【台本書き起こし】シーズン5「足利尊氏 夜明けのばさら」第5話 夜明けのばさら:ボイスドラマで学ぶ日本の歴史
〇京都正慶二(一三三三)年四月
錦小路殿N:時に光厳天皇の御代、正慶二年二月二十八日。隠岐の御配所をひそかに出た先の帝、後醍醐帝はこの日、伯耆の国の豪族に奉じられて船上山に御臨幸になったのでございます。先の帝にお味方する者、鎌倉方に与する者。近隣の国々からは、御家人、悪党、悪法師が大勢集まり、船上山を囲み、敵味方に分かれての激しい合戦がこの時から始まりました。
後醍醐天皇:相模入道よ、北条が子孫高時法師よ。朕が生きて世にある限り、人為をもって天命はくつがえらずと思い知るがよい。
錦小路殿N:先帝の御遷座はただちに関東に伝わり、驚愕をもって受け止められました。船上山からは諸国の武士に向け、矢継ぎ早に綸旨が発せられて、討幕挙兵への参加を促していたのです。幕府はこの事態を重く見て、評定にはかり、船上山討伐の軍勢の出陣を決定いたしました。この時の決定には、時の鎌倉の支配者、北条高時さまの御意向が強く働いていたと申します。
高時:関東八州から兵を集い、ただちに討手を差し遣わせ。討手の大将は、名越尾張守、足利治部大輔に命じる。両人をただちに上洛させよ。天下の大乱はひとえに先帝の御叛意から起こったこと。船上山を落とさずして、戦乱は終わらぬぞ。
錦小路殿N:三月中に鎌倉を出た東国勢は、東海道を西上して、四月の下旬にいたって、京の都にようやく入りました。都からはふた手に分かれて、一方は山陽道を、もう一方は山陰道を進み、伯耆の船上山を挟撃するという軍略です。東国勢が都を出発したのは、同じ月の末になってからでございます。当初の軍略に従って、山陰道の追討軍を任されたわたくしのお子たち、高氏どのと直義どのは老ノ坂を越えて、丹波の国の篠村の荘にひとまず着陣いたしました。篠村の荘は足利家の荘園でした。
〇丹波の国・篠村の荘
直義:兄上。呼びかけに応じて、近隣からは続々と兵が馳せ参じております。鎌倉の威光はまだまだ大したものですぞ。
高氏:どうかな。恩賞目当ての兵士たちだぞ。鎌倉が本腰を入れて追討に乗り出したと見て、いまは勇んで集まってきたが、戦を長引かせて、船上山がなかなか落ちないとなったら、みなの考えは変わる。強いと思った方につく。結局のところは損得の勘定次第だ。誰だって、勝ち馬に乗りたいと考えるのが人情だろう。
直義:はあ……辛辣なのですね、兄上は。
高氏:戦にしろ、子供の遊びにしろ、人のやることに大きな違いはないからな。小童の頃からさんざん見てきた。
直義:知りませんでした。そんな風に兄上はみなを見ていたのですか。私はてっきり、誰に対しても兄上は心が広くて気前がよくて、そんな兄上だから、みなが慕っていると考えていましたよ。
高氏:みな、気のいい連中ばかりだったさ。難しいことは考えず、その時その時の自分たちの心に正直だった。威勢がいいうちはいっしょに笑い合って、私にどこまでも付き従ってくれる。いまから思えば、そのことが嬉しくて、大きな励みになって、だから、私はみなから喜んでもらえるように振舞ってきたのだな。
直義:勢いのある方を選んで、利になる方に従えばいいなんて、そんな節操のない考え方は私には感心できないですね。
高氏:兵たちの心を引き止めたいのなら、大きな戦で勝ち続けることだ。戦というやつは勝った者が強いんだ。
〇山城の国・久我畷
錦小路殿N:同じ頃、足利勢とは別に鳥羽口から都を出発して、山陽道を進んだ追討軍は、山崎の手前、久我畷の地で早くも、先の帝に従う宮方の軍勢に進軍をはばまれることになりました。
伏兵:ははは。寄せ手の大将をただ一矢にて射落としたり!続けや、みなの衆、鎌倉方は総崩れだ!
