
不妊治療⑨体外受精1回目終了
第1回目の体外受精が終了したので、ブログを書きたいと思います。
前回の記事です↓
前回、はあちゅうの二の舞になるべからず(不妊治療している人なら分かるハズ)との想いで判定日前に急いで記事を書いたのですが、その想いも虚しく、判定日の結果は「陰性」でした。
前日までは、お腹に居てくれそうな気がしていたのですが
朝起きた途端に、「あ、ダメだな。」と思い(特に何か症状があった訳ではない)
なんとかゆっくり朝食を作ってみたり、家事をこなしてみたり、心を落ち着けるべく動いてみたのですがやることなすこと、とにかくツイていなくて。
私、こういう日は本当にダメなんです。
病院に着いて、採血に呼ばれたと思ったら
うまく血が採れなかったみたいで、「すみません…あの、私じゃできないので、他の人にやって貰います、またお呼びしますので待合室でお待ちください。。」と、今までになかったパターンを食らうし、
診察室に入った時の、院長先生の顔、そして渡された用紙に書いてある
「Hcg0.0」 というかすりもしない数値。
全部全部、ダメだった。
それでも気持ちは落ち着いていて、フライングこそしていかなかったけれど、結果はなんとなく分かっていたので、すん、と受け止めることができました。
院長先生は、「あなたの問題ではない。卵の状態が良くなかったのだと思う。あなたの年齢だと、この残りの受精卵6つのどれかでは必ず妊娠できると僕は思っています」と励ましてくださいました。
そして、コロナの影響で、声明は出していますが、妊娠されたいと思いますから、生理3日目に来てください、と。
ただ、1週間ごとに状況は変わってきますから、逐一HPやお知らせなど、確認してからご来院ください。とのこと。
本来は先延ばしにすべきところを、「治療できなくなるかもしれない」と思うと、後がない、治療したい、と思ってしまうのが不妊治療患者の性(さが)…。もちろん個人差はあるでしょう。私が27歳だったら延期していたかもしれない。
治療を継続することにしました。
主人からのメールでは、残念だったね、というものはなく、「まずは風邪をしっかりと治してから、元気な状態でまた迎えよう」と。
前向きな気持ちで、病院を後にしたかったのですが
それでもやっぱり帰宅途中で涙は溢れてきて。
1年前の4月2日、私は化学流産をしました。
そして今年の4月2日、奇しくも同じ日に、私は1つの受精卵を迎えました。
でも、やっぱりダメでした。皮肉なもんです。
この日はすごく気持ちのいい日だったんです。
コスモクロックをぼーっと眺めながら、結婚式の事を思い出しました。
結婚式の時もこんな風に晴れていて、こんな風にコスモクロックがキラキラしていた。
でも、今は全然違う気持ちで同じものを見ている。
こんなに晴れているのに、こんな気持ちでまたこの道を通るなんて。
ただただ、悲しかったです。
受精卵を迎えた時、コロナの患者が首都圏で日に日に増えている時で、私は「もし今回授かることができなければ、次はどうしよう」と、そればかり考えていたんですね。
でも、その時、母に「そんな事考えたら、今せっかくあなたのお腹の中にいる卵に可哀想だよ。まずはこの子をしっかり守ることを考えなさい」と言われ。
このような私の不安な気持ちが、伝わってしまったのかもしれないです。
でも、すごく愛しい日々を過ごせたのは確か。
毎日お腹に話しかけたり、子育てはどうするかと夫婦で話し合ったり、今思うと切ないけれど、確実に愛しい日々がそこにはあった。
私はもう一度その日々を大切にしたいと、そう強く思いました。
帰宅後、夕食を作り、夫が帰ってきました。
やっぱり悲しかったみたいで、泣いていました。
私だけに辛い思いをさせてしまって申し訳ない、自分も悲しい気持ちは一緒。本当は、一緒に結果を聞きに行きたかった。と。
夫婦を強くさせてくれますね。
まったく、待ちぼうけです。私たちはあなたを、強く強く待ち続けています。
次こそちゃんと、母ちゃんの腹に留まってくれよ~。