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人生を棺に仕舞う人

祖母が亡くなり、通夜や葬儀で慌ただしい数日間だった。

近しい身内に不幸があると、その親族は途端に葬儀会場の確保や必要書類・物品の手配、親類縁者への連絡といった雑務に追われ、心静かに悲しみに暮れている暇は、あまりない。
通夜・葬儀というものは、どうしても通過儀礼的な性格が強いので、基本的な段取りやタイムスケジュールはおおよそ決められている。その時に参列者の気持ちの整理が付いていようが付いていまいが、時間になれば、その人々の心の上をまさに"通過"していくかのように各種儀式が淡々と進んでいくのだな…と、こういうイベントが起こるたびに思う。

ただ、その淡々と進む儀式の中にあって、毎度きちんと私の心を打つものがある。
それが、湯灌・納棺の作業だ。

湯灌(ゆかん)とは、遺体を入浴させて洗い清めること。その後に服を着せて死に化粧を施し棺に納めるのが、文字通り納棺となる。映画「おくりびと」のイメージ、と言うと分かりやすいかもしれない。

このあたりの手順は地域や宗教、葬儀会社によっても大きく異なるようだが、祖母の場合は、葬儀場内の一室に組み立て式プールのような簡易設備を持ち込む形で、湯灌・納棺をしてもらった。
時間通りに部屋に3人の納棺師さんが来られて、着々と準備が進められていく。祖母の遺体がプールの上に移動し、身体にバスタオルが掛けられ、まずはその上からお湯をかけて身を清める。直接身体を洗う際は、遺族からは見えないように上手くバスタオルで隠される。一通り全身を洗い終えたら、謎の設備によってお湯がスルスルとどこかへ流れて消える。その間に全身を拭く。
改めて祖母に着物を着せ、ポカンと開いたままだった口も上手く閉じられ、唇に薄く紅を差し、棺に納める。

終始静かで、それでいて一切の無駄な動きのない一連の流れ。
黙々と作業を進めなければならないものの、遺体を物のように扱うことは許されないし、段取り良く進める必要はあるものの、事務的にこなすだけの仕事になってもいけない。納棺師さんたちの、その静かに洗練された一挙手一投足に、私は目と心を奪われる。

これは、すごい仕事だ。
遺族が見ている前で、一人の人間の、人生最後の身支度を請け負うのだ。死人を扱う仕事でありながら、その人の生き様に一番近くで触れているようにすら思えた。
色々な意味でキツい仕事であるだろうことは想像に難くないけれど、それでも納棺師さんたちが作業する様子は常に穏やかで優しく、祖母の身体だけでなく、その作業を見守る過程で遺族の心に去来する様々な感情まで、一緒に棺の中に納めてくれるように感じられた。

湯灌を終え納棺された祖母は、「遺体」から「旅立ちの身支度を済ませた人」に変わっていた。
あの「おくりびと」の英語タイトルが「Departures」であるように、出発の準備が整えられたのだ。

通夜・葬儀に比べると内々に行われるため立ち会う機会も少ないものだが、湯灌・納棺は故人を見送るにあたって非常に重要な儀式であると、私は思う。そして納棺師さんたちには、最大限の敬意を払いたい。

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