「しなくてよい」苦労
基本的に苦労は必要だし、した方が良いと思ってる
では、しなくてよい 苦労とはなにか?
それは 同じ苦労 であると認識している
以前した苦労はしなくてよい
なぜならば現代において、それはなにも生まないからである。。
(繰り返して覚える苦労は覚えるまでを区切りとみる)
そもそも、どうして同じ苦労をするのかを考えてみると、どうも苦労から何も学んでいない
もっと言えば、苦労することを織り込んでいる様にすら見える節がある
個人的見解であるが、これは苦労ではない
ルーティーンかタスク (仕事) である
一昔前はこれが雇用創出になっていたから良かった
が、今はどうだ?
どこもかしこも人手不足である
こうなると、間違いなく出てくるのは 効率化 だ
効率化はひとり辺りの作業量、スピードが求められる
そんななかで、同じ苦労をし続けるのは最悪だ
人間らしい生活は到底出来ない。。こんな苦労をし続けて回す仕事に意義はない (というか淘汰される)
が、しかしだ。。
見てみると、旧態依然のそれを続けている
しかも若い人がだ。。
これはなんなんだろう?と観察してみた結果
学ぶ、変えるということとのトレードオフでどうも苦労することを取っているように見えた
先に述べたように、どこもかしこも人不足である
そしてこれはこれからもっと酷く、そして続く
効率化はどんどん進む
さて、これに追い付けていけるのだろうか?
私はこれに対する解を一応持っている
学ぶ、考える、変化に対応するだ
これをここ数十年してこなかった組織や人間はツケを確実に食らう
これは いつか必ずする苦労 だ
しなくてもよい苦労をし続けて、挙げ句の果てにいつか必ずする苦労に当たる。。
たくさん学んで、考えて、小さな苦労と改善を続けていれば、大きな苦労は結構避けられるんだけどねぇ
こういうのは言っても変わらないし、それこそ一度血と汗と涙を流してもらう必要があるんかなぁ
( •́ㅂ•̀ )