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[日記]内村文化祭’21『満面』を観た
遂にウッチャンを生で見た。
特報王国に始まり、ウリナリ、炎のチャレンジャー、笑う犬シリーズ、内P、イッテQ、スクール革命、LIFE、etc…..。幼少期に青春期、受験に就活、人生の各段階にウッチャンが出るテレビ番組が傍にあった。
画面の向こう側の憧れの存在。
社交ダンスやドーバー海峡横断、ピアノ演奏など、どんなに困難な挑戦でも汗水流して練習を積み重ねて本番では成功を収める。その姿に何度元気付けられたことか。
笑いの中に哀愁や孤独が見え隠れするコントは毎週の楽しみで食い入るように見ていた。
ウリナリ放送終了から約20年が経つ。20年越しに初めて生でウッチャンを見て拍手を送ることが出来た。
今までも行こうと思えばいつでも行けたのに、ずっとテレビで見る人だと思っていたのでライブに行くと言う発想がそもそも無かった。そしてライブを開催していることも知らなかった。(去年、「内村文化祭が初のネット配信をする」と言う告知をツイートで見かけてその存在を知った。)
会場は満員で、私と同じくらいの年齢の人も年配の人もウリナリを見ていた頃の私と同じくらいの年齢の子供もいた。今もなお老若男女に愛されるウッチャン。
座席表で見るよりも実際の席はステージに近かった。
開演の時が近づくと照明は暗くなり、音楽が鳴り始めた。徐々に音量が大きくなりピークに達すると目の前のスクリーンに映像が投影される。客席から笑い声が聞こえてくる。
そしてまた暗くなり、舞台袖からバイクに乗ったウッチャンが現れた。白いスポットライトで照らされている。
初めての拍手を送る。
あの頃ずっとテレビで見ていた人が目の前にいると思うと胸に込み上げてくるものがあった。
最初の演目は自身の年齢と加齢を自虐的に歌にしたものだった。今年で57歳らしい。
小学生だった私がこんな大人になっているのだから、ウッチャンも同じだけ歳を重ねていて当然なんだ。なのに私の中にはいつまでもウリナリや笑う犬に出ていた頃の記憶が色濃く残っているので、なんだか20年と言う月日がこの数分の間に一気に押し寄せて来たかのような不思議な気持ちがしてしまった。
でも何歳になろうとウッチャンはウッチャンだった。
その佇まいも声も仕草も、何もかもおもしろくて何度も笑いが起きた。両隣の人も前後の人も、遠く離れた席の人たちも、みんな同じものを見て同じタイミングで笑っていた。
コントではなく「お芝居」と銘打っていたが、人の悲しさや寂しさを笑いで包み込むような優しい物語と芝居は顕在だった。
若者でも体が悲鳴を上げそうな激しいダンスに挑んでやり切った姿は、かつてのウリナリ社交ダンス部やドーバー海峡横断部を彷彿とさせる。いつまでも挑戦を続けるウッチャンは今も変わらずそこにいた。(今度はテレビの中ではなく目の前に。)
ウッチャンがやりたいことを羅列すると言うコンセプトで開催された「内村文化祭」は、歌あり、ダンスあり、お芝居あり、トークあり、感動も笑いも興奮もあって、会場全体が楽しい感情でいっぱいだった。
最後のカーテンコールにも観客が参加できるような楽しい仕掛けが隠されていて、両掌が痛くなってもいつまでも拍手をしていたいくらいだった。
冒頭の映像では「1時間45分のライブを」というようなことが書かれていたが、終演後に時計を見たら2時間半近くが経っていた。
「今年はこんなにもたくさんのお客さんの前で内村文化祭を開催できてとても嬉しくて楽しい。」「去年の無観客オンライン配信は寂しかった。」
「本当はマスクを取ってもらって皆さんの笑顔を見たい。」
「本当は皆さんにも声を出してもらいたかったけど今年はまだ出来ない。来年こそ、そういうのもやりたい。」
細かい言い方は違ったかもしれないが、ライブ中のトークとカーテンコールでこのようなことを言っていた。
私もすごく楽しい時間を過ごせたけれど、ウッチャンも同じかそれ以上に楽しんでいたのならこんなに嬉しいことはない。あの会場の一部になることが出来て本当に良かった。
来年も必ず来たい。
その時はマスクを外して笑い声と拍手以外でも「おもしろかった」と「ありがとう」を伝えられますように。
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