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嫌いなままでいさせてくれよ

介護士は別に優しくない。端から見ればその職についているだけでという感じだけど、当事者に言わせればむしろ冷たくないとできない仕事だと思う。僕のような施設勤務の人は、特に。

なにせ老人というのは弱っていく。
まるで花が枯れるような速度で、昨日のあの人が過去になっていく。
歩けていた人が歩けなくなり、覚えていたことを忘れ、我慢できていたことが我慢できなくなる。

それを目の当たりにしながら、他人事だと思える薄情さが介護士には必要だ。
瞬く間に別人へ変わっていく彼等に心まで寄り添っていては、もたない。

僕たちの優しさは商品であり、ファミレスの接客が丁寧なのとなんら変わりはない。
世間はサイゼリアで働く人を優しいとは評価しない。すこし首をかしげたくなる。
スタッフもお客さんも人間同士なのは、どこの世界でも変わらないのに。

それを介護にだけ世間も業界自体もがマニュアルレスな優しさを理想とするから、なんだか窮屈な世界になってしまうんじゃないだろうか。

世の中、お客にもスタッフにも好みがあって当たり前だ。

「あぁこのスタッフさん好きだな」「あぁ、いいお客さんだな」

そうやってリピーターができたり、あるいは離れたりする。
なかには丁寧な接客が嫌いで、距離をつめたフレンドリーな接客が好きなお客さんもいたり。その辺をうまく調整できるのが店とスタッフの腕かなと思う。でも、中にはあまりにも理不尽な人もいて、彼等は客足り得ず、退室願うことになる。

介護だと施設を退所になったり、サービス受け入れを拒否されたりだろう。ただ、そういったケースは稀で、現実は薬を使って本人の気分を調整していくことになる。

そうは言っても、薬が効くとは限らない。泣く叫ぶ、叩く殴るのオンパレードは珍しくない。
僕らは商品としての優しさを提供しながら、唇を噛みつづける。

薬が効かないとなれば量が増える。やがてそれは体に溜まり、本人の体も心も泥々に溶かしていく。そして廃人のようになった彼等の口に、介護士は食べ物を運んでいくのだ。

壊れかけの人間がいよいよ終わっていくのを見ていると、薄情なこの心でも揺れるのを感じることがある。そういう時、僕はひどい罪悪感に襲われる。

都合がよくなった途端情が沸くこの浅ましさに、おぞましさすら感じるのだ。
そして、思う。矛盾したおかしなことを。


弱ってる姿、みせないでくれよ。簡単に情が沸いて、嫌になっちゃうんだ。
どうか強いまま、我儘なままでいてくれ。
嫌いなままで、いさせてくれよ。


日々、ゆるやかな地獄にせめてもの陽をあてている。朝も、夜も。
冷たい僕でも辛くなる。優しい人は、とてもやれない。




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ぴぴぷる
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