自己肯定感=綾波レイ?【深掘り】
昨晩、愛が過ぎるファンのぶつかり合いみたいな配信見て朝起きたらひろゆき氏の引RT見て「ほほーう」となったので書いてみる。
書いてみたらひっちゃかめっちゃか感でした。(あとがき)
元ツイは自己肯定感を持てないって悩みらしい。
んでひろゆき氏のアンサー。
それを見たワイ「???」
そもそも自己肯定感の反対語は自己否定ってことか?とそっから考えてみた。
自己否定は自信というか自分の存在を認められない気持ちって事か?
自己否定が過ぎて「自分が人から大切にされる価値ある人間」かどうかへの疑問が元ツイの謎に感じてる部分と読み解く。
というかそもそも論、自己肯定感は自分で自分を肯定する感情なので、他者により左右されるものでもないのでは感。自尊心(自分で自分を尊ぶ心)と似てる。
とすると恐らく元ツイって「自分の中で自分の価値が、他者によって決まる」ってのが根本にあるのかと推測。
それは自己肯定感ではなく承認欲求の方では・・・?
自己肯定感の高い人とは、自分と他者の違いにおいてその違いを認識できてる人だと思ってる。他者は他者で自分は自分って意識が高い人。
要はその違いを認識する能力が高ければ高いほど、自己肯定感は高くなる。ただそこで他者と比較しちまうから、辛くなったり自信喪失になるんじゃ?と。
そもそも自己肯定感は他者と自分間においての優劣で決めるものではないんじゃないかね?と言うのが持論。
上下の優劣で自己肯定感を認識する事でしか確立出来ないと、色々比べて考えちまって大変だろうと思う。お隣さんはお隣さんっていう横並びスタイルが本来の自己肯定感の在り方ではないか?
「あなたのお庭のリンゴ素敵ね~。私のお庭のライムもいい感じでしょ~」みたいな。
で。「他者に大切にされる」はイコール「他者に大切にされたい」だと捉えてられるわけで。他者にとって自分は大切にしてもらえる存在でありたいってことか?と読み解くと、それはどんな存在だ?と更に深掘り開始。
他者に大切にされる存在ってのは解りやすく可視化すると「他者にとって有益な存在」だと思った。
寄り添ってもらえる/この人と連れ立ったら良いことあるとか、共感/肯定してもらえる、相互間においてメリット・デメリットで見たらメリットが多い存在。
自分を肯定してくれる/一緒にいると楽しいなどの自分を受容してくれる人。(それが一方的に当て嵌まるのは親子関係くらいだと思うが)
んで、元ツイの「大切にされる」って一体どの視点からの思いだろうと考えた。そこの部分はあれだけじゃ流石に読み取れないので予想。尊重してほしいって意味なんか?
例えばAさんは見た目がいいけど、性格悪い人。そんなAさんが他者から大切にされてるとする。
「Aさん見た目は良いが、性格が難ありで」
と言われるAさんは、果たして元ツイが疑問にしてる【他者から大切にされてる存在(状態)】なのかと思うわけだ。利用されてるだけでは?と。
Aさんが利用されても良いと思ってるなら別だが、「見た目が良い」をAさんから抜いたら、大切にされる理由が無くなるのでは?これがひろゆき氏の言う根拠に近いかと推測。
Aさんの見た目は、Aさんからしたら色んな意味での努力をし勝ち得た自尊心と自己肯定から来る自信(プライド)の部分であろう。周りもそんなAさんと一緒にいるとモテるからって遊んだりする。だが他者からの肯定(称賛など)とAさんの自己肯定感が繋がっているかは正直わからないのでは無いか?
自信があれば自己肯定感に繋がるが、自信を持てるかどうかに他者の感想・評価は関係ないと思ってる。周りが持て囃したりしても結局Aさんが自分の見た目に自信を持ってなかったり不満を持っていたら自己肯定感は低いまま。
(自己肯定感の低いAさんに「見た目どう?」て毎回聞かれたら、ゲンナリしないか?そんな疲れること毎回するの面倒やん?寄り付かなくなるし、大切にしたいと思えなくなる。距離置く。それのどこが大切な人にする行為だい?と。)
そもそも大切にされたい/されてる人の大切って一体何なんだ?
