命を預かる仕事の範疇はどこまでか
前回、こちらの記事にサポートして頂いた方がいました。
初のサポートを頂き、びっくりでした。ありがとうございました。
この場を借りて、御礼申し上げます。
しかし今日は、ちょっとした「正論」を語ってしまうかもしれませんことを、初めにお詫び申し上げます。
私はTwitterでよく不妊治療のことをぼそぼそっと呟いているのですが
フォローしている人経由で、その人がいいねした記事を目にすることが多々あります。
その中で、驚いたツイートを発見しました。(引用は控えます)
現在コロナの影響で、立会い出産が出来なくなっているようです。
このような感じで、ガラス越しでの我が子との初対面となるよう。
立ち会い出産の可否についてはここでは触れませんが、不安な妊婦さんも多いことでしょう。奥さんをサポートしてあげたい、記念すべき我が子の出産に立ち会いたいのに…という旦那さんも多いことでしょう。
しかしこの渦中で、仕方ないと思う部分も多々あると思います。
けれど、私が目にしたそのツイートでは、立ち会い出産ができない為、旦那さん自らがライブ配信のための道具を用意し、病院に「オンライン立ち会い」を提案をしたというのです。
病院がそういったことをできる、と判断したのであれば別にここまでは構わないと思います。
しかし、あろうことかその方は、「出産の直前に助産師の方へこのような依頼文を作成しました。」と写真付きでツイート。
その写真には、手書きで助産師の方への依頼文が載っているのですが
・枚数は多ければ多い方が良いので余裕ある限り撮影お願いします
・指など入らないようにご注意ください
・可能であれば「LINE通話」で映像を中継してください
・動画撮影も余裕あれば何卒お願いします
撮影に関する依頼ばかり…
ここに一つの疑問が湧きます。
助産師の仕事は、撮影をすることなのだろうか
出産の瞬間に、余裕などあるのだろうか、と。
そして、このツイートに950件ものいいねが来ているのです。リプ欄を見ると、「私もこの方法で病院にお願いしてみたいと思います!」「このような方法があったのですね!」等々。
この方はたまたま、このような形でできたのかもしれない。
だけど、やり方をnoteに後日まとめます、とも呟いていて。。
世の中には、拡散していいことと、何でも拡散すべきことではないことがあると思っていて、この場合は、後者だと私は思うのです。
しかしこのような要望が広く浸透されてしまったら、果たして助産師の方の本来の仕事はどのようになるのだろうかと心配になりました。尊厳は奪われてしまわないだろうかと。
私が塾で働いてた時も、このような仕事の範疇を超えた仕事というものは存在していました。詳細は差し控えますが、例えば例としては、集団授業に付いていけないから、集団で学ぶ時間を個人で学ぶ時間に充てる。本来はそこまでは出来ないが、個々の現状を見た時に、「こうした方がこの人の為になるだろうな」と思ったら、仕事の範疇を超えて、その子のために時間を割く。
でもこれを、拡散されてしまったらどうなるでしょうか。
「ここの教室ではやって貰えたと聞いた」
「〇〇さんの時はこうして貰えたと聞いた」
こうした要望が、どんどん増えてくると思うのです。
そして本来の仕事ができなくなる恐れがある。
サービス業という観点からそのような要望は極力受けてきましたが、
同じようなサービスを、医療現場に求めるべきなのだろうか、と疑問に思います。
何でもやって貰えるだろう、どうにかしてできないだろうかと掻い潜り
自分のやりたいようにやろうとする大人が、増えてきているように思います。
世間ではそういったものを、我が儘と言わないのか、とも思います。
デジタルな時代だからこそ、人間にしかできない部分は、人間にやって欲しい。
赤ちゃんには、人々の手に触れて、温もりを感じて、産まれてきてほしい。
命を預かる大事な仕事。
その仕事の範疇はどこまでだろうかと、考えさせられた事案でした。