なかなか伝えづらいこと~映像と分かっていても。
例えば、Aということがらを良しとして、それを広めるのに一所懸命頑張っておられる人がいるとする。その方の主張は、ある種の真理がある、そして自分のことより人のことやこれからのことを考えて発信されている。ある種正しいことを、信念をもって貫かれている。
「あなたもそう思うよね」
「うん、そうだね」と、しかし自分の信念に照らして言えない場合、どうしたらよいのだろうか。
「頑張ってるね」とねぎらってあげる。いや・・それも違う
「わかるよ、分かるけど、僕はちょっと違うと思う」それやっちゃったら・・
やっちゃったら?どうなるかな?
「ひどい! ぴろ☆なら分かってくれると思ってたのに」と言われるのがいやなのか。
「どこがどう、ちょっと、なのか説明してもらいましょーか!」そう責められるのが、嫌なのか。
「なんも分かってないね、その程度か」と蔑まれるのが怖いのか…怖い…違うな。
「面倒くさい」この一言で片付けられるなら、それは楽ですが、しかし面倒くさい、ということばは、一気に自分の波動というか、とにかく下げてしまう感じがするし、今までも「面倒くさい」で片付けると決まってよくない結果を得てきたので、そういう処理の仕方はしたくない。メンドーだけど(笑)
一つの考え方として、「自分以外のこの世の出来事はすべて『映像』です」というとらえ方があります。特に最近僕が親しんでいた、キャメレオン竹田さん。この方のサイトをご参照ください。書籍もいくつか読んでいますが、こう考えると、実に生きやすくなったので、ときどき立ち返って活用するようにしています。
キャメレオン竹田オフィシャルサイト
曰く、自分軸で生きるべしということ。他人はどうこうできない、映像である。自分自身の好きなこと、したいこと、心地よいことなどにフォーカスして生活していくと、周りがそのように変化していく。
例えば人間関係もガラリと変わる。ある意味今までの友人も変わっていく。場所も変わる。
確かにそうやって過ごすようになってしばらくして、長崎に戻る算段がトントンと進んだし、よく風の時代、風の時代と言いますが、他人の目ばかり気にしながら、生きていたら、本当に自分を見失っていた。それが、このところ自分らしさを出しながら生きられるようになった、と感じています。
ただ、彼女はこうも言っている。「他人は『映像』ですから、変わりません。変えようと思わないこと。」だよねー。
そして「そうはいっても、自分勝手にして、他人に迷惑をかけていいというわけではない。とにかく感謝が大事。あとは、自然に進んでいく。(神さまにお願いしておくと、自動的に変わっていくのだと)」
「人のエネルギーを奪いとるタイプの人が、友人・知人にいたらなるべく近づかない、必要最小限にとどめる。自分の波動が上がっていくと、会う機会も急に無くなったりしていく」と。
SNSを辞めたのも、そういったことも関係しています。いろいろな言い争い、悪口など目にすると、それだけで波動が下がるのであります。それこそが分断の最たるものでもあるし、新たな火種も呼ぶわけですし。
このところそういう意味では平和です。うん。家庭内は別(笑)
で、元の話。信念をもって、頑張ってる。広めてねーと情報をくれた人。どう返事をするか。
「お知らせありがとー!!」これ一択です。お返事を求められたり、意見を求められたら… 本当に自分の主張を正しく伝えたい、と思ったら伝えると思う。でも、伝えないかも知れません。
みんなフェース、いやメタ…だっけ(笑)。300人とか400人とか友人つながりがあるけど、その友人だけに送っている情報は、その先の友人の友人につながっていく、と考えると、結構世界規模でつながっているわけで。そうであればなおさら、発信する内容の吟味には慎重になるべきなのかもと、いまさらながら思う。毎日体重計とか晒してた頃が恥ずかしいー(*ノωノ)
だんだん支離滅裂になってきたので、まとめ。自分以外はこの世は映像、だけどそれには感謝をもって接する、徐々に波動が上がると世界全体が変わってくる。ではー。