価格ではなくそのモノの価値を見極める能力
こんにちは。パーソナルトレーナーのHiromiです。
先に結論3つから言います。
①フリーになってお金の価値観が変わった。
②提供者の立場としては、「お客様に喜んでもらえる料金」よりも、
「時間や労力・今まで学問に費やした経験を加味して、自分がある程度のクオリティを提供できる料金」を最優先するようになった。
③消費者の立場としては、「安い方を選ぶ」ことよりも、
「それを買うことのメリット、今後の自分への利益を見越すこと」や、
「誰に払うか」を最優先するようになった。
このお話は、決してこの価値観をみんなに押し付けるためのものではなく、こんな価値観の人がこんな価値観に変わったんだ、という1つの事例として見てもらえればと思います。
どういうことか、これからご説明します。
1. フリーになってお金の価値観が変わった
私は2018年に非常勤で本業をしつつ、トレーナーの活動を始めました。
前職は病院や介護施設で務める理学療法士であり、医療保険制度の中で生きていました。
というのも、医療保険制度の中では、消費者と提供側の立場が少し通常の金銭交換とは違う気がしています。
消費者である患者さんは医療費の1〜3割を負担します。生活保護の方は0割。自費治療の場合は10割です。
私が病院に勤めているときは、「お客さん」というよりは、「患者さん」という感覚が強く、患者さんからお金を頂戴して働いている、という感覚がなんとなく薄かったです。
病院から給料をもらうので、もちろん病院経営の利益をあげるためにサービスを提供する必要もあるのですが、それよりは、「少しでも多くの患者さんに1日でも早く元気になってもらうぞ!」という一心で毎日働いていました。そんな心意気なので、残業も休日の研修も一生懸命で、ほぼ毎日患者さんのことを考えていました。
だんだん社会の仕組みがなんとなくわかってきて、医療関係ではない友人たちの話を聞いているうちに、医療保険外で働く人との仕事に対する感覚のギャップに驚き始めました。
会社によってはノルマのあるところがありますよね。ある会社の社員さんはノルマ達成、自分の頑張りに応じた業績を得るために仕事に取り組んでいます。
でも医療保険の中にいると、もちろん働く場所にもよると思いますが、「売り上げや業績のために尽くす」というよりは「1日与えられた業務を尽くす」、「さらに改善できるところがあればできる人が率先する、でもその行為をするしないでは、さほどみんな給料は変わらない」
リハビリをすることや、仕事自体は好きでした。給料も生活するのに十分な程度はいただいていました。でも今後、このまま仕事を続けた自分の未来像や目指すところを考えたとき、役職を目指す、認定理学療法士を目指す、大学院に行って研究をする、理学療法士向けにセミナーを開けるようになる、、
私は「うわぁ。。そうなりたい!」と、目をキラキラさせて夢をみるような未来像ではありませんでした。
時間に余裕を持ってお客さんと向き合いたいし、十分な質を提供できるくらい時間に余裕を持ちたい。病院では1単位20分という保険制度で決められていて、1日〇〇人という決められたものがあるところもある。
体の使い方をしっかり伝えたいけど、医療費の拡大で可及的に早期退院を求められる。外来リハビリこそ、維持期で自主トレのチェックが重要だけどその時間内で伝えることが限られる。いかにその環境の中でも患者さんをよくするか、を一生懸命考えるけど限界もある。
頑張っても、頑張らなくても給料は同じ、と割り切って、仕事に費やす時間のラインを引ける人はいいかもしれません。でも私はどうしても、その人のためにもっといいものを、、とラインを引かずに時間や労力を費やし、疲弊してしまうようなタイプです。こうなると本末転倒で、助けたい人も助けられなくなってしまいます。
そこで、世の中や勤め先のシステムを変えよう!と、横断幕を掲げて出陣するのもありだったと思いますが、私は1人でサービス作りはじめてみたい、挑戦したいと思うようになりました。
自分が一生懸命得てきた知識・技術、それを全力で提供して、喜んでいただけた対価としてお金をいただく、その方が嬉しいのではないか?そう思うようになりました。勤めていてもそれは同じなのですが、医療の中にいるととにかく献身的な気持ちが先立ってしまい、一生懸命になりすぎて私の場合、疲弊してしまう。
中略
そしていざ、自分のつくったサービスを提供する、となったときに悩んだのが
「サービス提供価格」でした。
