていてな。
直義:お変わりな帝だったようですね。賢帝として名高い醍醐天皇に御自らをなぞらえて、後醍醐と称していらしたと聞きます。醍醐帝が戦を起こしたという史実は無いはずですが。
高氏:私には何となく、先帝がまことに我慢ならなかったのは何なのか、そのことを察せられるような気がするのだ。
直義:本当ですか?それはいったい、どのような?
高氏:一代のぬし、だったというお話だ。先帝は、兄君の皇子の成長を待つ間、一代限りの条件で皇位につくことになったのだ。そのこともあってか、御在位の間は、あちらこちらから御退位を求める声が絶えなかったらしい。先帝はおそらく…鳥かごの中に押し込められたような、前途のない、窮屈な生き方がもうお嫌で、そんなものは蹴破って、外へ飛び出したいとお望みだったのではあるまいか。
直義:はて?それはどこぞで覚えがある話のような……
高氏:私とて仮初めの当主なのは同じだ。めぐり合わせでお家を継いだが、一年先か、十年先になるか、そのうちに甥にお家を返すことになる。足利家を継ぐのは、我が子、千寿王ではない。
直義:不遜なお考えはおやめください、兄上。思い過ごしです。
高氏:何がだ?
直義:兄上は先帝の御謀反を気にかけていたのではない。御謀反にかこつけて、先帝のお姿に御自身を重ねていらっしゃるのです。
高氏:……そんな風にお前の目には見えたか?
直義:見えました。大方、ばさらの血が騒いだのでしょう。
高氏:そうか。ばさらの血が騒いだように見えたか……

錦小路殿N:西国の鎮定から間もなく、高氏どのは早々に兵をまとめて、鎌倉へ帰還いたしました。この時、朝廷にはいとま乞いの挨拶をせず、鎌倉方の他の大将軍にも無断で引き揚げてしまい、高氏どののひともなげな振舞いにみなは呆れ返って、しばらくは京雀の評判になったと申します。

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