きっと、名残惜しいぐらいがちょうどいい
(写真は下北沢で食べたマシュマロトースト!友達と2人で食べた。)
カラオケのフリータイムを入れる時、時間無制限の食べ放題コースを選んだ時、そこで幸せは頂点で、コロコロ下り坂。
いつでも続けていい幸せを自覚すると、何故だかもう幸せが飽和してしまう。
最大級の幸せを感じるためには、100パー幸せじゃだめなのに。
スターバックスの甘い甘い味のベンティを見ると吐き気する様に、
世の中に70%カカオのチョコレートが好まれる様に、
苦さがないと。苦しさがないと。
甘いだけでは逆に辛い。
たまに会うくらいがちょうどいい。
学生という時間制限、もっと多く見れば、人生・寿命という。
苦しい、足りない、もっと欲しい。
そんな苦味がその後の幸せのアクセントになって、蛍光色に輝く。
ジュワッと広がる少しの後悔と、内側から現れる充実感と高揚感。
そこから分かる、幸せ。
もっと話したいな、離れたくないな。
って、思った時が引き際だ。
また会えるかな、会えないかもしれないけど、会えたらいいな。
腹7分目で幸せの摂取をやめる。
それ以上でも以下でも、別々の後悔がより多く募る。
依存の1歩手前、栄養不良の3歩先。
(日本語むずくね?例えわかりますか)
幸せの湧きどころからばいばい手を振って、
なんか別の幸せに目を向けるもよし。
苦しい所に行ってみちゃうドM精神を持つのもよし。
名残惜しいと思い、そして思われる関係。
それが少し難しく感じるのは、人間の溢れんばかりの欲と、人類の脳みそがバリバリの慣性の法則保持者だからなんだけどね…わら
欲から自立したい。
別れを愛したい。