アライグマ
毎日毎日、机にしがみついて勉強しているというのに、今日も朝から担任教師に「来年はもう受験生になるのだから自覚を」と、分かりきった小言を言われた。
尻を叩いてくれるのはいいが、特にのんびりした性格でもないし、やることはやっているはずだ。気が滅入ってしまう。
周りは反抗期の盛りからか、勉強をサボったり、大人の文句を言う者も多いが自分は反抗しようとは思わない。
よく友達から「大人びている」と言われるが、自分では無駄と思えることはしないようにしているだけだ。大人からもときにそれが達観しているように見えるらしい。自分でも多少の自負はあるが、どうしても自制の効かないこともある。どうしても制御ができない衝動がある。
「洗いたい」
物を洗いたいという衝動。
一度洗いたいと思うと、踏んでしまった靴底のガムのようにへばりついて頭から振り払うことが出来ない。思春期の頃の初恋の相手を想うときのように、もう誰の声も耳には届かない症状。
洗いたい物を見つけてしまった瞬間、衝動に襲われる。
それは逃れようがなく、野球部員が突然「へい!」と言われ、ボールを投げられるとキャッチしてしまうように、登山家の前にちょうど良い山が忽然と現れるように、避けることは出来ない。ジミ・ヘンドリックスの前にふとギターが置かれるように。洗いたい物を見つけてしまったらしょうがないのだ。
衝動がいつ訪れるのかは自分でも解明出来ていないので今のところはうまく付き合っていくしかないと思っている。
自分なりに解明に取り組んだこともあった。どんなものを洗いたくなるのか。
りんごやレモンは、よく洗いたくなる。アボカドは洗いたくならない。
どう違うのか。りんごは特に衝動にかられる頻度が高い。
ただ、衝動に駆られた対象を洗えた時の満足感、達成感はもはや万能感に近い。
洗っている時は何より僕の心を癒す。
綺麗なりんごを洗っている時なんかは格別だ。最高の気分だ。
汚れている物を洗いたいというわけではないのだ。汚れている物が綺麗になるのもそれで嬉しいが、綺麗なものをより綺麗にしたいというのもあるのだ。綺麗なりんごが、より洗われたりんごになると抱きしめたくなる。
先日、母親とスーパーへ行った時に青果コーナーでどうしても洗いたいりんごを見つけてしまい、買ってほしいと駄々をこねた。僕のどこが大人なのか・・・。お菓子を求める年頃であることを考えれば、りんごを求めるところは大人に見えるかもしれないが、スーパーで「買って買って」と駄々をこねる姿は年相応だった。なので、なるべくスーパーや青果店へは行かないようにしている。
このままでは私生活に支障がでてしまうのではと不安にもなるが今のところはそこまで大きな支障は出ていない。
僕は学校では清掃委員にはならない。特性を生かしていないのではなく、対象を見つけてしまった時に、こすりすぎてしまうからだ。
そういうリスク回避があらかじめ出来ていれば特に問題はないと思っている。
ただし運動会なんかは大変だ。避けられないこともある。
クラス対抗玉入れは全員参加だったので、玉を入れる競技というよりも「この玉を洗いたいという衝動をどうするか」というのが僕にとっての競技だった。
拾った玉をじーっと見つめていたら「早く投げろよ!」とクラスメートに怒られた。
リレーの選手には絶対にならないようにした。走っている最中にバトンを洗いたくなったら次の人に渡せなくなってしまうからだ。そのまま蛇口のあるところまで走って行ってしまうかもしれない。
僕の特性を生かすならボールを扱う部活のマネージャーになんかになったらボール磨きなんかはうまくやれると思う。個人的にもきっと磨いている間は至福の時間だろう。しかし「いつまで磨いてんだ」と言われるのも目に見えている。リスクを回避するのに限ったことはない。部活はなるべく活動的ではない部活に入った。「うちの学校なら美術部が良いかも」と友達が勧めてくれたが、デッサンでりんごを使う可能性があるのでやめた。リスク回避は大切だ。
慣れたリスク回避の日々の中、衝動を回避していたつもりだったが、久しぶりに衝動に出会ってしまった。その日は塾の帰りだった。電車の中、立って窓の外を見ていたのだが、ふと視線を下ろすと、目の前に座っている女性が買い物の帰りなのか紙袋を抱えて座っていて、その紙袋の中身が見えてしまった。そのときに激しい衝動が沸き起こった。
なんだ、あれは・・・。神々しく光っている。生唾を飲み込んだ。
「洗いたい」
凄まじい衝動だった。今までで感じたことがないほどの衝動だった。
見たことがない果物。ツヤ、大きさ、形。完璧だった。
何だろう。
調べて、自分で買うか・・・。
どうやって調べるのだ?
同じ物が売っているのか?
そもそも手に入る物なのか?この女性は買ったのか?誰かからのもらいものだったりしないのか?
先ほどまで休んでいた思考回路がものすごい勢いで動き出した。
訊いてみようか?なんて訊けばいいのだろう。僕にそんな勇気があるのだろうか。よし、次の駅でこの女性が降りなかったら訊こう。逡巡していると、次の瞬間自分でも驚く行動を僕は取っていた。僕はもう声をかけていた。
「あの、すみません」
チャンスはそうないのだ。声をかける勇気の持てない次の駅で降りてほしい自分と、紙袋のそれがなんなのか訊きたい自分が半分半分だったから、運命とこじつけて試してみたけど、結局ここで声をかけなかったらきっと後悔するのだ。女性が次の駅で降りてしまったらきっと後悔するのだ。
女性はもちろん驚いた様子で「はい?」と顔を上げた。
「それ、なんですか?」
「え?」
「その、紙袋に入っている果物です。」
彼女は怪訝そうに紙袋の中を覗いてからもう一度顔を上げ「ラフランス」と答えた。
「ラフランス」と僕は繰り返した。英単語の発音を教師の後に続ける授業を思い出した。
そして続けて何を言おうか考えていた。何しろ何の算段もなく声をかけてしまったので、あとのことを考えていなかった。とにかくどこで手に入るのかを聞き出さなくては。
以前、洗いたくなったマンゴーが高価過ぎて買えないことがあった。ラフランスがどれくらいの値段で手に入るのかも訊いたほうが良いかもしれない。
僕があれこれ思考を巡らせている間に僕の形相を推し量ったのか、女性は信じられない言葉をかけてくれた。
「ひとついりますか?」
「え?」息が詰まりそうだった。何が起こったのか。これが奇跡というものか。このままだとラフランスごと襲われるかもしれないと思わせるような顔をしていたのかもしれない。とにかく、これほど声をかけた自分の勇気を讃えたくなったことはない。喉の奥から声を出した。「いいんですか?」
「ひとつでよければ」と彼女は言った。
すべてのことに感謝したい気持ちだった。ここに至るまで止めに入らなかった周りの方々。この電車を走らせてくれている鉄道会社。この時間の塾へ通わせてくれている親。
そして次の瞬間、興奮した僕は余計なことを言ってしまった。
「洗って返しますので」