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備忘📝 ゆびぱちを通して体感した詩の楽しみ方

昨年から、朗読熱が止まりません。

朗読を聴くのも好きですが、
自分で読むのが楽しいのです。

前回の、
AIが翻訳出来たとしても
自分が翻訳しない理由にならない

とも通じます。

誰かのためでなく、
自分のために読むのです。

最近まで、音読を楽しんでいた本を
1冊ご紹介します。

哲学者の、谷川嘉浩さんの紹介で
読み始めた詩のアンソロジー。

斉藤 倫さん著
ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集 (福音館創作童話シリーズ)

「こんな風に楽しかった!」を
少し、お話したいと思います。


本は、「ぼく」の目線で語られ、
「ぼく」の家に遊びに来る小学生の小さな友人
「きみ」との会話で繰り広げられます。

2人の会話は毎回、「きみ」が「ぼく」の家に
ずんずんとあがってくるところから始まる。

そして、大抵、「ぼく」は何かを温めて
食べようとしているところで、
「きみ」と語りながら
食べものが冷めていく手前で
本を取り出し、「きみ」へ差し出す。

そこにある詩をよみあげ、
2人の大人と子どもによる解釈が
台詞を通して語られる。

この本の魅力は、
語ると尺が全く足りなくなるのですが、

・飯テロ(枝豆や、焼きそばの青海苔と生姜が恋しくなる)

・詩の解釈を、断定せずに2人の会話から一緒に揺れを楽しめる

・「きみ」が眩しい、眩し過ぎる

・2人以外のそこに不在する登場人物を妄想で楽しめる余白

・現代詩の良きところをつまみ食いできる

・詩もそうだけれど、2人の会話のテンポが絶妙で、音読したくなる日本語

が代表的なところではないでしょうか。

詩ってどう読むんだろう?
の入り口
として、ゆびぱちはおすすめです。

あくまで詩を解説するのではなく
「ぼく」と「きみ」が詩を通して
どう感じたか?、

「何かが落ちたんだろうな」
「らるらるって、言い過ぎ」
「ほんとうのことを言っている気がする」

などと語り合う様子が、
詩への自由なアプローチに
背中を押してくれます


例えるなら、
美術館の中での会話を聴いているよう。
(お喋り禁止の美術館も多いので、可能なケースとして)

子どもである「きみ」
詩人だったお父さんの面影を感じる「きみ」
が、詩をよみすすめながら
少しずつ変わっていく様子に
心が震えます。

詩も、物語も
きっと時をおいてみなおしたら
解釈は変わっていくのかな。
いま、目の前の人と解釈を
分け合えることの儚さ、尊さ

わたし達はきっとそんな
思い出をつくるために生きているのかも。
なんて。

わたしはこの本を全編、
音読をしながら読み進めました

こんな読書の仕方は初めてでしたが、
この本はそれが適していたように思います。

詩って、どこまでが詩?
ということを語れるまでの知見はないですが、

声に出して読みたくなる欲をわかせる力
が詩にはあると強く感じました。

そう思うと、ゆびぱちは
詩をキュレーションした一冊のストーリーでは
あるものの、
ゆびぱち自体もわたしにとって詩でした。

…と、

ここまで徒然と語りつつ、
実はstand.fmでも語っています。
それでも足りん、と思うくらいにロス。

ぜひまだの方は、一緒にロスりましょう。


ラジオの中でも触れましたが、
今年の抱負を3つ。

① ゆっくり
② ノリツッコミ(100%受け取ってから、返す)
③ 50/50(インプット/アウトプット)

を心掛けています。

ので
これからも朗読やラジオを通して
楽しみながら精進出来たらいいなと思います。

では、また。

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