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音楽理論とイデア界
みなさん、音楽好きですか? ええ。まあジャンルによるでしょうけども。
どんな音楽を聴くでしょうか。いっぱいジャンル、ありますよね。めんどいので一つもここには書き出しませんが。
ところで、あまりに音楽を好きで思わず演奏をしている人、いませんか? いますよね。はい。そこのあなたです。
どんな風に音楽をしているでしょうか。コードを覚えて弾き語ったりしてるでしょか。はたまたペンタトニックスケールお覚えてアドリブを弾きまくっているでしょうか。
おっと、ギターにまつわる話ばかりになってしまいました。失敬。
でもねぇ、私はギターを弾くんですけどね、音楽っていいですよ。何でこんなに音楽っていいんだろ。なんかおかしいよ。だって音って空気の振動で、それが鼓膜に伝わってるだけであって、なんでこんなに良いんだろう。
始まりは紀元前に遡る。らしい。
っと、その前にまず、今の音楽の基礎の話。
今の音階は十二個の音で成り立ってる。ピアノの鍵盤で例えると、低いドから高いドの間には、白鍵と黒鍵を含めて十二の音があるってこと。ギターで言えば、十二フレットでちょうど低いドから高いドに行くわけ。
これは音楽の絶対的な基礎になってて、例えるなら、日本語の五十音みたいなところだ。
「十二個の音階? でも、ドレミファソラシ(ド)って、七つの音しかないよ!」
※低いドと高いドは同じ音なので()に入れてます。
そう思う人もいるかもしれない。
つまりこれは、『五十音の中から特定の言葉を抜き出して単語を作っている(アイウエオ から 青とかね)』ように、『十二個の音の中から特定の音を抜き出してドレミファソラシ(ド)を作っている』というわけだ。
低いドから高いドの間を、十二個に分割してそこから特定の音を抜き出したものが、学校でも習う『ドレミファソラシ(ド)』だ。メジャースケールと呼ばれたり、アイオニアンスケールと呼ばれたり、長音階と呼ばれたり、いろんな名前で呼ばれる。
なんでいろんな名前で呼ばれるかはマジで意味がわからん。まあ、あなたが苗字で呼ばれたり名前で呼ばれたりあだ名で呼ばれたり、時と場合によって呼ばれ方が変わるのと同じくらいの認識で。
もちろん、抜き出す音を変えれば、『ドレミファソラシ(ド)』とはまた違う音階になって、呼び名も変わる。
例えば、沖縄の音階には『ニロ抜き音階』ってのがある。名前の由来は混乱を生むので説明を省くが、これは、十二個の音から七つの音を抜き出した『ドレミファソラシ(ド)』からさらに『レ』と『ラ』を抜いたものだ。
ニロ抜き音階は、五つの音で構成される。『ド ミファソ シ(ド)』
もし楽器があれば、試しこれを弾いてみると、〝マジ沖縄!〟って感じになる。特に、シドの部分に沖縄を感じると思う。ミファの部分も感じるわ。
「ふーん。ってことはさ。十二個の音を全て使うこともできるの? いっぱい使えて最強じゃんかね!」
分かんのよ。その気持ち。でも、それは出来ない。いや、正確には、〝しても意味がない〟ってところだ。
そう言う音楽をやってる人もいる。探せば見つかると思う。もし見つかれば聴いてみて欲しい。
そして君はこう思うはずだ。
「しっくりこないな」
多分ね。多分こう思う。しっくりこない。『ドレミファソラシ(ド)』を聞いたときのしっくりくる感じとか、『シド』の時に感じた沖縄感とか、そんなの完全無視って感じだったでしょ。
そうなんです。十二個に分割された音は無造作に全て使ってもいいものにはなりません。特定の音を選別しなくてはいけないんです。(ちなみに、低いドから高いドの間の音を十三分割したり、十一分割したり、そんなものもありますが、これもしっくりきません。しっくりこないのを含めて楽しむものだと思いますが……)
これが大体の今の音楽の基本。これが色々組み合わされて音楽が出来てます。(感性でやってる人は、〝演奏してて気持ちがいい〟という理由のみでこの理論にたどり着きます。マジで)
では、どうやってこの音楽の基礎が出来上がったのか。もちろん。歴史があります。ピタゴラスの定理で有名なピタゴラスが発見したようですね。はい。
音楽が生まれた家庭は、大体は理屈で説明できる。しかし、そのキッカケはどうしても〝神がかったもの〟を感じずには入れないんですよね。はい。
ピタゴラス、音階を発見! 紀元前六世紀ごろの話らしい。
どうやら、物理的な方面から見つけたようだ。
きっかけは、鍛冶場から流れてくる金属を叩く音。その音を聞いていると、〝綺麗に響いている音〟とそうじゃない音があることに気がついたらしい。
すぐさまピタゴラスはその音を探し始めた。
羊の腸を使った弦を張り、バンバン鳴らしまくって共鳴するポイントを探した。
そして、高いドと低いドを発見した。(もしかしたら、高いレと低いレだったかもしれない。とにかく、高い音と低い音で同じ音を発見したと言うことだ)
これをオクターブという。低いドから高いドにいくと、一オクターブ高い。低いドから、高いドよりもう一個高いドにいくと、二オクターブ高いという。
しかし待って欲しい。
果たして、音階と言う概念がない時に、よく共鳴する二つの音を聞いて、「同じ音じゃん!」って思うだろうか?
