再発、移植をうけるまえに想像していなかった現実が突き付けられた
予後良好。
先生からは退院の時
99.9パーセント大丈夫。
好条件の発見と
大量の抗がん剤でがん細胞をたたけた為
皆が大丈夫だと思っていた。
でも、私は不思議と
終わった。。。とは思えなかった。
1つ思ったのが
昔とは違い不治の病では
ないんだと思えた。
2週間に1回外来で診察を受けた
その度、恐怖で前日は寝れない
唯一、安心出来たのは
外来で大丈夫と言われた日と
その1週間。
癌を経験した人は
皆、外来の度にビクビクして
言葉では表せない恐怖と闘っている。
3ヶ月後、マルク(骨髄穿刺)の結果を
聞きに外来へ。
先生の様子が暗い…
マルクの結果良くなかったんよね。。
って言われた。
「再発??」と聞いたら
「…うん…」との返事。
あー、やっぱりな。
って感じだった。
今回は緊急入院ではなく
1度自宅に戻って
治療開始しよ。との話になった。
先生も本当に予想外だったんだと思う。
誰も悪くないから
誰も責めれない。
なんで、病気ってあるんだろ。
誰も幸せにならないのに。
移植の前にもう1度よくがん細胞を
たたきたいからと
抗がん剤をうけることになった。
入院したら
元入院仲間の人達がお見舞いに
きてくれた。
同じ白血病のM3の人はとても
前向きな不思議な感じの人。
悪気はないんだと思うけど
M3で良かったーとよく言っていた
悪性リンパ腫の30代のお姉さんは
愚痴は吐くし、笑う時はいっぱい笑う
私は1番仲良くしてもらった。
その人は健康診断で肺に影がみつかり
そこからあれこれ調べ
悪性リンパ腫との診断をうけたらしい。
でも予後良好。
だから退院して本当に安心していた。
私が入院したのを聞いて
他人事ではないな。と思っていたらしい。
その矢先その人も再発。
私の1ヶ月後ぐらいだった。
私は移植前の抗がん剤を無菌室で
治療していた。
その時に、17歳の男の子が入院してきた。
ヤンチャそうな子。
移植を最初から視野にしないと
いけない種類の白血病だったみたいで
移植の準備を着々と進めていた
だけど、心臓に水が溜まったらしく
抜く治療を無菌室で行っていた
この病院は
大きな部屋に4室の無菌室がある
だから、プライバシーゼロ
この部屋は1番の無菌の状態を保っている
部屋だから仕方ないけど
なかなか辛い
17歳の子の心臓の治療がはじまって
少ししてから
テレビでしか聞いた事のない
音や先生、看護師さんの
必死な声。
無菌室だけどそんな事を言って
られないくらい人がバタバタと
出入り。心臓マッサージの音。
看護師さんが名前を呼ぶ声。
男の子は意識を取り戻し
「え、え、おれ、いま、え」
と、驚いていた
看護師さんが
「大丈夫、大丈夫」と
言っていたのもつかの間
また心臓が止まった様子
外で待っていたお母さんが
その子の名前を叫んでいた
多分、これは無菌室では
追いつかないとの判断が
でたんであろう
凄い連携で
移動して行った。
私とあとの無菌室に入っていた人は
その緊迫した声しか聞こえないが
扉がないとはいえ
無菌室の個室1人でとてもじゃないが
ドキドキがおさまらなかった。
心配して心療内科の先生や
看護師さんがきてくれた、、
怖くて号泣した。
その後男の子がどうなったかは
その時、聞けなかった。
だって、その17歳の子は
お風呂に入る時
私の病室の前を通り
普通にあるいて普通にお風呂に
入っていたのに
その数時間後にあんな事が…
ここで、私は本当に怖い病気なんだと
わかった。
わかってはいたけど、
全然違う意味で私の思考をかえた
移植…
私、怖くてうけれないかもしれない
10年過ぎた今でもあの日の事、
あの日の声、お母さんが息子の名前を呼ぶ声。
全部が忘れる事は出来ない。
白血球が少ないから
無菌室に居ないといけないけど
何日も寝れない日が
続いた為、白血球が少し上がったので
大部屋へ移してもらった。