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サトシの2020年PCの旅「40年間インターネット漂流記」

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サトシが40年間インターネットを漂流してきた激動のPC奮闘記です。昭和の時代、インターネットがまだ小さくて静かだった頃のPC事情は令和の世代にはコミカルで驚きのスペックです。だっ…
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2020年8月の記事一覧

「2020年PCの旅」の始まりは小さな宇宙からでした

宇宙少年の小学生時代1970年代ある建物の一室・・・ あたり一面、真っ赤な光に覆われた空間。 そこにうずくまる人。 高い気温に汗ばみながら、なにやらもぞもぞとしています。 その時、横からいきなりの侵入者が「ズボッ!!」 「イテッ!」横からの強烈なキック! 「中でなにやってるの?!」・・・母でした。 実は、コタツの中で真っ赤な光に包まれながら 図書館で借りてきたSF小説を無心になって読み漁っている 「サトシ」でした。 そうです、まだ小学生だった頃の私です。 小学校4年生の

憧れたコンピュータは冷暖房完備のVIPルームに鎮座する教祖様でした

電気科電気工学Ⅲ情報処理にのめり込む 1976年、希望していた市内の工業高校電気科へ入学しました。 憧れていたコンピュータの城です。 工業高校電気科の専門教科は3つあります。 ①電気工学Ⅰ(電気理論) 電流、電圧、抵抗、フレミングの左手の法則、オームの法則・・・ ②電気工学Ⅱ(電動機関連) 三相交流、電動機・・・ ③電気工学Ⅲ(情報処理) これが待ちに待った情報処理技術、コンピュータの科目でした。 電気科に進学してコレだけにしか興味が無かった私は 英語、数学・・・には目も

先生に貸して頂いたマイクロコンピュータは16進数で会話する?!

マイコンでコンピュータがパーソナルになったある日、電気科実習の先生からマイクロコンピュータ通称マイコンをお借りしました。それは、今のPCのマザーボードのような基盤で、 4桁のLEDが2つありました そこに2進数の01011100とか16進数の14A03FF2みたいなものが 表示されました。実はコレ、VIPルームの教祖様よりも言葉が不自由で アセンブラ言語とかマシン語とかで会話する必要がありました。 そう、人間の分からない言葉です。 プログラミング言語がFORTRANのような