2. 提供者としてのお金の感覚
提供者になったとき、まず私が最優先に考えたのは、
「お客さんが喜んでくれる価格・お客さんが来てくれる価格」
でした。そのため
同業者(出張パーソナルトレーニング)の相場
を調べました。
60分あたり:¥12,000〜20,000/回
※出張費・交通費含む
のようです。
訪問リハビリの場合、
60分あたり:¥10,000/回
※施設維持管理料・医療は1人の労力では成り立たないためその価値なども含まれる
※価格はおおよその目安です。
よく入会金など目にするのですが、私はそのシステムがあまり好きではないので、それは無しとして、1回¥10,000だと他より安く、喜んでいただけるかな、安いから来ていただきやすいかな、と思いました。60分は少ないので、更衣する時間や説明時間も含んで90分¥10,000くらい。。
それでも高いかな?と感じていました。
そして、信頼できる人に相談したところ、
「安い!もっとあげていいんじゃない?その安さだと1日に何人見なきゃいけないの? 1人1人に丁寧に時間をかけたいのに、それじゃ結局自分の体を圧迫して本末転倒じゃない? トレーニングだけじゃなくて、帰ってきて資料も作るんでしょ? そしたら1人に何時間時間を割くの? 1ヶ月の目標の生活費はいくら? 時間は限られてるんだから、自分の精神面や余暇の時間も持った上で、高品質を保ったまま提供できる価格で逆算して考え直してみたら?お客さんも大事だけど、自分の体も大事。バランスが大事。」
固まりました。
確かに、聞いてみるとごもっともなのですが、今までの私のお金の価値観に雷が走るような衝撃でした。
私は貧乏な家庭で育ったので、今まで少しでも安いものを買ってきました。そのため、お客さんの目線で考えたとき、少しでも安いものが喜ばれる、その観点でしかものごとを考えられませんでした。
確かに、安ければ安くするほど、私の生活費は一定額なわけで、その分時間を割いて働かないと生きれなくなる。それではせっかくフリーになったのに、また疲弊してしまう。。
そこから、私の1ヶ月の目標生活費と、十分な質を保ったまま、1週間に提供できる人数や回数を加味して、料金設定をしました。
●現在の価格
90分:¥15,000
(消費税増税後値上げしました)
コースの場合:¥13,000/回
体験:¥10,000/回
※全て資料作成・アフターフォローも込み
(資料作成には1回につき1〜2h、多いときは5h使う)
先ほどの人はこれでも安い、十分質が高いから価格をあげてもいいのでは、という反応でした。
私は正直この価格で提供することがはじめは怖かったです。お客さんが来てくれるか、「儲け目的でこの人は高くしているんだ」と思われるんじゃないか、と。
でも自分のサービスに自信をもつことも教わりました。
その価格で提供することに自信を持ち、なんならその価格以上の質を十分提供できるように尽くしたいと、サービスの開発にも気持ちが高まりました。
「価格を下げるのではなく、サービスの質を高めること」
もちろん、お客さんに喜んでもらえる価格設定も大切です。言いたかったことは「バランス」です。お客様第一になりすぎると、提供者を疲弊させてしまう。世間の常識やその時代の消費者の価値観、どんなお客さんに来てもらいたいか、も、もちろん大切ですが、自分の健康も大切にしながらいいバランスを見つけていきたいと思います。
3. 消費者としてのお金の感覚
自分のつくったサービスを提供する側になって、感じたことがあります。
安さよりも質を重視する人は、
サービスの中身や提供する「人」を大切にする傾向がある
一概にそうとは言えず、私も買うものによっては安さを重視するときもありますので、「その人が」というよりは、「買いたいもの」によって想像してもらえればと思います。
勤めていたころはこうでした。
「少しでも安くて、質の高いものを!!」
あくまでも安いことが最優先!もちろん、貧乏だったので心からなにもかも節約したいといつも思っていました。
でも気づいたんです。お金に囚われすぎではないか、と。私は人生お金に支配されて生きていくのか?と・・
ある人と、人間はお金ができる前はどんな生活をしていたか、と話し合ったことがありました。
物々交換
自分の持っているお米を渡し、その引き換えに漁業の人から魚をもらう、
自分のマッサージ技術をサービスし、その引き換えに家の修理をしてもらう、など。
これは想像ですが、そんなイメージです。
でもこれだと、どうなると思いますか?