私的に尊厳を尊重してくれるか否かではないのか?と考えるが、元ツイはどんな大切を求めてるだ?
鬼滅の刃の冨岡義勇も言ってるけど「生殺与奪の権を他人に握らせるな! みじめったらしくうずくまるのはやめろ!」って、極端だがこれは自分の生死という尊厳を他人に決めさせるな。そうやって他人のせいにしてうずくまり立ち止まるなって事だと解釈してる。(この後の台詞のがしっくり来るが鋭利すぎるw)
結局、自己肯定感という自分の価値の指標(尊厳)は自分でしか決められねーのよ。
もっと言ってしまうと自分の価値は他人視点からすると評価なので、自己肯定感を得るのに評価してくださいってことやん?
大切にしてもらう/大切にするために相手から評価してもらう/評価するって事だが、自分はそんな他人様を評価して良い程立派な人間でもないしなーと思う。
なので元ツイとひろゆき氏の2つへの感想が「???」となったわけだ。ようやく伏線回収。長らくお疲れ様です。
お気付きのように個人的に他者からの評価を気にしないタイプだから元ツイに対して言えることがあるならば
「まずは自分を認めて自分を大切にしたら良いんじゃね?
一番身近な存在の自分を大切にしてない人が、他者を大切に出来ると思わんし、だからこそそんなアナタさんが他者から大切にしてもらえるとも思わんぞ」
だし、見た目とか誰かと比較して優劣で評価が決まるものにしか自信が無いと、ひろゆき氏の言う自己肯定感の喪失かもだが、そもそも自分を大切にして自尊心が高ければ、他者と比較して得るものは承認欲求の満たされだけってわかるもんだがなーと持論をぶちまけてみた。
そんなに他者に認められたいもんなのか・・・スマン、あんまそこは共感できない。自分自身に対ししっかりばっちりダメ人間とは思うが、だからって他者に存在否定される理由は無いと思って生きてるタイプだから。
存在意義を他者に委ねない。綾波レイタイプじゃないのよ、こちとら。
(でもそれだと自己認識を改めたシンエヴァのレイみたく溶けちまう可能性が・・・?綾波レイってのは他者に存在意義求めたキャラだと認識してる)
要は自分への尊厳に対して、どう向き合ってるか。自己啓発って程じゃないが、自分とよく向き合えてれば自分だけのことで一杯一杯で他人を評価するほど余裕なんて無くなる。生物は常に進化成長が本能にあるし、人間完璧にはなり得ないからなー。そもそも生きることは競争だったっけ?って感じ。息してるだけでマジ感謝で偉いんだよ。イマルってやつ。生きてるだけで丸儲け。
承認欲求と自己肯定感を履き違えると、生き辛いだけやんなーって思うわけですわ。
最後の部分だけで良かったな?ポストしとこ。
ダラダラなのに読んでくれて、サンキューです。
ちなみに昨日のキャラ愛が過ぎた配信は、まさに他人の尊厳に口出して自分の承認欲求満たしてるパターンの典型だったなと思ったから、ついでにこれ書いた次第。
※承認欲求・・・「他人から認められたい」「自分を価値ある存在として認めたい」という欲求
※評価・・・そのものの価値を定めること。また、その価値。どれだけの価値・価格があるか見定めること。
※自信・・・自分の価値・能力を信ずること。自己を信頼する心。
サポ、サンキューです。 叩いても出るもん埃しか無いから、サポートついでに自分なりの記事を書いてもらえたら良き。選択肢が多い方が幸せになる人が増えて皆HAPPY。 選択肢の多さ、多種多様の見解が多様性だと思ってる。 不幸が多いより幸福だらけの方がきっと良い世界じゃん?しらんけど。