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【薄い本】Rote Stöckelschuhe (後編)

Ein Mensch nicht von einem Wolkenkratzer herunterspringen, ohne sich zu verletzen oder zu Tode zu kommen.

※こちらは【後編】になります。必ず【前編】からお読みください。


・・・


飛べない。飛べない。飛べ、ない。
何故?あれだけ待ち望んだ瞬間だ。何故飛べない。

飛ぼうとした。しかし、どうしてもあと一歩が踏み出せず、後ろにへたり込んでしまった。その後何度もトライしたが、一向に飛べない。
下を見ることは出来る。淵に足を置くことも出来る。でも、えいやっと飛ぼうとすると、襟を何かに掴まれたかのように後ろに下がってしまう。

わからない。わからないが、死ぬのが怖い。ストッキング越しに伝わるコンクリートの冷たさが私の心を縮こませ、ぽろぽろと涙が溢れ出す。これは何の涙だろう。
この日があるから、今まで生きてこられた。この日があるから、どんなことでも耐えてこられた。
色々準備をしてきた。慣れないオシャレに、慣れないお化粧。全てはこの日この時の為に。
今更引き下がれない。なのに、死にたくないだなんて思ってしまう。生きていてもいいことなんてなにも無いのに。


・・・


ウーウーと、何かのサイレンの音が聞こえる。
気づけば最初に飛ぼうとした時からかなりの時間が立っていた。ビルの下を覗き込むと、いつの間にか人だかりが出来ていた。パトカーが2台止まっている。人だかりの中の誰かが私を見て通報したのだろう。

もう一度だけ。もう一度だけチャレンジしよう。涙でぐしゃぐしゃになった顔で、再びビルの淵に立つ。
やっぱり怖い。死ぬのが怖い。
痛みはきっと一瞬だ。でも、その一瞬の後にはどんな世界が広がっているかはわからない。三途の河というものがあるのだろうか。真っ暗な世界を彷徨い続けるのだろうか。あるいは、意識が途切れた瞬間私という存在はブツッと消えてなくなるのだろうか。興味はあるが、知りたくないと思ってしまう。あれだけワクワクしていた心は、すっかり閉じこもってしまった。こんな時に、昨日コンビニで何気なく買ったひじきの美味しさが蘇る。



コトッ

背後で音がした。その音で我に返り、後ろを振り向く。並べて置いておいたハイヒールの片方が、風で倒れていた。何処かからの明りを跳ね返し、妖しく光っている。スポットライトを浴びているようだ。

なんて綺麗なんだろう。

私がこの真っ赤なハイヒールに惹かれた意味が、唐突に理解できた気がした。
私はこのハイヒールを履きこなしたくて買ったんじゃない。私は、自分の最期を最高に飾りたかった。このハイヒールなら、私の最期を後押ししてくれると思ったんだ。
ハイヒールを履いてここに来るまでの私は、とても堂々と歩いていた。何も怖くなかった。街も、人も、死、すらも。
この赤色が、私を強くしてくれた。真っ赤なハイヒールを履いて、私もスポットライトを浴びることができる。
私は、妖しく光るそれを再び履いた。自分の心を包んでいた黒いものがとろとろと溶けていく感覚。心が落ち着く。恐怖が消え失せる。自分でも気づかぬうちに、笑顔を浮かべる。何を怖がっていたのだろう。くだらない自分のくだらない夢を、盛大に叶える時が来たのだ。


下を見ると、大勢の人たちが私を見上げていた。

心配そうな顔をする人。
誰かに電話をする人。
腕を組んで高みの見物をしている人。
カメラを構える人。

皆、自分の予定を途中で止めて、私を見ている。

私を、見ている。この、私を。

今、この瞬間は、私は皆から注目を浴びている。皆の声が聞こえる。

『飛べ』という声が。

さながら、オリンピック選手の演技を見つめる観客のよう。皆、私に期待している。心配するフリをして、私が飛ぶところを、私が死ぬところを、目に焼き付けたいとしている。
私、今、生まれて初めて、誰かに期待されている。
待ってて。今、私の最高の死を、貴方達に見せてあげる。



『待て!やめろ!落ち着いて!』

背後から声がした。警官だった。
あなたたちに止められるもんですか。再び向き直り、グッと脚に力を込める。
しかし、その瞬間後ろから警官に羽交い締めにされた。

え?何?やめて、離して。離してよ。やっと、ここまで来たのに。やっと、飛べるのに。やっと、死ねるのに。

私は暴れた。しかし、警官は男。力も私が叶うものではなく、私のジャンプ台から徐々に引き離される。もう1人の警官が、無線で何処かに連絡をしている。確保しました、だって?冗談じゃない。私を何処へ連れて行くの。

遠くなる。死が。
やっと手が届きそうだったのに。再び涙が止まらなくなった。しかし今度は、恐怖の涙ではない。ジャンプ台の向こうから、大勢の深いため息が聞こえてくるようだ。

私はより強く暴れた。すると右足からハイヒールが勢いよく脱げ、ビルの向こうへと落ちてゆく。世界がスローモーションになり、私は必死に手を伸ばす。
待って、やめて。置いていかないで。あなたがいないと私、死ねない。怖い。助かりたくなんかないの。私は、私は…


・・・


私は今、真っ白な部屋にいる。
ベッド以外は何もない。
毎日医師と少しお話しして、あとは何もない毎日。でも、何もない毎日には慣れていた。むしろ、生きていく上でのストレスが減っていいかもしれない。今まで私には味方と呼べる人はいなかったが、ここの人達は皆優しい。真っ暗になるはずだった世界は、いつの間にか真っ白になっていた。


でも、時々ふと思う。

私は何の為に生きているのだろう。
いや、今の私は生きていると言えるのだろうか。
ただ息をして、少しの食事を食べるだけ。
死ぬことができないなら、生きていても仕方がない。

ビルから飛び降りようとしたあの日。私は警官2人に取り押さえられてパトカーに押し込まれ、気がついた時にはこの場所にいた。その間の記憶はない。その前の記憶も断片的なものになっている。
ただ、飛び降りようとしたあの瞬間。死に向かおうとしたあの瞬間が、私は1番生きていた。
それだけははっきりと覚えている。


ビルの向こうに無くしたハイヒールは、今は何処にあるのかわからない。もしかしたら今も何処かで私を待ってくれているかもしれない。
あの日以来、私は赤を探している。私を強くしてくれて、私に最高の死を与えてくれる、あの赤を。



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