争いが起こります。
自分があげたものの価値の分、相手からもらえなかったらどう思いますか?
それを解決してくれたのがお金です。※すみません、これは人伝いで聞いたので根拠ないかもor諸説あるかもしれませんが、どうも腑に落ちる話なので続けます。
お金という数値でものの価値を決めると、世の中の常識や価値観がわかりやすくなります。サービスや物の価値に対してお金を支払う、という社会の仕組みができます。
でもどうでしょうか。消費者も提供者も快く価値を交換できるよう、お金というものができたのに、今度は消費者の立場が強くなり、安くしてほしいと求めます。提供者はその気持ちに応えたくて、安くしていきます。提供者は自分のリラックスできる時間が減ったとしても一生懸命働きます。
結果、過労死という言葉が生まれました。外国にはそんな造語はないようで、外国でも「Karoshi」と日本語で表現するそうです。ドイツのお友達はその言葉を聞いたとき、驚いたと言ってました。「日本人、働きすぎだよ?」と。
そうなると、またもや本末転倒ですね。提供者が疲弊していきます。
サービスやモノを提供する、とは、「お金をもらう」ことになるのですが、
人によっては適度な線引きができずに、必死に働いてしまう人がいます。
必死に働くことも、いいことです。私は人のために働くこと、喜んでもらえることをとても生きがいに感じています。
でも、「お金」という概念をあまりにも軽視しすぎたとき、
人の心が失われていく。
もともとの人間の原点は、
「誰かを喜ばせたい、助けてあげたい」
「”その人”からそのモノをもらいたい、その価値を提供してもらいたい」
という感覚だったと思うんです。
その感覚になると、
私が消費者の立場になったとき、安さを最優先で考えるより、
・今私がそれを得ることで将来どんな成長に繋がるのか
・そのモノを作るまでにどんな背景があったのか(その人がそのために今まで払った学費や本などの費用・費やした時間や労力)
・そのモノを作るまでにどれだけの人が関わったのか(どんな人の想いや夢が詰まっているのか・創業者や取引先など)
↑こんなことを最優先で考えるようになりました。
また、なによりも、
私がそれに投資することで "誰が" 喜ぶのか
を最優先するようになりました。
その上で、自分の資産から払える価格を決めてみます。
私は、夢を持っている人、実現させたい人など、応援したい人へは、投資したいですし、人生の時間や労力を割いてみたいと思います。
人生のかけがえのない時間を、誰と過ごすか、誰のためにどれだけ労を尽くすか、そんなことを改めて考え直すのでした。
まとめ
今、あなたの目の前にはこの2つがあるとします。
A:機械の大量生産でできた1個50円の美味しいりんご
B:Aよりもとびきり美味しく、このりんごを全国に広めたいと夢をもつBさんが作っている。丁寧に梱包していつもサービスで1個つけてくれる1個500円のりんご
みなさんはどちらを選びますか?
※ここでのお話は1個人の意見とストーリーです。理学療法士の資格を持っていますが、皆さん意見や仕事への向き合い方は千差万別です。もちろん働く場所によってもさまざまで、現在もなお、必死に環境の改善に努めてらっしゃる方々もいます、はっきりと明記しておきます。
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