いつの時代も、その瞳は強く、眩しく美しい
わたしは昔から広告コピーやCMが大好きでした。
高校生の時、広告コピーの本を買っては、繰り返し読んでいました。
あの限られた時間、面積、文字数の中で創り上げられたメッセージが自分の中に流れ込んできた瞬間、ガツンと正面斜め上から胸を叩かれて時が止まる、そんな感覚に陥ることがあります。
その感覚は、結果的には小説や映画、ドラマを観終わった時と似ているのですが、一瞬に発生するエネルギー量が全然違う。まるで金縛りのようにしばらく動けなくなる。そして我に返った時には、数分前の自分をとても遠くに感じます。
感化される点はもちろんものによりますが、我に返ると、あれ、わたし脱皮でもしたのか?と思ったりします。
今でも普段の生活の中、そんな感覚と瞬間を見つけたくて、まるで宝探しをする様に広告やCMを見ています。
歴史を刻むということは、この世に存在する、決して操作することができない、時間のもとに成り立っています。
その時間の中に存在するもの。
それは、誰にも知られなくても、教科書にも載らなくても、必ず存在する、それぞれの一瞬の積み重ね。
その日その日、そこまでの道のりも、その時の環境も皆違う。前向きな時も、そうでない時も、それでも時は流れ、刻まれていきます。
人はその中で一瞬、好きなものに思いを馳せたり、頑張ろうって思えたり、前を向くために笑ってみたり。
そんなことを繰り返している。
誰もみていないし、覚えてもいない。
本当に知っているのは、自分だけ。
そうやって、自分を少しでも好きになれる、なろうとする瞬間を、それぞれが重ねる。歴史に刻まれる。
そしてその一瞬は、とても強く、美しい。
このCMを見た時、俳優さんたちの瞳から、そんなこと感じました。この限られた時間と空間の中で、やっぱり俳優さんってすごいな、と感動しました。
でも、この瞳は俳優さんだけがもっているものでは、きっとない。
世界中に溢れている一瞬、その瞳なんだと思います。
一瞬を刻んでいる、
その瞳はいつの時代も、どんな人も、
強く、眩しく、美しいものだ。
そんな一瞬を大切にして
不器用でもそうやって時間を刻んでいけたら
結構いいと思うんだ。
どのくらい時間が経ったのかわからない。
我に返った時、そんな風に感じている自分に出会いました。