【短編小説】ピエタ
四つん這いにした声色の違う男女を横一列に並べ、結束具等で地面に固定する。一列に並べられた男女の臀部には電極が差してあり、演奏者の手元にある鍵盤を押すことにより、電流が流れる仕組みになっている。
四つん這いで横一列に並べられた男女は、基本的には、演奏者から見て左から順に、声色が高くなるよう配置する。この配置の仕方は、国や達に寄って様々だが、今主流なのは十二音階に沿ったやり方である。
鍵盤電流式奴隷楽器(通称:ピエタ)は楽器としてかなり特異である。その理由の一つには、調律の不安定さがある。
ギターやピアノなどの弦楽器は、弦を緩めたり緊張させたりすることで、安定した音階を保つのだが、ピエタの調律に関しては、物理的な要素はあまり関係なく、精神性が大きく関わる。過去にピエタの演奏会の事を、権力遊びと、富豪たちが呼んでいたのだが、そう呼ばれる理由も、ピエタ特有の調律のせいだった。
奴隷に電流を流し、音を出す構造上どうしても、音が外れてしまったり、鍵盤を押していないのに勝手に鳴る、逆に何をしても鳴らなくなったり。と、安定した音を出しづらい。しかし、奴隷に対して、演奏後の罰や演奏中の罵倒、良い音を鳴らせれば褒美を出すなどをすることによって、劇的に安定した楽器になる。その為、富豪たちは、良い演奏の為に巨万の富と兵力を使いピエタの奴隷達を調教した。つまり、演奏者の権力が試される。これが、権力遊びと呼ばれる理由である。
鍵盤電流式奴隷楽器(通称:ピエタ)は、楽器として栄えた時期はとても短く、200年程度だったと言われている。が、語られる逸話は多い。人と人の楽器である故、多くのドラマが生まれたのだ。今回はその膨大な物語の中から、ピエタが楽器として終焉を迎えた頃の話を語ろうと思う。主人公は、若き実業家だ。この男は当時出始めだった完全食品の分野で成功した。そんな彼の夢は、ピエタの演奏者だった。
その時代に人気のあるピエタの演奏者は十数人ほどで、新しい演奏者が現れてもすぐに辞めてしまった。先人の演奏者の足元にも及ばない事に、気付いてしまうのが原因だった。それでも、ピエタの演奏者になろうとするものは居て、年に1人くらい周期で現れる。葡萄が豊作だったその年にピエタの演奏者として産声をあげたのは、若き実業家の彼1人だった。その前の年は0人、そのまた前の年は2人。
若き実業家の彼が、この世界を志したきっかけは、中学生の頃見に行ったピエタの演奏会で、その背徳的な演奏に心を打たれたからである。親に黙って、友達と見に行った演奏会。チケットは一枚9,000円と中学生にはかなりの大金だが、なけなしのお小遣いを貯めて行ったらしい。演奏会は決まって「新・音楽堂」で行われる。収容人数16,000人。毎週日曜日に開催しており毎回満員だ。チケットは演奏会の6日前に販売が開始し、争奪戦となる。
時は流れ、彼は実業家として成功し、ピエタの演奏会には、関係者席で参加する事が出来るようになった。それは、ピエタの偉大な演奏者、ルイ・ネーブロイに取り入ったおかげだった。
ルイ・ネーブロイは、彼と同じく食品製造の社長だった。主に清涼飲料水を扱っている。完全食品を扱う彼と、清涼飲料水を扱うネーブロイが出会うのは、必然といっても良かった。ちなみに、出会いの場は、食品関係者が集まるパーティーだ。彼は何度も演奏会に足を運んだ。毎週のように。そのお陰で、演奏者たちとも仲良くなったし、舞台の裏方の人間とも親睦を深めていった。
ある日の演奏会終わり、ネーブロイが彼にある提案をした。それは、奴隷に刺す電極の電圧を調整する仕事をしないかという話だった。彼は二つ返事で引き受けた。ピエタの演奏者を目指す彼としてまずは裏方を勉強したかったし、本職の方も、部下たちが育ち、暇ができたのが理由だった。
その仕事は何も難しくは無い。異常が起きなければすることもないのだ。実際、何か起きた事なんて、一度もなかった。
初めて裏方で仕事をした一月後に、彼はネーブロイに、自分が演奏者として出演したいと提案した。ネーブロイは、これを大いに喜んだ。そして、彼の演奏会への準備はすぐに始まった。
一月後の出演だ。といっても彼自身の演奏の準備はできていた。奴隷はすでに買ってあり、専用のスタジオも立ち上げた。演奏も何度かした。ネーブロイの演奏に比べれば、雲泥ほどの差がある演奏で、少し落胆したが、彼には情熱があった。いつかネーブロイを超えてやると。そして瞬く間に時は過ぎ、彼の出演する演奏会が始まった。出演は4人で、彼が最初、ネーブロイはラストを飾る。
