母を偲んで
母(90歳)が亡くなって今日で2年。
いつだって子供の心配をしている、朗らかで優しい母だった。機嫌が悪い母を見たことがない。気立てがいいというか、天然で楽観的な人だった。律儀で人が良かった。
「明日は明日の風が吹く」が口癖だった。そうでなければ、あの父の面倒は見れなかっただろう。
父はお酒が入るとめちゃくちゃな人で、晩年は父の鬱に振り回され、父の世話で手一杯だったと思う。
私が小学生の頃、個人で営業?している宗教まがいの人をよく訪ねていた。私は、なんかやってるなー、くらいにしか思わなかったが、後から思うと父の相談をしていたんだと思う。
すがるものが必要だったんだろう。
毎日が夫婦喧嘩だったから。
お土産持って遊びに行くと、夫を腹一杯食べさせて、倍のお土産を持たされて、孫の行事にはどこでも必ず来てくれた。
最期に会ったのは亡くなる月の初めで、娘の演奏会を車椅子で観に来てくれた。
その時に車の乗り降りなどしてる間か、せっかく着けていたアメジストの指輪とブレスレットをどこかに落としてしまった。
今考えると、その頃から段々痩せてきていたんだと思う。それでもいつものように精一杯オシャレして外出してくれた。
でも病気はなかったし、家で股関節脱臼(外で転倒)の手術後のリハビリをしていた。高齢で転倒するのは本当に命取りだと思う。
亡くなる四日前に、重いタンスの引き出しを開けようとして後ろに転び、腰を打ち、痛み止めの薬をもらった。それがとても眠気を誘い(副作用として明記)、眠い眠いと三日間寝たきりで、同居の姉がお風呂に入っている間に亡くなってしまった。なんの予兆もなく。
神様は母を苦しませずに連れて行ったのだと思う。今生でするべき苦労は充分にした。人のために生きた。
死因は老衰。心肺蘇生をしても心臓から血を全身に送り出す力がないと言われた。
食べ方も減ってきて全身が弱っていたのかもしれないが、強い痛み止めの薬が決定打になってしまったのだと私は思っている。
書いておかないと忘れてしまいそうで、今日は母を想い記しました。湿っぽくなりました。
読んでくださった方、ありがとうございます🙏
でも、やっぱり書ききれない…😢
おせちの昆布巻きが美味しかった。
煮物も最強だった。
すぐきのお漬物と葉牡丹が好きだった。
たまに行くデパートが唯一の気晴らしだった。
謙虚で目立たなかった母だけど、昔ながらの完璧な主婦で、超えることは出来ない。
私はどう生きればいいかな。
まだふいに涙が出るよ。
天国から皆を見守っててね。
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