人生の意味と長さに関する中間報告
【長い】 ①物や空間のある点から他の点までが遠い。②時間の隔たりが多い。
書き出しが全く思い浮かばなかった為、辞書から意味を引用してスタート!
時に、こんな経験はあるでしょうか?
面白そうな映画を発見したけど、三時間もあって見るのを先送りにする。
あとはこういった長ーい作品たち、「龍馬がゆく」「ワンピース」あとは、なんだろう。仮面ライダーも基本的に話数が多すぎて踏み込み辛い。
とはいえ、一つくらいあると思う。何時間も掛かる長い話を見たこと。
各自、想いを馳せてほしい。
その長い話を見終わった時、なんとも言えない感覚がありますよね?
なんかこう、達成感というか、ほらほら。なんかあるでしょう。お話自体がハッピーエンドで良かった。だけじゃないあの不思議な感じが。
長い。これ自体に何か意味があるかも。そう思ったきっかけは、おそらく司馬遼太郎の「国盗り物語」を読み終わったことだと思われる(※要出典)
まあ、国盗り物語については語りませんが、兎に角長かった。
巻数は4巻。別に、そこまで長いこともない。村上春樹の「1q84」の方が多分長い。
が、国盗り物語はとても長かった。読み終わるまでに五年の歳月が掛かっている。
何故かって? 俺にも分からないよ。
いや、なんかね。そういう事ってあるよね。一巻読んで間を開けてから次の二巻へみたいな。それの繰り返しでさ。
まあ細かいことはいいとして。
読み終わった時、静かな衝撃があった訳です。今年は長い話を読むことも多くて、その経験も蓄積されていたんだと思います
その時は静かに訪れた衝撃ですが、その後、私の価値観を変えるほどの威力を持ち始めます。
あゝ、人生には意味がある。そういった予感を感じさせてくるのでした。
これは、人生の意味に関する中間報告になりますが。
まず、事前情報として私が生まれてから現在に至る迄に二十九年の時間が経ちました。
長くないか? 冷静に考えて。
この二十九年間、様々なことがあった。致命的な問題が起きることは幸い無かった。どちらかと言えば順風満帆と言える。あくまで、自分の価値観の上での話だが。
しかし、問題は多い。いや、少ないがその一つがとんでもなく大きい。
原動力。生きる力。人生の意味。
私の人生には生きる意味が欠けていた。
ただ斜に構えているなんてことはなく、逆張りでもなく、本当に生きる意味が分からない。
「何をしても楽しくない」「こんな人生に意味なんてあるのかな」
みたいな、なにかに期待してる感じのやつじゃないのは分かってもらいたい。
人類の営みというか、文明の発達というか、それ自体に意味が感じられなくて、その無意味さがそのまま私の人生にのしかかって来ている。
そんな感じ。
会社での昼礼の途中、どうしても可笑しさを感じる時がある。スーツを着込んだ人間が、コンクリートで造られた空間の中で話し合いをしているのが、なんとも変に思える。
無意味だ。一体何のために規律を守りこんなことをするのか。
働きたくないとかじゃなく。
かといって、何百万年前に戻って裸同然で洞窟よろしく話し合いをしていたところで、そのほうが意味があると思う訳でもない。
無意味。
そもそも、人間が生きる為に起こしている行動全てに意味を感じない。
かといって、じゃあ人類が滅亡すればいいのかと問われれば、それも違う。
滅亡したところで、この地球が存在する意味がない。
と、キリがない訳です。
それでも、生き続けていたのは何故なのでしょうか。
一つは、死の恐怖でしょう。普通に痛いのが嫌なので。
もう一つは、瞬間の楽しさです。まあ、ほとんどの人はこれのお陰で生きているのでしょう。
私もそのように生きて来ました。
ふとした時に訪れる虚無感。それが問題です。
一時期、その解決策として、永劫回帰という考えを採用していました。
私が永劫回帰を知ったのは、ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」という小説ですが、私なりに要約するとこういう意味合いになります。