彼は、全力の演奏をしたが、それはただ、奴隷の悲鳴であり、良い演奏とは言えなかった。彼は肩を落として舞台袖に戻っていく。そこではいつも彼がやっている電圧の確認を別の人間がしていた。
彼は、演奏がうまくいかなかった気持ちを落ち着かせる為に、電圧確認の仕事を代わってくれないかとその男に頼んだ。そして、その男を家に帰し仕事を始めた。いつも通り、大した問題が起きることもなく、ネーブロイの出番になる。
ネーブロイが、準備を始める。自前の鍵盤を専用のスタンドに乗せた。次にネーブロイは、奴隷に向かって怒号を浴びせる。奴隷たちはそれを聞き、自らの臀部に電極を差し込んだ。そして定位置につき、四つん這いになる。ネーブロイはそれを見て満足そうな顔をして、鍵盤の前の椅子に座った。間も無く、演奏が始まる。彼はその時、あろう事か電圧を制御する機械を停止させた。つまり鍵盤を叩いても奴隷の臀部に電気が流れず、音が出ない事になる。なぜ彼がこんな事をしたのか? それは自分の演奏がうまくいかなかった事への腹いせに違いなかった。別に、ネーブロイの演奏を台無しにしようとした訳ではない。実際、機械の起動は直ぐに終わるし、そうすれば演奏も今まで通り始められる。本当にただのいたずらなのだ。
会場に静寂が訪れる。ネーブロイが奏でるピエタの旋律を皆が待ち望んでいた。
ネーブロイが、その太った人差し指で鍵盤を叩く。
奴隷が鳴く。ゆったりと始まったその曲はトルコ行進曲。演奏は緩急をつけながら聴くものを惹きつけた。会場の聴衆達はその猟奇的で甘美な音色に魂を奪われているようだった。
ただ一人、彼を除いて。
臀部の電極には何も流れていないはずなのに、何故、奴隷はあんなにも苦しそうに鳴くのか。何度機械を確認しても、停止している事実は変わらない。それでも奴隷は鳴いている。
彼はこの演奏であることに気がついた。何故、新人がいい演奏が出来ないのか。それは練習不足でも無く、やり方が違ったのだ。この僕も含めて。
つまりピエタはもう既に、ヤラセの合唱になっていると言う事だった。きっと、最初から電流なんか流さずに、普通の練習をしているのだ。痛がっている演技、叫んでいる演技、それでも美しさを保つ演技。彼が憧れたピエタの演奏は、ただの演技なのだ。
彼はその後、演奏者として名を馳せた。そう、あのアーノルド・ディップの事だ。ピエタの天才として表舞台のトップに躍り出た。もちろん、ピエタがヤラセの合唱である事は隠しながら。そして引退後に、自身の自伝的小説「悪魔に魂を売った楽器達」において、ピエタの事実を公表した。その事実は、ピエタを猟奇的なものとして楽しんでいた聴衆にとっては、裏切りとも呼べる内容だった。そして、演奏会の来客数を減らすのに十分な理由だった。他にも、ディップ以降まともな演奏、もとい、ヤラセの合唱を出来る人間がいなかった事も来客数が減った事に関係している。
本が出版されてから一年で来客数は半分以下になり、もう一年で演奏会は赤字になった。そしてそのまま、ピエタはその歴史に終止符を打ったのである。
何故、ヤラセをしてまで演奏の美を求めたのか。それには哲学者の様な探究心があった訳ではない。お金にまつわる闇があったのだ。
ピエタの演奏は奴隷を使う為、政府はこの演奏を禁じようとした。本が出版される80年ほど前の話だ。その際、ピエタに心を掴まれていた権力者達は、その演奏を、神への祈りだと言い張った。奴隷では無く、信者なのだと。もちろん当初の政府はその意見を無視していたが、突然、認められ、ピエタは合法化した。ここにも黒い噂があるが、今回は割愛させていただく。
程なくして、ピエタの演奏会は祈りの儀式になったのだ。その為、チケット代は全てお布施となり税金がかからず、莫大な金が動くイベントとなった。莫大な金が動くとなれば、誰もがピエタが持つ猟奇性や芸術性などは無視し始める。ただただ、利益をあげる為に、ヤラセの合唱が始まったのだ。
ディップは、著書の最後を締めくくっている。
「子供の頃に夢見た、猟奇的で背徳的で、美しいピエタは無かった。それでも続けられたのは、莫大な金が手に入るからなのさ。世の中は金だよ。金が美しさも、猟奇も背徳も生み出す。それが全て嘘であろうとね」
これが、ピエタが表舞台から姿を消すまでの経緯である。
楽しんでいただけただろうか? もし、この話を機に少しでもピエタに興味を持てていただけたのなら、私が執筆を務めた【ピエタのお話 ~歴史的事件から色恋沙汰まで~】にさまざまな話が載っているので、ぜひ買って読んでみて欲しい。
[完]