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詩を音で味わう
詩の本質は音にある
詩の本質は音にあります。そもそも、詩は人類が文字を持つ前からありました。また、日本語のように文字を持たない言語にも詩は存在します。文字にこだわりを持つ様になったのは印刷が普及した後のこと。文字の装飾やレイアウトによる絵画的表現など、見ていて楽しいとは思いますが、これ、音読したら何の効果も得られませんよね。逆に、面白い読み方が出来る詩でも文字に落とせば他の詩と何ら変わるところはありません。
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詩を聴いて味わう
詩を音で味わう方法として、一般的なのは朗読です。次に歌になっているもの、更には動画になっているものを聴取、視聴するという方法があります。筆者がこれまで経験した事があるものは以下になります。
①インターネットで
・Youtubeなどにアップロードされている無料の動画や音声
・公開されているファイルのダウンロード(無料)
②Audiobook
・各種Audiobook(無料/有料)
③読み上げソフト
・読み上げソフトの利用(無料/有料)
④読み上げサイト
・読み上げサービス(無料)
⑤朗読CD
・各種朗読CD(無料/有料)
・音声CDつき書籍(有料)
⑥ラジオ
・ラジオ番組のチェック(無料)
詩を音読して味わう
詩を音で味わう方法として、もうひとつ代表的な方法が自ら音読することです。世の中には朗読をしたり聴いたりする事が好きで、同好の人同士で集まって朗読会を開いたりする事もある様ですが、筆者はそういった物については、一人で味わいたいのでそういった物の実態や、何が良いのかは理解の範疇の外にあるので記述する事は出来ません。
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音読の実践
入出力
筆者の音読練習は基本的に「よく聴いてよく音読する」の繰り返しです。これを勉強対象の言語すべてについて実行します。この時余り意味については意識しません。まずは音的な面白さや味わいを感じとり、それをそのまま真似る様に自分でも読む、という事を繰り返します。あと、現代日本語(標準語)は聴くのも音読するのも対象外です。理由は後ほど述べます。
意味を考えるのは気になった時だけ。音に慣れてから、詩人が何を語ろうとしたか(心)、どんな言葉を使って語ろうとしたか(言)、どのように語ろうとしたか(技)の3つをふまえながら全体を把握します。最後に湧き上がってくるのが「自分はどのように感じたか」になります。
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朗読法
西洋言語や中国語(筆者にとっては主に古詩、唐宋詩)には詩の朗読法というものがあって、色々なパターンが考案され、お手本となっています。現代日本語(標準語)にはそもそも詩という定義が無く、我々が「詩」と呼んでいるモノは、あくまでも便宜上そう言っているだけのしろものなので、当然決まった朗読法もありません。一方、詩吟というものがありますが、筆者は江戸時代後期に始まった歌謡の一種で、一般的な朗読とは異なるものとして考えています。
このように、お手本となるパターンがないせいか、日本での詩の朗読は、それぞれが思い思いに読んでいるだけで、実質的にはただの「棒読み」になっているものが多い印象です。基礎がないからたまたま「上手な」人が読んでいれば聴き入ってしまう事もありますが、それは体系立ったノウハウの力ではなく、個人の能力によるものです。あくまで個人に根ざすものであり、ある種の目標や理想にはなるかもしれませんが、誰もが目指すべき標準的なお手本ではありません。
なので、筆者は現代日本語を使う場合は前に別言語で聴いた印象深い詩のサウンドを日本語で真似る様な読み方をします。また、筆者は現代口語詩については基本的に自分の作品しか音読はしません。
演出
欧州では吟遊詩人がいて各地を渡り歩きながら見聞したことを歌い上げたりしてました。吟遊詩人は宮廷で恋愛詩を歌うだけでなく、市井においては街角で見聞した出来事やニュースをいち早く民衆に伝えるかわら版売りのような活動もしていました。それは一般大衆の娯楽のひとつであり、吟遊詩人は自らのいでたちや音楽や声色、調子など、人々の注目を集める為の演出を心掛けていました。
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詩をドラマチックに読むケースもあります。情感を込めたり些か芝居がかった読み方をしたり、動画やBGMに載せたり、あるいは舞台照明などを工夫する事も。それどころか詩劇や戯曲のように、セリフが詩になっていて、舞台で大勢の聴衆に聴かせる事を目的として盛り上げるための大袈裟な演出を伴っているのです。
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人によってはこうした演出は、本来詩が持つ言葉の力を損なうとして嫌うこともあります。文字だけ、あるいは読むにしても一切の喜怒哀楽を捨てたニュートラルな調子を大事にするのです。凝った演出により、その演出によるイメージが貼り付けられてしまい、自由に創造力をふくらませて楽しみたい思いが阻害される、という主張です。
これには一理あると筆者は思いますが、詩人本人がどのように読まれる事を望んでいるかは文字だけからだと想像出来ないので、それも含めて表現の醍醐味として味わう事にしたい、と筆者は考えます。筆者はそれで阻害される様なヤワな創造力って何なの? と思うのです。
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読み上げアプリ
テキストの読み上げ
以上は近年密かに力を入れているのがテキストを音声に変換してくれる「読み上げアプリ」に詩を読ませてみる、という方法です。何故それが良いかというと、自分が作った作品を聴く事が出来るからです。
他の方法では過去の名詩を鑑賞するには申し分ありませんが、自分が書いた詩を音で味わう事は出来ません。それをする為には自分で読むか、誰かに読んでもらうしかないのですが、読み上げアプリはその要求に応えてくれます。
但し、読み上げアプリはテキストを音声に変換してくれるものであり、通常の文章や会話文を前提としているので、詩文を読ませると、多少読み方が期待とは違う結果になってしまう事があります。アプリによってはイントネーションの微調整が出来るのでこれを使ってイメージに近い状態に仕上げる必要があります。
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更なる期待
筆者は文語体も読み上げたいのですが、手持ちの口語版読み上げアプリだと仮名文字の発言が書いてあるままだったり、漢字の読みが期待通りでなかったりします。修正すれば対応出来ない事はないのですが、修正箇所が多くなり過ぎてしまい、現実的ではありません。試用記などを読む限りは商用、フリー問わず文語体の読み上げが出来るのは一太郎プラチナ版付属の詠太のみのようです。
一太郎プラチナ版は結構お高いので、これは最終手段として、とりあえずは他の選択肢はないか捜してみる事にします。
予想外の効果
読み上げアプリを使っていて予想外の効果に驚いた事があります。それは推敲に役立つ、という事です。一度作ってしまえば他の事をやっていても難度でも聴けるので、誤字脱字を発見したり、区切り方の違いに気づいたり、意外と気付かされる事が多いのです。
また、声色の性別、年齢や高さ、読むスピードなども変えられるので、その変化により気付く事もあります。音の心地よさやリズム感については機械的に読んでくれるからこそ目立つ事もあり、詩作の上でヒントや参考になったりします。
今後のために
せっかく任意のテキストを読んでくれるものが手元にあるので思い切り利用しない手はありません。筆者の場合は成人男女、少年少女、男児女児、ロボット声などが揃っているのでこれ等を組み合わせてそれこそドラマや詩劇を作ったりしようかと考えています。