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オタクは推しに応援されて生きている
先週見た劇団さるしばいの舞台「明日の後で」に印象的な台詞があった。
全オタクが共感すると思う。
劇中にはまだファンの少ない地下アイドルと熱狂的なオタクが登場する。アイドルは“まなみん”、オタクは“おまいつ(おまえいつもいるなの略。アイドルファン用語。)”と呼ばれる。
おまいつはかなり癖のあるキャラクターで劇中のほとんどでギャグ要員。
そんな彼が舞台の終盤で放った台詞は、オタクの気持ちを上手く言語化していると思う。
心の奥底を突かれたようで涙目になった
(以下、1週間前に見たので言い方などはかなりうろ覚えだが大体このような台詞だった。)
「あなたはいつもまなみんを一生懸命応援してるものね。」みたいなことを言われた後の台詞。
「僕がまなみんを応援してるんじゃ無い。まなみんに応援されてるんだ。次もライブに行こうと思えば頑張れる。それは応援されてるってことなんだよ。」
正にこれでしょ。
全オタクこれでしょ。
何日後に(何週間後に/何ヶ月後に)推しの出るライブに行くと言う楽しみがあるだけで日々の生活に張り合いと彩りが出る。
嫌なことがあっても疲れても「でもライブがあるから」で頑張れる。
延々と片付かない引越し作業で毎日疲れ果てていたけど「これが済んだら行きたいライブに行ける日が増えるから」で頑張れた。
何年も足踏みをしていた転職にもやっと踏み切れた。
(趣味の充実の為という道楽的な動機で1人で勝手に始めた引っ越しなので頑張るもクソもないのだが。)
入居からそう日も経っていない頃にこの台詞を聞いたものだから「本当にそう。言う通り。」と思って泣いた。
脚本を書いた人は何かのオタクなのだろうか。
「明日の後で」配信はこちらから
チケット購入と視聴は10/27(木)まで
[観客として応援する側の話]
応援らしい応援というものを人生のほとんどでしたことが無くて、去年の夏頃に観客投票で勝者が決まるお笑いライブを観た時に初めて応援している実感が湧きかける。
ただ、応援というものを意識し始めたら何が応援になるのかが分からず、「応援する気持ちはあるのにどうしたら良いのかがよく分からない。」なんてnoteを書いたこともあった。
その時に有識者からもらった答えはとてもシンプルで分かりやすく簡単なことだった。
その後もM-1グランプリやG-1グランプリ(芸歴15年以上賞レース)やクラウドファンディングなど分かりやすい形で応援出来る機会があり、楽しかったり悔しかったり感動したり。
正直に言えば楽しいだけでは無かったが、それでファンをやめようとも思わなかった。
観客からの「応援」はあちらの熱量に呼応して湧き出る衝動のようなものだと思う。頼まれてするものでも無いし見返りを求めるようなものでもない。他者と比較したり優劣をつけたり争うようなものでもない。
応援そのものが目的になってしまうのも違うなと思う。
何かに向けて一生懸命頑張っている姿を見ていたら自然と応援したくなる。
おもしろいものを見て笑ったら、これからも良いものを見せてほしいと応援したくなる。
そして、いつも応援しても応援し足りないと感じるのは観客として“応援されている”方が大きいからだ。
「次もライブに行こうと思えば頑張れる。」
これがどれほど大きいことか。
三拍子さんときつね日和さんは今後ともよろしくお願いします。
応援しつつ、されているので。
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