【短編小説】ぬるぬる
テレビで嫌なニュースが流れていた。そんなものを見ている時は決まって、頭の中がぬるぬるになっていく。
僕はデスクから離れ、トイレでことを済ます。それで少し頭がはっきりしたけど、三十分も経てば元どおりのぬるぬるになった。
個人的な怨念や、組織と習慣と思想の対立や、共感する余地のない殺意や、身もふたもない愛憎劇や、誰かの決意表明とそれに対する分かりきった未来予知や、畜生の気持ちを勝手気ままに代弁するテロップが、僕の脳をとてもぬるぬるさせ、白濁しはじめたあたりで、とうとう吐いた。
部長がじっとこっちをみている。僕が吐いたことを認識していて、それを認めるかどうか悩んでいる様子だ。僕の隣の女性社員が、部長のところに行き、何か耳打ちをした。その後すぐに部長は、
「君、体調が悪いなら早退しなさい」
と僕に言った。
良い天気で、こんな日の早退は素晴らしいはずだが、脳がぬるぬるなわけで、全く嫌な気分になった。
会社から徒歩八分で、駅に着いた。昼の電車に乗る。いつでもこの時間に乗っている人のほとんどは、ぬるぬるにやられている人だ。みんな中吊り広告を見ている。しかし、集団の重要事項に見せかけた個人の暴露は、ぬるぬるの分泌を促すだけだった。
十年ほど前ぬるぬるは、新しい病気としてメディアに取り上げられた。そして、それにまつわるドラマや小説がヒットし、すぐに世間に認知された。ドラマチックに脚色された他人の欠点は涙を誘うらしい。
ある政治家が、頭の中のぬるぬるは病気ではなく個性であり、皆が理解をして差別をなくしていこうと、そう言った。その言葉で世間の声は大きく変わった。そして、当然ながらその影響を受け、社会も変わった。まず、大企業のほとんどは頭の中のぬるぬるに対する理解を深めるための研修を行い、とある学校では実際に頭の中がぬるぬるした人間を呼び、特別授業をしたらしい。
それまで、頭の中がぬるぬるしたような奴は、外にはいなかった。家族と暮らしている者は家から出なかったし、重度の者は病院に隔離されていたからだ。しかし、今は僕のように働いている人間も全く珍しくない。
電車を降り、改札を出た。ここから徒歩、二十分で家に着く。いつも三百五十ミリリットルのビールと唐揚げを買って食べながら帰る。聞くところによると、ぬるぬるを分泌する人間はこの食べ合わせを好むらしい。どうやら、アルコールと揚げ物が頭をはっきりさせるみたいだ。
ビールを一気に半分いく。脳の周りについたぬるぬるが洗い流されていく。すりガラス越しに見ているようだった太陽が、その輪郭をはっきりさせた。世界がどんどん高画質になって気持ちが軽くなる。
帰り道の途中の公園で、草むらをじっと見つめている二人の小学生を見つけた。その姿を見ていると小学生の頃のある出来事を思い出した。
人差し指を立てる。じっとしているとトンボが止まった。それを友達が素早く捕まえ、羽をもぎ取る。近くのベンチにそれを持っていく。そこにはすでに、三匹の羽のないトンボが酒のつまみのように横たわっていた。
羽のないトンボは、なにもできない。それを見て僕らは楽しんだ。がそれは最初だけだ。だんだんつまらなくなっていく。飛べないトンボ。という認識が、羽のないトンボはなにもできない。という当たり前の認識に変わったからだ。
つまらないが、なにかあるんじゃないかと、また捕まえて羽を取ると、今度のやつは胴体ごと裂けた。中は乾いたシーチキンみたいだった。そこだけまとめて真っ白なお皿の上に出されたら、もしかすると美味しそうだと感じるかもしれない。友達もたぶん似たようなことを考えていたんじゃないだろうか。
友達はカマキリを捕まえてきた。カマキリに裂けたトンボを与えた。無理やりに口に押し付けると、昆虫特有の複雑な仕組みを使って食べ始める。カマキリは全てを平らげたし、僕らはその一部始終を見ていられた。しかし、それにも飽きてしまった。カマキリがトンボを捕食することなんて、普通のことだと気がついたからだった。
公園の小学生は、どうやらカマキリを捕まえたらしい。雄叫びがはっきり聞こえてくる。なんだかこっちまで楽しくなってきたのは、アルコールのせいだろう。
「おじちゃん、こんなとこでなにしてんの?」
「仕事は?」
二人の小学生は、僕に気がついたらしく話しかけてきた。僕は長くなりそうだなと思い、適当に返事をする。
「今日は午前中だけの仕事なんだ。じゃあ」
僕が去ろうとすると、近くのおじいちゃんがやってきた。
「にいちゃん、あの二人学校サボってるんじゃないか? 注意しないと」
と僕に言って、小学生二人を注意しに行った。
とたんに頭の中がぬるぬるしだした。ビールも唐揚げも頬張ったけど、ぬるぬるは治まらず、鼻からたれてしまう。おじいちゃんはそれを見たらしい。
「なんだ、にいちゃん、ぬるぬるかい? すまん、わしが悪かったな。きぃつけて帰んなね」
そしておじいちゃんはどこかに帰っていった。小学生二人もすでに居ない。
ぬるぬるにまみれていても、世間に認知され活躍できる場がある。しかし、その先には生きる意味の消失があった。
あの人はぬるぬるだからしょうがない。ぬるぬるの人にこれをさせるなんて、お前は非情な人間だ。そんな言葉を本当に、差別なしで言われる。僕らの人生は初めから限界が決まっていて、それ以上のことはなにも求められない。活躍できる場があるといってもそれは、誰でもできて誰もやらないことの寄せ集めた場なのだ。
あの日、最後はトンボにトンボを食わせた。普通に近づけても食べないが、裂かれたトンボの肉を無理やり口にあてると上手くいった。昆虫特有の複雑な仕組みで自分と同じ体を持つ生き物を食べていた。それは、自然には起こらない狂気で、僕らが手を加えて初めて見ることのできる景色で、とても興奮した。
頭の中がぬるぬるしていると、全てが無意味だ。なにも起こらない。すべて慣れた出来事。気分が悪くなることもない。みんな、ぬるぬるの気分を害さないようにする。それは難しくない。誰もが、ぬるぬるの人間に対して、なにも期待していないし、それが常識になっている。
僕らはこの世界で存在していないのと同じで、なにか生きる意味を見出すには、狂気が必要だった。
実際、増えているのだ。頭の中がぬるぬるになった人間が、どこかに火をつけたり、毒をまいたり、小さなナイフを振り回したり、森から熊を呼び寄せたり、閉じ込めたり、閉じこもったり、ぶら下がったり、ぶら下げたり、バラしたり、ぐちゃぐちゃに組み合わせたり、一人に対して何十人で済ましたり、大勢の前で一人で済ましたり、いつか自分もそうなるのかと部屋で一人怯えたり。けど、そんな事件が起きたって、初めは興奮しながらそれについて語るけど、最後はみんな、こう言うだけだ。
「なんだ、ぬるぬるか……」
そう。所詮、僕らはぬるぬるなんだ。与えられた餌を食べ、時に狂気を見せ、お茶の間の話題になるしかないのだ。
ただ、頭の中のぬるぬるのせいだろうか。怒りや悲しみはない。ただ、あの日のトンボみたいだと思う。そして僕は、あの日のトンボにそうしたように、誰かが僕にそうすることを受け入れているだけだ。