〇丹波の国・篠村の荘
高氏:まさか!山陽道の追討軍が、たった一戦で壊滅しただと?
直義:六波羅探題からの急使でござる。大将軍はあえなく討死、負け戦で兵の大半は散り散りになって逃げていったようです。
高氏:まずいな。詳しい話が伝わったら、兵たちに動揺が広まる。
直義:早いうちに私たちは山陰道へ兵を進めますか?それとも、ここはいったん兵を退きますか?
高氏:出陣をやめたところで、戦況が好転する見通しはない。宮方はますます勢いづく。
直義:ですが、いまのまま戦に臨んだとして、宮方との戦に勝てると兄上はお思いですか?
高氏:時の勢いはいま、宮方にある。だが、いまのうちなら鎌倉方がまだ巻き返せる。ただちに出陣したなら、この陣中に集まった軍勢だけでも、船上山を落とすくらいはできるだろう。ただ……
直義:ただ、何なのですか?
高氏:直義よ。私は、伜の千寿王にお家を継がせてやりたい。
直義:……兄上?突然、あなたは何をおっしゃるのですか?
高氏:だが、私はお家を継ぐ立場ではない。生まれつきの血筋が違い、身分が違う、日陰者の身分なのだ。足利のお家にとって、私はいっときの中継なぎ、そのうちに嫡流にお戻しすることになる。足利家は千寿王に継がしてやれるお家ではない。この戦をどう戦うか、いま、ここで覚悟を決めておくことにしよう。
直義:……後醍醐帝の綸旨ですか。
高氏:乱を払いて四海を鎮むるは武臣の節なり。上杉の一族はまったく、大変なものを寄越してきた。関東征伐の策をめぐらし、天下静謐の功を上げよとここにある。お前はこれをどう思う?
直義:鎌倉武士としては裏切り者の悪名をかぶることになるでしょう。ですが、先帝の勅に従うわけですからね。大義は立つ。
高氏:そんなことを訊ねたのではない。
直義:でしたら、兄上は何をお考えなのです?
高氏:私たちはいま、老ノ坂を境にして、都からはほとんど目と鼻の先の場所にいる。そして、私の下には船上山討伐のために集められた兵たちがある。よいか。この時、この場所、たったいま都の間近にあって、最も強力な軍勢を動かすことができるのは六波羅探題でも宮方でもない、他でもない私たちなのだ。
直義:ええ。そのことは兄上の申される通りですが……
高氏:ここから都へ引き返して、六波羅探題へ攻めかかったら、都を押さえることができる。天下の形勢は先帝の側に大きく傾くぞ。みなの考えは変わる。宮方の勢いはもう止まらなくなる。
直義:……兄上!あなたは、恐ろしいことをお考えだ。
高氏:恐ろしいと思うか、直義は。
直義:ええ、恐ろしいですとも。先帝の御謀反が成就するか、武家の世がいまのまま続くのか。鎌倉方か、宮方か、ここでお味方をした方が勝利すると兄上はお考えなのでしょう。いいかえるなら、どちらを勝たせるか、いまなら兄上が決めることができる……
高氏:御家人の本分は一所懸命、家と所領を守り抜くこと……亡き父上のお言葉だ。しかし、我が子のため、孫たちのためだと申すなら、私は、これまでの足利と同じではない、ずっと立派なお家を残してやりたいのだ。
直義:恐ろしいお考えです。兄上はいったい何がお望みなのでしょうか?これから行おうとすることに賛同をお求めですか?それとも私は兄上をお止めするのがよろしいのですか?
高氏:何を申すか?
直義:鎌倉方に従っていても、いままでの通り鳥かごの中で飼われるような生き方は何ら変わらない。だったらいっそ宮方についた方が御自分の手柄を高く売りつけることがかなう。千寿王どのの前途も開けるとお考えになったのでしょう。それは虫のいい考えというものです。兄上は鎌倉を討って、先帝を、後醍醐帝を天子のお位に再びお戻しできればよろしいのでしょうか?鎌倉幕府の支配は傾いてきたとはいえ、御親政が始まれば天下が無事に治まるということにはならないはず。いままでよりもずっとひどい、末世がやってくるかもしれない。それでも兄上はよろしいのですか?
