
奈良へ旅立つ木田へ
いよいよ来週(3月18日)、大阪・心斎橋パルコに居酒屋「ザ・ニューワールド」がオープンします、僕らにとって今までなかった「居酒屋」というジャンルで、遊びと文化とsioエッセンスをこれでもかと詰め込みました。この「ザ・ニューワールド」は、パーラー大箸で半年間活躍してくれていた白木が、良い店にしようと大奮闘してくれてます。
そして、丸の内 o/sio のシェフを務めてきた木田を来週、奈良に送り込みます。木田は文字通り僕の片腕として活躍してきてくれました。今回奈良にオープンするすき焼き専門店「㐂つね」は、木田がいたからこそできたチャレンジです。

木田と最初に出会ったのは、「sio」の前身「gris」に食べにきてくれたとき。話してみると、木田も料理をやっていると。でもなんか、いい奴なんですけどくすぶってる感じがしたんです。それを僕は、当時は言わなかったけど「幸が薄そう」って感じた。やりたいことがあるのに一歩前に踏み込めない、いや、踏み込まないタイプ。木田を良い方向に変えてやれるんじゃないかって、直感的に思いました。
それで、店やるから一緒にやらないかって、ちょこちょこ連絡取り始めたんです。けど、すごいつれないんですよね。「考えておきます」みたいな気の無い返事っていうか、脈のない女の子に連絡し続けてるような感じで。木田は、僕が本気で誘ってると思ってなかったみたいですけど。
でもあるとき、当時僕が描いてた「まちづくり」をベースとした事業計画を、木田にポンと送ったら、どうやらようやく本気だってわかってくれて。2019年の春に「sio」に合流してくれました。
木田が入ってくれ「こいつなら任せられる」と感じました。一握りの経験者を除き未経験者ばかりなのに、2019年秋から丸の内→渋谷と2店舗連続で出店し、限りあるスタッフでどうにかまわせたのも、木田がいたからできたこと。
(↓この記事の後半に、木田のこと書いてもらってます)
木田は、図々しくないんですよ。これは木田の長所にもなりうるし短所にもなりうる。器用だし、技術もセンスもあるんですけど、肝心なところで踏み込まず、引いちゃうところがあったんです。ただ「㐂つね」を木田に任せると決めていたんで、ここ数ヶ月は木田に様々なチャレンジを自由にさせてきた結果、木田は「鳥羽の料理」から脱皮し、伸び伸びと自分の料理を作るようになりました。
僕は店を作るとき、コンセプトと狙いをしっかり伝えたら最初は全部任せます。メニュー内容から皿選び、飲料、すべて担当者が一貫して作り込み、それを踏まえた微調整を僕がします。そうでないと、せっかく「僕」が「僕ら」になった意味がない。sioイズムを宿すスタッフが作ったら、店にもsioイズムは当然宿ると思ってる。
ただ、店作りって、そうすんなりいくものじゃない。木田とはo/sio、パーラー大箸と一緒に店作りしてきたんで、わかってるとは思うんですけど。何度も壁にぶつかります。その壁を越えないと、いい店なんてできない。しかも今までは困ったら東京のスタッフがフォローに入れる状態でしたが、奈良じゃそうはいかない。
もう一つ。木田が将来的に東京に戻ってくるためには、「人を育てる」っていうミッションがあります。木田が一歩も二歩も本気で踏み込まないと、本当の意味で人を育てることは難しいと僕は見てます。このミッションを乗り越えたら、木田は大きく変わると思う。木田の料理もさらに変わるでしょうね。
木田がでかい愛を持って、奈良に行きます
奈良の皆さん、関西の皆さんに揉まれ、かわいがられ、愛されてこいよ。白木と一緒に、僕らの愛を少しでも伝えてこいよ、と毎日願っています。