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私が精神科に入院するまで②

【①を読まれてない方へ:私は更年期か自律神経失調症からの不眠症です】

あえなく作戦に失敗した私には、また同じ日々が待っていた。

こうなったら自分で何とかするしかない!

子供たちに頼み事があるかもしれないから、なるべく近い精神科の病院を探し、相談窓口で経緯を話す📞。
起き上がって話すのはしんどかったけど、小声で3箇所に打診。

父が晩年鬱で3箇所入院してたから精神科の雰囲気は分かっていたし、抵抗もなかった。
ただ、人が騒いでたり看護師さんの出入りなど音がうるさいと眠れないので、個室はマストだった。

相談した2箇所は、重病の方が多いので私には合わないと思う、と親切に他の病院を紹介してくれた。
そして3箇所目。児童思春期に強い病院だが、大人でも大丈夫そうである。そして何より個室の階がビジネスホテル並みに綺麗。
運良く個室も空いており、やっと引き受けてくれる病院が見つかった🏥❗️

ただ、初診なので紹介状がいる。
仕方なく、息子とタクシーで前のかかりつけ心療内科に行き、ヘロヘロしながら経緯を説明し、紹介状は後で息子が取りに行ってくれた。
(もう、運転も出来なくなっていた)

親が精神科に通院、しかも入院なんて嫌だったろうな。私は父で慣れてたけど。
息子には内科にも付き合わせ、あの頃は本当に世話になった。

ようやく入院の日が訪れた。

まずは問診で、小さい頃からの生い立ち、性格、病歴などを話した。車椅子に座って、話すだけでもマジでしんどいんですけど!😓
フーフー言いながら愛想のない40代位の先生に説明。
しかも家族の前で!

主人も赴任先から戻ってくれた。

次は主人に私の性格などの聞き取り。
すぐに寝かせて欲しかった。
ソファで息子にもたれかかり待つ。

ようやく部屋へ。
持ち物は全部点検、ああ、眉毛剃りもダメなのね、そうね、危ないもんね。
色々と持っていかれたが、何だったか忘れた😅


そして点滴。家族はそこまで。
その後皆は娘の大学の入学式のスーツを買いに行ってた。私も一緒に行きたかったな…

あれ?息子は四つ上だから、あの時は大学4年の春休みだったから暇だったのか!
noteを書いて気付く。誤解してごめんよ🙏

そうして入院生活が始まった。

病院はめちゃキレイで、廊下はガラス貼りなので明るく、廊下に座り込んだり奇声を発する人もいない。
シャワー、テレビ付きで本当にビジネスホテルみたい。(後で息子にPCも持って来てもらった)
週3でお掃除の方が来る。
下の階は大部屋。ちょっと騒がしそう。


しかしすぐに眠れる訳ではなかった。

私は手術の麻酔のように、一瞬で眠れる薬があるんじゃないか、と期待していたが、普通に睡眠薬だった。
音に敏感になっていて、救急車が近づく音、空調からジ、ジ、ジ、と変な音もする(後で直してもらった)。
最も嫌だったのは、一時間ごとに看護師さんが見周りに来ることだ。鍵の音。(外からは鍵がないと入れない)。ライトで部屋を照らし、ガチャンと閉まる音。

ちょっと!そんなの緊張して寝れないよ!

翌日看護師さんに、「見周りはやめてください、寝に来てるのに緊張して眠れません。」と言った。
先生に相談の上、私は見周り無しでOKになった🙌 

しかし夜中に看護師さんが廊下を歩く音も聞こえるし、結局慣れない環境で、5日眠れなかった。
5日寝ないと死ぬとか言うけど、大丈夫なんだ。。。
ただし、日中は寝たきりだけど。
その間、部屋からは一歩も出なかった。


ご飯も取りに行けないので配膳してくれ、夕飯もくら〜い部屋で食べていた。寝てない人には電気が眩しすぎる。

不思議とその後くらいから、少しずつ眠れるようになった。電気もつけて、運動不足解消に広い廊下を往復して歩くまで回復した。あれは栄養士さん監修のご飯のおかげなのか?


そして歩いたり洗濯(共同)するうちに、入院中のAちゃん(18歳位)、Bちゃん(24位)、Cさん(44位)と顔見知りになり、ご飯の後などに談話室で雑談するようになった。

AちゃんとBちゃんは摂食障害っぽい。事細かに病気の話しはしなかった。Cさんは年が近いので色々話せた。小さい我が子の世話でいっぱいいっぱいになり、適応障害のようなことを言っていた。私は原因不明の睡眠障害。


じきに私は近くへの外出も許されるようになった。
近所のスーパーでお菓子を買い込む。
楽しみがそれしかないから、マジで太った。

おばちゃんの私は談話室でみんなにお菓子を配ろうとしたけど、Aちゃんは、過食や拒食を繰り返しているのでOKされたものしか食べてはいけないらしい。悪いことをした。

Bちゃんはとても可愛く、(Aちゃんも可愛い)手作りのハーブ入りの石鹸をネットで売ったりして、既婚のおしゃれな子だった。

ある日、談話室でBちゃんがいないことに気付いた。
「今日は来ないのかな」と言うと、Aちゃんが、「◯◯室に行ってるんです。」
名前を忘れたが、保護室や独房のような所だ。
ベッド以外何もなくて、防犯カメラで監視される。
昨日自死しようとしたらしい。

なんで?(><)💦💦💦
あんなに可愛くて才能もあるのに!!

普段も礼儀正しくにこやかだ。ショックだった。悲しくて泣きそうだった。

二人とも本当に可愛いのに、いろんな背景があるのだろう。親だったらどんなに悲しいか。(自分の親もこんな気持ちだったのかも!今気付いた)

でも突っ込んだ話はしない。自分から言ってくれるまで、とても軽々しく聞けない。

Bちゃんはまたにこやかに部屋に帰ってきて、一緒に廊下を歩いた。


私はOT(作業療法)も許可され、それがとても楽しみだった。クロスステッチの髪ゴムや手縫いのティッシュケースなど、簡単な作り物キットがある。

そして病院の外周もCさんと何周もして、次は少し遠くのモールまで外出。そして家での外泊。
順調に進み、この病院で良かった、と思った。誰かに相談されたら迷わず勧めるだろう。

こうして2ヶ月の入院生活は終わった。

そして職場に戻って2年働いたが、集中したり、あちこち動いたりすると目眩がしそうになる。どうも交感神経がすぐに昂るようだ。
かくして職場は休職中。でも宙ぶらりんのままだし、私の後任さんはきちんと仕事をしてくれてるし、今年度で辞めようと思っている。

退院から5年も経ったわけだが、なぜか薬が合わなくなっては変えて、を繰り返し今に至る。食べ物のせい? 
今は5時間睡眠(たまに2、3時間)で、とりあえずなんとか生きている。
退院した当時の方が調子が良かった。

今でも愛想のない担当の先生に月一でかかっている。でも、必要のない薬はすぐにやめてくれるので、実はまあまあいい先生だった。
もっと愛嬌さえあれば…👨‍⚕️

年の近いCさんとは連絡先を交換したが、一度連絡しただけ。一緒に花見もしたし、スーパーへ買い物も行った仲だったけど、なんか今の状態を聞くのが怖くて連絡出来ない。おそらく向こうも。忘れたい思い出になってるかもしれないし。

でも偶然にも一時期を共にした皆、良くなってるといいな。

これが私の入院生活の顛末です。
ここまで読んでくださり、
ありがとうございました(^_^)


おしまい。


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