高氏:やめないか、直義。口が過ぎるぞ。
直義:やめませぬ。前にもいつか申し上げましたが、後醍醐帝のお振舞いに兄上は心を動かされている。いいや、兄上御自身の中にある願いや望みを、先帝のお姿に重ねて見ようとしていらっしゃるのです。けれども、先帝と兄上は同じではない。不遜なお考えだ。
高氏:私の願い、私の望みを先帝に…そうなのか、他の者の目からはそんな風に見えるのか
直義:お気を確かにお持ちください。綸旨にあるから、考えなしに従えばよいというものではないでしょう。足利家の御当主は兄上なのです。兄上御自身のお考えで、この戦をどう戦うか、お選びください。
高氏:私の考え、か。登子どのにも同じことをいわれたな。私自身の考えで選び、どうするかを決めたらよい、と。
直義:そうしてください。討幕の綸旨に従うか、従わないか……
高氏:だから、私は自分の考えで選んだのだ!どうするかを決めたのだ!
直義:あ、兄上……?
高氏:よいか、直義。いま、天下は私の手の中にあるのだぞ。天下を私の手で動かすことができる。足利の家の日陰者として生まれたこの高氏の手で!千載一遇の、二度とない機会ではないか。足利のお家、足利の所領……幕府の御恩を頼みにして、大過なく、後生大事に奉公を勤めて生きるのが、御家人として、八幡太郎義家公の後裔として誇るに足る生き方といえるのか。いいや、そんなはずはない。日陰者の生き方はうんざりなのだ。
直義:兄上、落ち着いて。あなたは舞い上がっているのです。
高氏:そうさ。直義、お前は胸が騒がないのか?私たちがどう戦うかで、これから先の天下が動く。天下が変わる。いいや、後先はどうでもよい、私の望みはただ一つ、この手で天下を動かし、天下を変えてやることだ。いまだから、それができるのだ!
直義:とんでもない跳ねっかえりですね、あなたというおひとは。鎌倉に叛くのですよ。これから先は、帰る場所を失うことになる。
高氏:だったら、手ずから作ってやればいいのさ。新しいお家をな。
直義:そこまでの覚悟がおありでしたら、よろしい、私はもう止めませんよ。兄上のやりたいようにおやりなさい。それで上手くやったら、みなは喜んでついてくることでしょう。
高氏:ああ、一番鶏だ。
直義:夜明けですね。さ、これからは毎日が慌ただしくなる。
高氏:そうだ。私には望みが、もう一つあった。
直義:何でしょうか?
高氏:日本一の武士になりたい。武家の棟梁になりたい。
直義:六代さまの御遺言ではないですか。また、大きな望みだ。
高氏:母上の願いだった。幼い頃から、何度となく聞かされてきたものさ。お前は日本一の武士になるのです、とな。
〇鎌倉幕府・政庁五月二日
守時:何だと、足利家の者たちが?
武士:はい。奥方、御子息をはじめ、一族の者たちはことごとく鎌倉を出ました。
守時:信じがたい。出陣中の高氏どのから、指図があったか?
武士:御執権。ただちに追手をかけますか?
守時:いや、その必要はない。捨てておけ。
武士:しかし……
守時:捨てておけ。女子供の行方を追うよりも、その前に手配する大事が山ほどあるわ。これから鎌倉は死ぬほど騒がしくなるぞ。
武士:……はい。
守時:どうやら私は高氏どのを見誤っていたらしい。この守時は中継ぎの執権職をまっとうして、幕府を支えることができればよしと考えておったが、高氏どのは私とは違い、中継ぎの当主程度に収まる器ではなかったのだ。さて、そうなると私は途方もない男に力と機会を与えたことになる。思いがけないところで足下をすくわれたものだな。
〇早朝・篠村八幡宮境内五月七日
高氏:みなの者、心して聞くがよい。いまから我が軍は老ノ坂を越えて、京の都へ引き返す。そのまま洛中を横切り、まっしぐらに六波羅探題へ攻めかかる!ただいま、この時をもって、天朝の親軍として我らは起つ。日輪はいま、まさに天上の高みへ昇らんとしておる。いざ、日輪の下へ向かえ。老ノ坂へ進め。朝敵は都にあり。都の東向こうの六波羅に、否、坂東鎌倉の地にこそあり。
兵一同:おおーっ!
