命乞いする蜘蛛と画家と妻
飲み仲間の平太郎に「金が入ったので高い酒をごちそうしてやろう」と誘われ、「はい喜んで!」とやつの住む長屋に向かう。
描いた浮世絵が売れたらしい。お前画家だったのか。
知り合ってからかなり経つが、酒を飲んでいる姿か部屋の隅に住み着いた蜘蛛に話しかけている姿しか見たことがない。
ただの無職の変人だと思っていたのに。いつ絵を描いてたんだ。
そしてそんな変人には美人で若い奥さんもいる。
軽く嫉妬を覚えつつ、いつも奢ってくれる良いやつだしまあいいか、と今日も高い酒を遠慮なくいただく。奥さんは留守らしい。
「さっきいいものを手に入れたんだよぉ」
しばらく二人で飲んで食べて気持ちよくなってきたところで、平太郎がごそごそと袖から紙包を取り出した。中には桃色の丸薬がいくつか包まれていた。
行きつけの飯屋で店主に絵が売れたことを自慢していたら、隣にいた行商人が「動物の話していることが分かる薬」だとこの丸薬を売りつけてきたらしい。
めちゃくちゃ怪しいな。
「これでそこの蜘蛛たちと話せるんじゃないかと思ってねぇ」
百歩譲って本当に動物と話せる薬だとしても、蜘蛛は無理なんじゃないだろうか。商人も想定していなかったと思う。俺もお前がそこまで蜘蛛と話したがっていたとは想定していなかった。
「さっき飲んでみたんだけど、まだ話し声は聞こえないなぁ」
飲んだのか。飲むなよ。
天井の隅を見上げる平太郎。そこには大きな蜘蛛の巣ができており、蜘蛛が3匹歩き回っている。
「無口なんじゃないの」と適当に返事をしていたら、唐突に声が聞こえてきた。
『ま、まて』
「…え?」
平太郎の声ではない。もっと若い男のような声だ。
平太郎を見るとクワッと目を見開き、静かにするようにと人差し指を上げる。
目線を追って天井を見ると3匹の中で一番大きい蜘蛛(メス蜘蛛らしい)が巣の中央で一番小さい蜘蛛(オス蜘蛛1)と向き合っていた。
メス蜘蛛の後ろで我関せずという風にもう一匹(オス蜘蛛2)がウロウロしている。
どうやってオスメス見分けてるんだ。
いやそんなことよりあの怪しい薬が本当に効いてるのか?
いやそんなことよりなんで俺にも聞こえてるんだ。
『き、急に別れるってなぜだ!一緒に暮らそうって言ってたじゃないか。』
これはオス蜘蛛1の声か。
蜘蛛が修羅場を演じている。薬の疑問を忘れて見入ってしまった。
『事情が変わったのよ。あなたには消えてもらうわ。』
しゃがれた声で不穏なことを言うメス蜘蛛。
蜘蛛の事情ってなんだ。
『頼む、やめてくれ!』
命乞いするオス蜘蛛1。
だがメス蜘蛛は容赦なく襲いかかる。
『ギャー!』
「やめてくれ花子~!」
平太郎が思わず声を上げた。名前をつけていたらしい。花子…?
平太郎の声は届かなかったようで、オス蜘蛛1は花子の餌食となった。
蜘蛛の巣が一気に凄惨な事件現場だ。
まさかこんなところで痴情のもつれによる殺人…もとい殺蜘蛛を目撃することになるとは思わなかった。
「充広ぉ」
平太郎がオス蜘蛛の死を悼んでいる。きっと自分の子供だと思ってかわいがっていたのだろう。気持ちは分か…まったく分からないな。
蜘蛛たちの会話も聞こえなくなったので、嘆く平太郎をまあまあと慰めつつ酒を飲む。
さっき聞こえていたのは本当に蜘蛛の声だったのだろうか。
ガラガラ。
盃を交わしていると、巣の方からまた音が聞こえてきた。
扉を開けて閉める音。
パタパタと近づいてくる足音。
声ではなく物音である。
平太郎と顔を見合わせる。
ガラガラ。
今度はすぐ近くで扉が開く音に二人してビクッとして玄関を振り向いた。
「ただいま!あら、また飲んでたの?」
平太郎の妻知朱だ。
あいかわらず若くて美人な奥さんである。
であるのだが。
「おまえ、そんな声だったか…」
ついさっき聞いたようなしゃがれ声。
「んん。ちょっと風邪ひいちゃって今朝から声がおかしいのよ。」
動きがギクシャクした夫に「もう、またそんなに酔って」と微笑み、散らかった皿や酒瓶を集めて台所に入っていった。
「…」
しばらく互いに無言で酒を飲む。
「おい…ちょっと今晩はお前んちに泊めてくれ」
やめろ。俺が殺されたらどうする。
あと今更だけど壁が薄すぎるぞ。
天井の蜘蛛の巣を見ると、先程よりもちょっと大きくなった花子が残ったオス蜘蛛にすり寄り、糸を絡めているように見えた。
了
「命乞いする蜘蛛」というテーマの作品となります。
匂わせる加減が難しい!
今回はMidjourneyで面白い絵ができたのでそれに合わせて結末を考えてみました。