(Abstract Painting)-抽象-チュウショウ
先日、ポーラ美術館へ行ってきた。
開催していた展覧会は『ポーラ美術館開館20周年記念展 モネからリヒターへ ― 新収蔵作品を中心に』。
目当てはベルト・モリゾの《ベランダにて》。
素敵な作品!!
ところが、印象派の絵画作品を楽しみに行ったものの一番惹きつけられた作品は抽象作品(?)でした。写真の左側の作品で、ピンクのアクリル板と鉄板でできた床に置かれている箱。
「これ作品??」「どういうこと???」「なぞだ」と心の声を唱えながらも、よくわからない魅力に惹きつけられて見入ってしまった。(ちなみに、この作品の真横にスタッフさんが立っていて、作品を前にしゃがみこんでうにょうにょしている僕を冷たい視線で眺めてた)
この作品は何なのか。
結構考えたけどわからなかった。
感じたのは、芸術って自由だなあってこと。
こんなよく解らないものに「芸術」を見出す人がいて、見る人は「よく解らない」と目を背けてもいいし、自分なりにそこに何かを見出してもいい。美学的、美術史的にはそこにある「意味」を何かしら導き出すんだろうけど、そんなことを気にせず自分の感性一つで作品に向き合うことが許される。そんな芸術鑑賞に対するメタ視点でのメッセージみたいなものを漠然と感じて、よく解らないながらに感動してしまった。
抽象の魅力
最近、僕自身も絵を描いている。ただ、形を捉えることが苦手でデッサンとかはうまくできない。なので、僕は抽象性に逃げることにした。
抽象は面白い。何を描いたのか説明する必要がないし(説明してもいい)、絵を見たそれぞれの人がいろいろなものをその絵に見出すのが面白い。人によって全然違う。
この前描いたこの絵を見て「木」だったり「森」だったり「川」を見出す人がいた。誰かが見ることで作品が再誕生する際、具象に比べてより多様性に富むのが「抽象」だと思う。
見る時の自由度(訳わかんなさ度)が高い抽象の方が楽しいし好きだなあ。
具象はベースとなるモチーフがわかりやすいから、作品を楽しむ時のスタート位置が大きく違う気がする。(冒頭の≪ベランダにて≫だと、見る人は大抵「女の子が机に向かって座っている」から思考をスタートするだろう)
どっちがいいとかではない。具象と抽象のどっちがいいかなんていうのは、ナンセンスだしそもそも成立しない気がする。要するに好みの問題(?)
これもポーラ美術館で出会った作品で、二番目にじっくり楽しんだ作品。
こういう、何か解らないけどずっと見てられる絵をリビングとかに飾りたいな。毎日そこに見えるものが違いそうで、楽しそう。
What Do You Represent?
最後に。
この風刺漫画は、アド・ラインハートによるもの。
「この作品は何を表現しているんだ?(笑)」と笑う男に対し、「そういうお前は何を表現しているんだ?」と絵画が返すという。
ここで、美術評論家・アンドリュー・グレアム=ディクソンの言葉を引用したい。
『作品の意味は、鑑賞者1人ひとりと作品との出会いの中で活発に生みだされる。意味がどれほどの深さと豊かさを持つかは出会いの質にかかっている。つまり見られている作品の質だけでなく、見ている人の質、すなわち自らの価値観や感受性、知識、情報量にかかっているのだ』
作品とのいい出会いをできますように。