一応、低いドを鳴らした弦の長さと、高いドを鳴らした弦の長さを比べると、ちょうど半分の長さになるんだけど、それにも影響を受けたのだろうか。
否、私はそうは思いません。
きっと、そこには〝神がかりな何か〟があったに違いないのですから。
共鳴。それは、同時になった音が複雑に形を変える。今は計算でその音を合成できるが、聴く人間にとっては計算で導き出されたもの以上に複雑な感情を生む。
ピタゴラスが生きた時代、中世の教会では聖歌を合唱してた訳だけど、最初は同じメロディーをみんなで歌っていたらしい。そこからだんだんと別の音をハモらせるようになっていった。
ハモらせると、やっぱり何かが違うらしい。歌ってる人たちも気がついていて、実際に出している声よりももっと高い音が聞こえていたようだ。それは天使の声と呼ばれていた。
今は倍音と呼ばれている。
ピタゴラスは、オクターブを見つけた後、この倍音を発生させる共鳴音を見つける。
『ド』に対して『ソ』の音だ。この二つを同時に鳴らすと、確かに綺麗な音がなる。
しかしこれも、『綺麗な音』という、極めて主観的な部分に基づいている。しかも、その感情は、ほとんどの人に備わっていた。
この共鳴する音を繰り返し探して行き、今の十二個の音を持った音階に落ち着く。
でも、そもそも、〝共鳴した綺麗な音〟を認識する能力が人に備わっていなければ、音楽はこのように発展していない。たとえ周波数から共鳴や倍音を導き出せたとしても、それを〝共鳴した綺麗な音〟と認識できなければ、人は音楽を作らない。
ピアノも、ヴァイオリンも、この共鳴を多く鳴らすために生まれた楽器だ。より効果的に鳴らそうとした訳だ。
そして誰かが必死に作り上げたその共鳴楽器は瞬く間に人々の心を掴む。まるで、すでにそれが決められていたことのように。
俺は音楽を聴いていると、そこで歌われていること以上の何かを感じ取ることがある。それは、青春とか、人生とか、そういう言葉に言い表しがたいものだ。
イデア論と呼ばれる考え方がある。イデアとは、物事の完全な状態のことらしい。そこには、完璧な円や、完璧な美しさが概念として存在していて、私たちの大半は共通の概念としてそれを持っている。
そもそも、このイデア論はしっかりと決め事があるわけではないから、解釈自由だ。なので、俺はこう考えた。
音楽にも完全な形が存在していて、それは無数に存在する。たとえば喜びを与える音楽のイデア。悲しみを与える音楽のイデア。
作曲家たちは、そのイデアに近づくために必死にリズムやメロディー、ハーモニーを考える。もちろん、本人たちにはイデアとかどうとかは考えてないだろう。
ただ、自然と、その方に向かっている。共鳴を見つけ、音階を作り上げたピタゴラスもその〝美しい音〟を突き詰めたように。
いい音楽がたどり着く先は、完璧な概念だ。かつての音楽家たちはその過程を音楽理論として残してきた。
さあみんな、音楽理論を学んで完璧な概念に到達しよう!
完
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