〇夜・六波羅探題五月七日
錦小路殿N:五月七日早朝、丹波の国篠村八幡宮の境内で討幕の旗を上げた高氏どのは、宮方の軍勢を糾合すると、その日のうちに山陰道を引き返して、京の都へ総攻撃をしかけました。市中を焼け野原にする合戦は昼夜にわたり、六波羅探題は奮戦むなしく、翌朝を待たずに遂に焼け落ちたのでございます。
〇鎌倉東勝寺五月二十二日
錦小路殿N:六波羅探題の陥落が伝わると、関東においても、あちらこちらで御家人の離反が相次ぎ、反乱の兵力はたちまちに数万余の大軍に膨れ上がったのでございます。そして、五月二十二日。反乱軍は鎌倉へとうとう襲いかかり、市中のいたるところに火を放ちました。北条高時さまはこの時まで付き従った御一門、御家来衆ともども、北条氏菩提寺の東勝寺に本陣をお移しになり、ことごとく御最期を遂げました。その数、八百七十人余であったと伝わっております。
高時:あははは。燃える、燃える、鎌倉の街が燃えておる。美しいのう。これほどに艶やかで、絢爛豪華な光景が他にあるだろうか。わしはこれを見るために生きてきた心地がするぞ。おお、いよいよ、戦が寺まで近づいてきた。犬合わせはずいぶん楽しんだが、これはまた格別、死に物狂いの人同士の合戦だ。ははは、どやつも犬よりも浅ましく、血みどろで殺し合っておるわ。みな、楽しめ。心ゆくまで楽しめ。生きておることを楽しめ。こんなに愉快な一日はかつて覚えがない。いや、面白し。ひとさし、この入道が田楽を披露してやろう。
〇船上山行宮五月二十三日
後醍醐天皇:……高時法師の天命はすでに潰えた。鎌倉は落ちた。都へ還幸をなるぞ。いまの例は昔の新儀なり、朕が新儀は未来の先例たるべし。
〇二条内裏六月六日
錦小路殿N:後醍醐帝が船上山から下りて、京の都へ御還幸になったのはこの年の六月六日の出来事でございました。同じ日、鎌倉幕府と決別してから都にとどまっていた高氏どの、直義どのは、朝敵討伐の殊勲者ということで内昇殿を許されて、後醍醐帝との謁見に臨むことになったのです。
高氏:帝はいったい、どのようなお方かな。
直義:いまさら、何を申しておいでなのですか。兄上は。
高氏:お噂を耳にするばかりで、拝謁の機会をたまわるのはこれが初めてだろう。帝の綸旨にああして従いはしたものの、私が承知することと申したら、並みの者ではとうていかなわない、途方もないお方ということばかり。
直義:私だって同じですよ。東国の御家人の、部屋住みの日陰者が、帝にこうして拝謁がかなうなんて、何だか現実感がない。
高氏:私が心に思い描いた通りのお方なのか、大違いか、裏切られることにならないか。確かめるのがいささか怖くなってきた。
直義:兄上は悔やんではいませんか?
高氏:悔やむとは、何のことだ。
直義:帝にお味方をしたことをです。鎌倉の御家人のままでいた方が、たとえ窮屈でも、大過のない一生を過ごせたかもしれない。
高氏:その話か。後になって悔やむから、後悔と申すのだ。あんなことはやめておいたらよかっただの、お前は何を血迷っていたのだの、後まわしでよいなら、いくらでも悔やんでやるさ。私は腹をくくった。前を向いて、どこまでも突き進んでやるだけだ。
直義:それでこそ兄上らしい。兄上はいまも、根っこは昔のまま、小童の頃から変わらないばさら者だ。
高氏:いまになって、ようやく気がついたか。足利の小伜、又太郎どのは跳ねっかえりで恐いもの知らず、手のつけられない暴れん坊のばさら者よ。あはははは!
錦小路殿N:この時から後醍醐帝の御親政、世にいう、建武の新政が始まりました。この親政がどのような顛末をたどったのか、また、高氏どのと直義どのはその中でどのような役割を果たすことになったのか、それはまた別の物語でございます。
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