無職生活4ヶ月目〜良かったことを考えてみた
今年2月から無職となり、早くも4ヶ月目に突入。
春になってからは時の流れが加速するように早く、あっという間に丸3ヶ月が過ぎてしまった。
とはいえ状況は全く変わらず、相変わらず収入もない。
無職という状態でいられる事ができるこの状況に感謝しつつ、のんびりと毎日を過ごしている。
仕事をしないと言う事は「毎日が夏休み」状態であり、かなりストレスフリーな生活。
収入がなく、社会の常識的にはダメダメ人間だろうが、生活の質は驚くほど豊かになった気がする。
もちろん
「働かないとだめだ…」
と不安に襲われては、このパラダイスな時間が変化してしまう。
なので、私は一定期間は、あえてダメ人間を通す事に決めている。
「自由にする」
「成り行きに任せる」
だから焦らずに、無職を楽しみ、働かざるを得ない時が来たら、流れに乗ろうと思っている。
なので、今はノンストレス。
4ヶ月目突入を機に、気付いた事をいくつかまとめてみた。
通勤の憂鬱からの解放
働いている時は、夜になると「明日も仕事か…」と、暗い気持ちになった。
面白いテレビを見ていても終わった途端に現実に戻され「はぁ…」とため息が出てしまう。
これは働いている方々の多くが経験している現実だと思う。仕事が楽しくって仕方がないという人は、ごくわずかだろうから。
この「明日も仕事か」という考えが、楽しい時間をどれほど憂鬱なものに変えていたのか。
私は週休2日だったが、土曜の夜から「休みは、あと1日だけか」と、すでに憂鬱モードに突入し、ノンストレスで過ごせるはずの時間も、勝手に自分でストレスを与えて楽しめない時間にしてしまっていた。
今、考えると非常に勿体ない事をしていたと思う。
でも、働いている時は仕事という現実から逃れられないので、「気持ちをポジティブに!」などと思ったところで、仕事という呪縛からは逃れられなかった。
これが、無職になると消えた。
見事にノンストレス。
毎日が夏休みなのだから「明日も仕事か」なんて考えて憂鬱になる必要がない。
無職なのであまり威張って言える事ではないが、夜眠る前に「あー、今日も1日のんびりしたな」とか「明日は何しようかな」などと、子供のように考えながら穏やかな気持ちで就寝できる。
これって、心の健康に本当に良いと思う。
人間関係の我慢からの開放
働いていると、どうしても苦手な人と関わらないといけなくなる。
人に気を使い、不条理な事もたくさんある。
「なんで、あんな事が言えるんだろう」
「人の気持を考えないで、よく言うよ」
気づけば心の中でブチブチ文句を言っていた。
そして「社会人なんだから、このぐらいは我慢しないといけないんだろうな」などと、勝手に自分に無理をさせて、心に疲労を重ねていた。
会社をやめたら、嫌な人と関わらなくても良くなった。関わりたい人とだけ、連絡を取れば良い。
だから人間関係のストレスがなくなった。
苦手な人とは会わない。
自分の好きな人だけ、気の合う人としか話したり会ったりしないので、心の中でブチブチ文句を言うことがなくなった。
これも、やはり心の幸せに大きく貢献してる。
思い出して文句を言っていた時間が勿体なかったと今では思う。
でも、そうせざるをえない状況だったんだよな。
無理をして我慢してるから、文句が出てくるんだよな。
そんな頑張ってた自分を、改めて褒めてあげる。
小さな変化に気づく事ができる
働いている時は、日々の生活に追われて、小さな変化に気付けなかった。
部屋には15年くらいになるドラセナの木があるのだが、それに大きな蕾ができても、花が咲くまで全く気づかなかった。
かなり大きな蕾なのに。
どれだけ注意力に欠けていたことやら。
また、ベランダで越冬させようとした宿根草が生きているか否かをさほど観察せず、4月上旬になって枯れ枝のままなので毎年捨てていた。
ところが、今年は時間があるので毎日観察していたところ、4月上旬には枯れ枝だった苗が、下旬には小さな芽を出していることに気づいた。
生きていたのだ。
4月下旬に一気に芽が出始め、小さいながらも健気に伸びている姿を発見できた。
これは、毎日を忙しく過ごしていたら、見落とすであろう小さな変化であり、のんびり毎日眺めていたからこそ気づけた事実。
きっと今までも「これから出るぞ」と苗が思った矢先に、私の手により処分されるという、哀れな苗がたくさんいたはずだ。
本当に申し訳なかった。
今年からは「のんびりと、おおらかな心で成長を見極めるので安心してください」と懺悔した。
自然のリズムでの起床、就寝
「もうこんな時間だから起きないと間に合わない」「明日は仕事だから、早めに寝ないといけない」
仕事をしている時は、一定の生活リズムを守らなければいけない。
疲れが取れなくても、休まずに出勤するのが当たり前。
少しでも多くの時間を休むために、早めの就寝を心がけていた毎日。
帰宅後の時間なんてあっという間に過ぎていた。
楽しい事をする時間なんて、全くなかった。
その日の片付けと、明日の準備やらで時間は過ぎ、あっと言う間に就寝時間。
「ま、それも平日だから仕方ないよな」
と、自分に言い聞かせ
「週末こそはたくさん寝るぞ!遊ぶぞ!」
と思うのだが、実際のところ、週末は憂鬱モードに突入するので休めない。
そんな日々を過ごしていた。
しかし今は無職。
私を縛るものは何も無い。
せめて、ゴミ出しに間に合う時間に起きれば良い程度。夜も遅くまで夢中になって遊んでいたのならば、それはそれでオッケーな現実。
今年は夜中まで流星観測をしても、「次の日が仕事だから…」という不安がない。
今から楽しみで待ち遠しい。
朝、目が覚めたら起きて、夜は眠くなったら眠る。自然の流れにのって生活をしている気分。
眠い時は、二度寝しても遅刻じゃない。
これって本当に幸せ。
睡眠が満たされるのは、心の健康に大切なことだな、とつくづく実感。
結論は、毎日を大切に生活するようになった
色々と述べたが、結論は
・ストレスフリーになる
・心が穏やかになる
・小さな事にも気づける余裕が生まれる
・毎日を大切に過ごす事ができる
・生活の質が上がり、幸福感を味わえる
と、毎日をありがたく楽しく生きることができている。
もちろん、働かずに生活をする事は難しい世の中。
そんなに甘くはないよ、休めるものなら休みたいとの声も多いと思う。
でも、「なんでこの仕事をしているんだろう?」と疑問を持ちながら働き、疲れ、毎日をただ消費するように生きていくのならば、1度ぐらい自由な時間があってもいいのでは?
それが半年でも1年でもいい。
ほんの少しの間、働き続けた自分をいたわる「お休み」を設けて「毎日が夏休み気分」を味わってもいいのでは?
だって、みんな頑張っているんだから。
頑張り過ぎなぐらい、働いているんだから。
人生にほんの少し、お休みがあってもいいと思う。
その中で自分を甘やかし、ありのまま生活し、生活の質を上げ毎日に感謝する。
毎日を楽しむ。人生を味わう。
そのあとで、また働かなくてはいけない時が来たら、また働けばいい。
そんな風に、働き方を柔軟に変えることができる自由な世界になるといいな、とつくづく思う。
今までの「定年まで働き続けなければならない」など、そんな常識なんかぶち壊して、毎日を自然体で、我慢することなく楽しく生きる。
働きたい時に、働きたい仕事で働く。
そんな事が当たり前の世界を、みんなで共同創造できたらいいな。