大切な何かを失ったようなあの感じ。

 ちなみにこれは、〝失って気がついた普通の幸せ〟みたいな話とは全くの別物だと言うことを理解して欲しい。

 暖かくなってきて、懐かしいゲーム音楽を聴いたら、何か忘れていたことを思い出していた。

 斉藤和義の「アゲハ」という曲があって、その歌詞の中の主人公である〝彼女〟は二十歳前半で作り笑いを覚えて、代わりに〝何か〟を忘れてしまう。そして十年経って、ふとした時にその〝何か〟を思い出す。
 アンディモリの「空は藍色」と言う曲でも、何かを忘れてしまう歌詞がある。ずっと思っていたことを、考えるのをやめたせいで分からなくなると、そう歌ってた。

 俺も何かを忘れているような感覚をずっと持っている。
 最初にその感じが訪れたのを明確に覚えている。
 それは中学校に入学して、あの教室の浮き足立つ雰囲気を感じながら、なんとなくつまらなさを感じた時だ。
 なぜ、その時にそう感じたのかは、その時いくら考えても分からなかったし、今考えようとしても、その時の俺は失われてしまっていて、答えにたどり着くのは難しい。
 もしかしたら、関係性が続いている友達がほとんどいなかったのが影響しているかもしれない、とは思うけども。
 その時の俺は、少しだけ肌寒い教室の、自分の居場所とは思えない自分の席に座りながら、(今までと何かが完全に変わってしまったな)という強い思いを感じていた。
 ほんの昨日までの俺は、生きてるだけで満足していたはずなのに、今は満足感がない。いや、満足感と言うのは語弊がある。ただ、一番近いのが満足感。
 とにかく決定的に何かが失われている感じがした。

 仕事終わり、自転車に乗って家に帰る時にも似たような気持ちになる。ただ、最近は〝感傷〟というありきたりな言葉に置き換えられるほどに、その感情に慣れている。
 忘れたことを忘れ、忘れたことを忘れたことすら忘れる。
 そうして、はっとしても、一番最初に忘れた何かにたどり着けない。

 何かを失っているような感じが、一生付きまとうことに気がついたのは高校生の頃だった。
 その頃はそんなことをずっと考えていた。
 将来のことを考えたときに、今ある漠然とした不安がなくなるのかをまず心配した。
 そして、どんな風に未来を想像しても、その不安がなくなることはなかった。
 その不安をなくすためには、失われた何かを取り戻さなくてはいけないのだと、勘付いていた。

 たまに、俺が失っているものをまだ失っていない人がいる。子供なんかは特に、ほとんど何も失っていないように見える。
 そんな人を見ていると、(もしかしたら、その〝何か〟を失わずにいられる方法があるのかもしれない)と思う時がある。これって、優しさか?
 そして、その人が何かを失わないように頑張ってみたりするわけだけど、あれって、結局失われるんだろうな。この虚しさって、大人か?

 大切な何かを忘れてしまったあの感じが共通認識として存在している。
 みんな、何を忘れているのか分かってないのに。
 しかし、大切な何かを忘れたよねって人が自分以外にいるだけで、わずかでも救われる。少なくとも俺は。

 〝何か〟を失った人間ならわかると思うが、もう、ほとんど諦めるしかないことを知っている。
 そして、いい出会いがあった時、何かを思い出したような気がする。

 何かを忘れたような気がしたり、何かを思い出したような気がしたり。
 人生なんて、そんなふうに〝大切な何かが存在している気〟になってるくらいがちょうどいいのかもしれない。

 俺が高校生の頃から持っている一つの希望は、この何かを明確に思い出すことだ。
 とりあえず。この文章を書いても忘れた何かを思い出すことなかった。何かを忘れた、ということだけを思い出しました。

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鳥居図書館
鳥居ぴぴき 1994年5月17日生まれ 思いつきで、文章書いてます。