pisttakiguchi

吉本興業6期生飯能BBQの滝口と、7期生ピストジャムの2人が文を綴るNOTEです。

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吉本興業6期生飯能BBQの滝口と、7期生ピストジャムの2人が文を綴るNOTEです。

最近の記事

閻魔大王やったんかい/ピストジャム

 昼間の新宿はおもんない。今日は特に天気いいから、余計おもんない。沖縄ぐらい晴れてるやん。9月やのに暑すぎるやろ。残暑のレベル超えてんねんけど。  うわ。東口の広場のライオンめっちゃ光ってる。あれ塗り直したんかな。あんなに金色やったっけ。  アルタ前もドンキ前もシケてんな。誰もおらんやん。いや、いるのはいるけど。でも、ほぼ人おらんやん。歌舞伎町はどうやねん。  出た、ゴジラ。歌舞伎町の不動明王か、はたまた魔都に鎮座する閻魔大王か。  合掌。ハリウッド版GODZILLA

    • 「嘘」/滝口

      三浦はいつでも嘘が見破れた。というよりわかってしまった。 人が嘘をつく時に出すサイン。左上を見るだとか、そういった類のものを瞬時に違和感として感じ取った。どんなささやかな嘘で、悪気のない嘘でも嘘であるなら、そこにある違和感を感じ取った。 三浦は初対面の人間にもそれが出来た。初めて合う人間の初めて目にする所作にも嘘の違和感を感じ取れた。 なので初対面での調子のいい、三浦に対する褒め言葉などにはいつも苦笑いしかできなかった。 ただ三浦も社交辞令に「嘘つき」と目くじらを立てて怒るほ

      • 苺/滝口

        昔から身体は大きかった。学年で集まれば頭1つ抜き出るので嫌でも目立った。その体躯に色んなスポーツクラブから声がかかった。しかし彼は不良の道を選んだ。 「なぁ、苺、今日もゲーセン?」 不良仲間が言ってきた。彼の名前は苺。親もなぜ我が子に苺という名前をつけたのだろう。果物の苺にはかわいいというイメージさえあるのに息子の苺はこんなに立派な不良に育ってしまって皮肉なものだ。さらに苺は強かった。誰にも認められる番長だった。トップに立つということでいえばショートケーキの苺そのものだった。

        • いちご取締法/ピストジャム

          「昨晩、路上でいちごを所持していた10代の女性2人をいちご取締法違反の疑いで現行犯逮捕しました。逮捕された少女らはクラブで外国人から買った。依存症はないと思っていた、と供述しているようです。それでは続いてスポーツです」  夕方のニュースを流しながらリビングで洗濯物をたたんでいた母は「ほんま物騒な世の中になったもんやな、10代の子がいちごに手出すなんて」とひとりごとのようにつぶやいた。私はソファに寝転んで携帯ゲームをしていたが、母をからかいたくなって「でも、海外やったら合法の

          星に願いを/ピストジャム

           アライグマのソフィーは夜になると毎晩お気に入りの丘の上で星を眺めていた。 「神様、どうか私を人間にしてください。私、あのキラキラ光るお星様みたいなアイドルになりたいの」  ソフィーはそう星に願って、今夜もふかふかのシロツメクサのベッドで眠るのだった。  春になり、丘の上は一面シロツメクサの花でいっぱいになった。  ソフィーは大好きなシロツメクサでかわいいかわいい冠を作った。  その冠をかぶったまま眠りについた翌朝、目が覚めるとソフィーはかわいらしい人間の女の子にな

          星に願いを/ピストジャム

          アライグマ

          毎日毎日、机にしがみついて勉強しているというのに、今日も朝から担任教師に「来年はもう受験生になるのだから自覚を」と、分かりきった小言を言われた。 尻を叩いてくれるのはいいが、特にのんびりした性格でもないし、やることはやっているはずだ。気が滅入ってしまう。 周りは反抗期の盛りからか、勉強をサボったり、大人の文句を言う者も多いが自分は反抗しようとは思わない。 よく友達から「大人びている」と言われるが、自分では無駄と思えることはしないようにしているだけだ。大人からもときにそれが達観

          アライグマ

          滝口のプロフィール

          1981年7月生まれ。埼玉県出身。誰かに書いて渡すなら新聞の端っこの余白でさえ事足りてしまうくらいの僕のプロフィールです。 幼少期から山と川しかないような飯能市というところで育ちました。空気は澄んでいるし、河川敷にはどでかい石がゴロゴロしていて、景色を見ていると「ああ、このあたりは上流なんだな」と思わせてくれます。 この地域の方々は、ほぼもれなく西武ライオンズファンであり、僕ももれなく幼少期に父親に手を引かれ西武球場(当時はまだドームではなかった)へ連れて行ってもらい、見

          滝口のプロフィール

          ピストジャムのプロフィール/ピストジャム

           1978年9月10日、日曜日の昼1時頃に僕は大阪市天王寺区の聖バルナバ病院というところで産まれた。幼い頃に母から聞いたバルナバ病院という響きが強烈だったので42歳になった今でも忘れることができない。  父はサラリーマンで、母は専業主婦だった。僕は長男で、次男が産まれる3歳まで平野区の長屋に家族で住んでいた。おぼろげながら記憶に残っているのは浴槽がステンレスだったことと隣の家の前にいつも茶色い犬が繋がれていたことくらいだ。  父の職場は大阪だったのだが、京都の田舎の一軒家

          ピストジャムのプロフィール/ピストジャム