こんな感じの映画作ってみたいかも。
日本のワールドカップが終わった。ドイツ、スペインを逆転で勝つという快挙を見せながら、クロアチアに負けた。彼らの努力は次につながるだろう。2大会連続でベスト16にのこり、世界の強豪になるあしががりになる大会になったかもしれない。選手、監督、ファン全ての人におつかれさまといいたい。
ワールドカップが始まった。現役でサッカーしてる選手は自分のポジションの選手に注目して、自分がワールドカップの舞台に立っていることをイメージしてサッカーを頑張ってほしい。
今現在、現役でやってる選手。プロになれるかなれないかの瀬戸際の選手。とにかく続けること、その先にプロになりたい人にはプロになれる道が続いているんだと思う。頑張ってください。
高校時代はいろんなことがあった。一、二年の時好意にしてくれていた監督が途中で転勤になり、サッカー経験の少ない監督にかわってしまった。モチベーションが一回落ちてしまったが、自分なりに頑張ったが、一度春の大会だったかでミスをしてしまい、そこからサブになってしまった。そこからなんとかサブで頑張ったが一度もチャンスもなくレギュラーに上がることはできなかった。最後の公式戦も控えだった。しかし自分の実力不足と不運で残念な結果となったが仕方ないと思っていた。人生はなるようにしかならない、そ
結局中学時代は春の県ベスト8が最高成績だった。がまわりに強いチームが多かったからまぁ成績としてはいい方だろうと思う。かくして高校は地元の普通の高校に入った。入学して、しばらくして上の人の試合にたまに出してもらえるようになった。ポジションは左サイドバックが主戦場だったがセンターバックでも使われた。背は175くらいだったがフィジカルには自信があった。
工藤選手がなくなった。水頭症という病気らしい。柏時代、クラブワールドカップやリーグでも活躍した素晴らしい選手でした。東アジア選手権も見てました。ご冥福をお祈りいたします。
なぜ自分が左サイドバックになったかというと、一つ上の先輩が下手くそだったからでたぶん特別な何かはなかったんじゃないかと思う。かくして自分は右ききだが左サイドバックになった。左足もたまに練習した。当時自分のプレーの参考にしていたのは、マルディーニとロベルトカルロスだった。二人とも左サイドバックで本当に素晴らしい選手だった。今現役でサッカーをしてる選手は是非YouTubeなりでプレーをチェックしてほしい。そして自分はたまにオーバーラップをした。オーバーラップというのはMFなどを追
かくして中学校でサッカー部に入った。世はJリーグ誕生の真っ只中でJリーグブームだった。はじめから水泳をしてたせいか体力はそこそこあった。ボールも蹴り方はめちゃくちゃだったがパワーがあったからかよく飛んだ。はじめたのは最近だったがパワーがあったからか一つ上のレギュラーの試合にでれるようになった。ポジションは右利きだったが左サイドバックだった。
自分がサッカーをはじめたのは中学校からだ。興味はあったのだが小学校にサッカークラブがなく、水泳を習っていた。4年になり、となりの小学校のサッカークラブが団員募集のポスターをうちの小学校に張り出し始めて興味はあったが、とりあえず中学校からはじめようかとおぼろげに思っていた。
そして体育会サッカー部に入るのをあきらめた自分は、ばかな友達達とフットサルをやることにした。近くの公園を基本にあとフットサル場、2個をいったりきたりしていた。今思えばあのころが一番面白かった。そしてその2個のうちの一つのフットサル場の出来事が一番印象に残っている。自分たちもサッカー経験者が一人や二人レベルだったのだが、おそらく初めてそこのフットサル場でフットサルをやる、商店街のおじさんチームと試合したのだ。試合は14-0くらいでこてんぱんに勝った。そののちもそこでそのおじさん
昔、大学に通っていた。サッカーを中高とやっていたのだが、大学でもやろうかと練習に行ったのだが練習場が大学からさらに上の山の方にあり断念した。大学まで1時間半以上費やして登校して授業を受け、そこから練習して帰るのは不可能と判断してしまった。しかし1日しか練習行かなかったが楽しかった。