純粋な恋愛は美しく、切なく、大人になればなるほど手に入らなくなる。
とある曲のミュージックビデオを見ていた。
高校生たちのさまざまな姿を映していて、まさにザ・青春ソングという雰囲気。
出てくる子たちも美男美女だけではなく、お世辞にも顔がいいとは言えない子もたくさん出ているあたり、妙にリアリティを感じる。
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僕は中学・高校と男子校に通っていた。
女子がいなかったから、恋愛ごととはほとんど無縁な時代を送った。一度だけ同じ塾の女の子を気になったことがあったが、結局あまり関わることもなく発展することはなかった。甘酸っぱさすら感じないほど希薄なものが高校時代の唯一の恋と呼べるものだ。
寂しい男である。
放課後。夏の祭り、花火。学校の屋上に忍びこむとか。
授業中目が合うだとか、くだらないことで言い合いになっても心の中ではにやけているとか、誰と誰が付き合ったとかの話で盛り上がったりとか、冷やかしたり冷やかされたりとか、相手の私服を想像したり、自分の私服で悩んだりとか。
そんなものも全て想像するしかない。
男子校なのになぜか彼女がいるヤツを理解できなかった。
電車通学で気づいたらカバンに連絡先が貼り付けてあったと言う話を聞いて、実家から自転車で通える距離を恨めしく思った。
付き合ったわけではないけど女友達と添い寝しておっぱいを揉ませてもらったってヤツをただただ羨ましいと思った。
何一つ恋愛経験がない思春期を今更ながらたまに悲しく思うことがある。
なぜ思春期の恋愛が羨ましいのか。
純粋で美しいからだ。
ただ純粋に、好きで、その人と一緒にいられればいいと思える恋になるからだ。みんなその頃の自分を最大限に美化し、頭に焼き付けている。
僕は大学生になってから初めての彼女ができた。何もかもが初めてで、素晴らしい恋愛だったと胸を張って言える。しかし、想像より冷静な自分もいた。思っていたほど浮き足立つことはなかった。思春期の恋愛と大学生の恋愛は違うとわかった。
男子と女子がしがらみなくじゃれあえるのは中学生と高校生だけだと思う。大学生にもなってじゃれあおうとすると、周りからはどうしても邪推される。
大学生の恋と思春期の恋の最大の違いは、下心があるかないか、だと思う。どれだけ綺麗事を並べても、基準がセックスに置かれる気がする。高校生にも下心がないわけではないだろうが、大学生以降は大人になればなるほど顕著になる。
セックスなんていっそなくなれば、みんないつまでも純粋な恋愛ができるとすら思う。大人になればなるほど、思い出に残るような美しい恋愛はどんどん減るだろう。
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みんな、恋愛のドキドキをもう一度味わいたい、と口にする。しかしそれはできない。なぜならもう真新しさはないからだ。一度経験したことからドキドキを得ることは難しい。
相手への接し方。距離の縮め方。付き合うまで持って行く方法。キスの仕方。セックスの仕方。わからないなりに手探りで進むからこそドキドキがあったのだ。
僕も同じだ。恋愛のドキドキを味わいたい。だけどもうだめだろう。
僕自身恋愛経験は多くないが、この間は友達に“ピロリっていろいろ手慣れてるよね”と言われてしまった。恋愛に関してお世辞にも得意とは言えないが、大体の流れはある程度わかってしまっている。
無駄に洗練されてしまった価値観で、今後常に冷静に恋愛に臨んでしまうであろう今の僕は、何もわからなかった荒削りな状態に戻りたいとすら思ってしまう。
何よりも初心に戻りたいと願いつつ、何よりも初心に戻れないのが、恋愛なのだろう。
下心やお金とかステータスとか、そんなもの全部とっぱらいたい。
将来性なんか考えるヒマもないほど相手にのめり込みたい。ただこの人とずっと一緒にいたい。この人といれれば何もいらない。そう思える恋愛をもう一度してみたい。
むずかしい、か。
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