11.私の意識は宇宙全体に散らばっている
太鼓係のボランティア
なんのこっちゃ?というタイトルだけど、
1月初めに「胡蝶の夢」のことを書いた系統の話になる。
https://note.com/pirikarera/n/nab993af28446#457d00e1-66dd-451e-84bd-0c2a5915e012
先週のこと。
私は夢の中で「太鼓をたたくというボランティアの役割」を仰せつかった人物だった。
まよまさよという意識は主軸にはしていない、どちらかというと他の人格だ。
今考えてみれば若い男の子と私の中間だったような気がする。
しかもその子であるという状態は初めてではなかった。
地域のイベントに前年に参加したことから、
そのままうまく言いくるめられてそのボランティアを引き受けてしまった。
しかも太鼓(なぜかエイサーっぽい太鼓)を演奏する以外に、「進行係」のような役割をやらされている。
昨年引き受けたことを後悔しつつ、その「自分」はかなり焦っている。
イベント当日だというのに、プリントアウトした進行表を忘れてきてしまった。
一生懸命前年のことを思い出そうとしている。
驚くことに夢の中の「自分」はそのイベントの前年の記憶を持っている。
夢の中では
せっかくプリントアウトしたのに忘れるなんて、、、、
プリンターの上だったかな?
それとも出窓(見覚えがないのに頭に浮かんでいる)の辺りだろうか?
ああもうやんなっちゃうな。
なんで引き受けたかな。と、泣きそうになっていた。
夢の中の「自分」という点と、
「その自分が持っている過去の記憶」という点が線で結ばれて、
それらはよりリアルにそれを見ている自分に迫ってくる。
さらにこのあたりで意識が
・夢の中の自分
・それを見ている自分
と、二重奏のような状態。
困った。
またしても私は違う自分を「やって」いる。
しかもこの子は2回目だ。
私はどっちの私だ?
そう思って、目が覚めた。
目が覚めてもしばらく
私はそのイベントのにぎやかさの中でぼうっとしてた。
スライド
昔、親戚のおじいちゃんの話を聞いた。
一日3食「大好きなカップ麺」を食べるおじいちゃんだ。
私は健康食品を仕事にしているから「うげっ」って思ったことがあった。
おじいちゃんの若いころにはそんな便利な食べ物はなく、
目新しいものが次から次と出てくるので、虜になってしまったらしい。
それでも元気で、たしか88歳くらいまで生きておられた。
もちろんその当時も毎食がカップ麺で、
夕食はちょっと晩酌をしてからご飯としてカップ麺を食べていたそう。
ある朝おじいちゃんは
「面白い夢を見た。わしはもうあと3日くらいで死ぬらしい」とニコニコしながら言い、
家族は年も年なので「朝から不吉なことを言うな」とたしなめ、なぜそんなことを言うのか?も、聞かなかったとのこと。
そして3日目の晩酌をして夕食(カップ麺)を食べた。
その後テレビを見て8時くらいに
ニコニコ笑いながら「おやすみ」とみんなに声を掛けて布団に入り、
翌朝起きてこなかった。
この話を忘れられない私は
このおじいちゃんの死の件をよく考えるようになった。
おじいちゃんは
夢の世界のほうがリアルさを増して
そちらにスライドしたのではないか?
と考えるようになった。
胡蝶の夢はいずれかの自分が目を覚ます。
人間の自分だったはずの自分が蝶として目覚める。
蝶としての自分しか知らず、それが当然だったかのように。
冒頭に書いた私の夢の中の「少年みたいな私」は
この世界の私と同じ意識を共有していた。
そしてその以前に私は革製品の店のちいさな女の子でもある夢を見ている。
今はこう思っている。
太陽を描くときの放射状の線の様に様々な方向に「共通な自分」がいる。
そちらでリアルに生きている自分だ。
私は死んだ瞬間にその放射状の広がりのどこかの世界に向かってスイッチが振られ、入っていくのかもしれない。
そしてそこでも「いかにもその人生をしっかり送ってきたかのように」記憶して生きる。
今の自分もその自分なのである。
前世とか1:1のイメージは持たないほうがいい。
多分きっとそうじゃない。
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