小説:僕が好きな

 僕は仕事を終えた後に酒を飲むのが好きだが、別に仕事をすることは好きではない。加えて言えば、酒を飲むこともそれほど好きではないように思う。だが、どうしても嫌な仕事を終えた後に好きでもない酒を飲むことがやめられない。その瞬間に味わえる快楽がたまらなく好きだ。
 好きなことは他にもある。例えばさと香と会うことだ。さと香と僕は恋人同士ではない。だけど、さと香と二人で小さな映画館に行って、ドイツだかフランスだかのそこそこ優れた映画を観終わった後で、安い居酒屋に入って、だらだらとお互いの映画の感想を語りながら酒を飲んでいる時間が好きだ。
 それは、さと香のことを好きだということなのかもしれない。が、よくわからない。嫌な仕事をして好きではない酒を飲むことがなぜ好きなのかわからないのと同じかもしれない。さと香と僕はもうずっと長い間こんな感じだ。お互いに恋人にならないし、他に恋人も作らない。その意味するところは何だろう?
 僕は仕事を終えた後の、帰宅途中の電車の中で考える。僕は空いた座席に溶けるように座っている。さと香は僕のことをどう思っているだろう?
 体面の座席で、さと香にも僕にも似ていない男女が密着して座っている。二人とも何も喋らない。無言のまま身を寄せ合っている。僕は、さと香は、こんな風になりたいと思っているだろうか?
 男女は一言も声を発さず、一センチだって離れることのないまま次の駅で降りていった。僕は酒を飲みたいと思っている。


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