全ての物理現象が辿る運命は既に決まっている。常に始まっていて、既に終わっている点のような状態。
どんなに無意味だと思っても、全ては決まっている運命である。もちろん、努力や、苦労、悲しみや喜びといった精神活動は自由に思えます。ただ、辿る運命は同じ。それは映画を流しているような物なのかも知れません。
まあ、この考え方は悲観的なように思う人もいるかも知れませんが、自分には大きなモチベーションになりました。
無意味だと思っていた人生に意味のようなものが与えられたからだと思います。
さて、話は戻りまして、人生。
永劫回帰に出会ったのは、三年ほど前だったでしょうか。
もちろん、目が覚めてる間ずっと生きる意味を考えてる訳じゃないので、たまに人生の無意味さを感じそうになる時に、永劫回帰が原動力となって生きていく訳ですがそんな考え方も板に付いて落ち着いて来た頃、ここで国盗りショックが訪れる訳です。
チラチラと、生きている意味を感じるようになったのでした。
明確に言葉にすることは出来ません。断言します。
生卵に落ちた殻が上手く取れない時のように、この手に収めることが出来ません。
しかし、確実にそこに生きる意味が在ることを感じます。
戸惑いました。一度、それに気がつくと度々生きる意味が訪れるようになりました。
何度その尻尾を見つけても、実態は分かりません。
そこで、思いついたのが〝長さ自体が意味を持つ〟という考えです。
私の人生は先ほど書いた通り誕生してから二十九年経つ訳ですが、ここまで来てやっと意味が生じて来たのではないでしょうか。
ある時は、長いことで意味がある人生以外の媒体があるのかを考えていました。
小説、映画、漫画等の物語系は、体感として長いと独特の意味があるように思えます。
次に思いついたのは、麻雀でした。
あれは牌を集めて、役を揃えるゲームです。おそらく、この役を揃える。という状態に意味を感じるのだろうと思うに至りました。
数字が無限に並んでいた場合、一つ並んでいたのと比べて、意味を感じてしまうと思います。
数字の並び方や、同じような形が繰り返されてることに気がついたり。
長いと、どうやっても過去と繋がって法則が生まれ(勿論、誰とも共有出来ない法則の可能性もあります)、役が揃うのではないかと。
これが、人生で起こるのかも知れない。
おそらく、私は三十歳を前にして、なにか人生において役が揃ったのかも知れません。それが私に人生の意味を与え始めたのでしょう。
そう思うと、かつて、自ら命を断つことも選択肢として全然ありだと思っていましたが、ちょっと違うかもなと考えるようになりました。
やはり、人生が短い内には、生きる意味を知るのは難しい筈です。
人生設計があるとか、将来のことを考えてるとか、頭が良いとか、そうじゃなくて、貴方が貴方として生きる意味のことです。
きっと、長く続いていかなくては分からないことがあります。
しかし、長く生きていれば偉いなんて思わない方がいいわけで。
きっと、ただ生きてるだけでも、意味を感じるようになるでしょう。しかし、良い意味ばかりではありません。
先ほど麻雀で例えましたが、長く生きた末に、最悪という意味の役が揃ってしまうかも知れません。逆に、早い段階で役が揃う人もいるでしょう。
まあ、とりあえず私の人生の意味に関する中間報告では、生きる意味がありそうで、それは人生の長さに起因しているっぽことに気がつきましたということです。
人生を続けるといっても、その人生を構成する要素は様々です。
音楽を続ける。誰かの作品を追い続ける。同じ仕事を続ける。美味しい料理を求め続ける。
無意味だと思える全ては、長くそのことを思い続ける事で、いやでも意味を帯びてしまうのでしょう。
知識や、他人との比較はあまり関係がなく、貴方の中に特別な意味がきっと生まれます。
どうか、良い意味であるように。
また、きっとこれからも人生の意味について考え続けるであろう未来の自分と、無意味さのせいで虚無を感じる人たちが、意味を掴めます様に。
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