ドラマ制作の夢を追って転職。その道は険しかった。
はじめまして、初投稿です。
転職を2回経験し、現在3社目で働いているアラサー女子のぴすけと申します!
自己紹介がてら、ざっと職歴をお伝えするとこのような感じです。
①新卒で大手飲料メーカーに就職
②制作会社に第二新卒として転職
③配給会社へ転職(←今ここ)
現状一番長いのは、ドラマのAPを4年やった経歴です。
この記事では、そんな私が右往左往しながらも、「私らしさ」を重視して歩んできた道をお伝えできたらと思います!
◆将来の夢を抱く
私は長年、映画やドラマ制作に携わりたいと思ってきました。
そう思うようになった事の始まりは、小学生まで遡ります。
映画館でエンドロールに流れる膨大な名前を見て「この人たちがワクワクする時間を作ってくれたのか!」と小学生ながらに強く感じ、いつか自分もそんな人になりたいと漠然と思うようになりました。母から、皆をまとめるのは“プロデューサー”であると教えてもらった私は、小学校の卒業文集でもそう書き記しています。(ちなみに幼稚園の卒園時は、パン屋さんのレジの人でした。笑)
以来、その目標はずっと変わっていません。
とはいえ、中高と過ごす中で特別それを意識はせず、将来の選択の幅が広がるようにと一般の大学へ進学し大いに人生の夏休みを謳歌しました。
就職活動では、”自分の新境地を開拓する”くらいの気持ちで、興味を持てそうな業界、企業をとにかく受けまくりました。もちろん、テレビ局や映画配給会社も受けましたが、ご縁がなかったようで…。
新卒で入社した会社はいわゆる大手で、周りも「すごいね」と言ってくれるし、同期も社員として誇りをもち、やる気に満ち溢れた人ばかりでした。そのような中、私は改めて自分の夢への道が閉ざされたことに気づき、ドラマ・映画制作の道に食い下がれなかった自分を責め続ける日々を送っていました。
◆思わぬチャンスに巡り合う
腐りかけていた時、偶然ドラマ制作講座が催されるのを発見し、いい加減諦めようと最後の記念に参加したところ、「仕事を辞める決心ができるならうちに来ないか」と声をかけてもらい、ひょんなきっかけで長年の夢であった制作の道に進むことになりました。
やりたくて仕方がなかったドラマ制作の仕事は、予想通り、超スーパーハードでしたが、とてもやりがいがあり、充実した日々を送っていました。
ただ、一つ誤算だったのは、やりたい気持ちに身体がついてこなくなり、自分で掴み取ったプロデューサーへの道を自らの手で終わらせる判断をせざるを得なくなったことです。(精神的に参ったとか再起不能になったわけではありません。。。)
今思えば、続けられたのでは?と思わなくはないですが、あまりの眠さに正常な思考ができなかったり、ふわふわして階段から落ちそうになったり、明らかに本来の自分のパフォーマンスが出せていないことに薄々気づいていたので、30歳になる前に何か別の道を考える必要があるのでは…と再び転職する決断をしました。
(仕事の内容は需要があるようでしたらいつか改めて…)
「私らしい働き方」=制作の仕事を通して多くの人に感動を届けること
本気でそう思っていました。
本当は過去形を使いたくないですが、現職は制作ではないのでそう言わざるを得ず…。(辛うじてエンタメの仕事には関わっていますが!)
きっと私は今、「私らしい働き方」を模索する渦中にいるのだと思います。
夢・やりたいこと云々ではなく会社員として順応することと、自分らしさを貫くことの狭間でせめぎ合っています。
順応すると決めればきっとできる。でもそれをしたら、何か大事なものを失い、取返しのつかないことになる気がするのも事実です。
もし異動や何か外部とのご縁が見つかったとしたら、もう一度挑戦したいと思っています。
“チャンスの神様は前髪しかない”
今何ができるのか、はっきりと分からないけれど、分からないからこそ、今一度「私らしい働き方」を見直しつつ、チャンスが来た時には逃さないよう日々努力する必要があるのかもしれません。
これまで、誰よりも先に自分の道を切り開いてきたつもりですが、近頃は友人の背中を見る機会が増えたように感じます。
そんな日々とさよならできるよう、小さな祈りを込めて…