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【長編小説】異精神の治し方「合法処刑」.9

 タナカが去った後、しばらく動けずにいた。リコの声でやっと現実に引き戻され静けさに気がつく。
「大丈夫?」
「うん」
 とは言ったけど、半分本当で半分嘘のように思った。タナカの行動に動揺していた。それは境界治療を受けていた時にも感じた違和感で、動揺しないことへの動揺だ。
 カオルのことが好きな筈なのに、タナカの言った「カオルより、僕の方がニーコと合ってるんだ」という言葉に魅力を感じていた。あの、合法処刑場で処刑された異精神者のことが思い浮かぶ。その時僅かに感じた共感が、カオルと一緒になるよりもタナカと一緒の方が合っていることの証明になるようで。
 立ち上がって、蛹化したカオルに近づいてみる。黒くて何も見えない。確かにこの中にいる一人の男のことが好きで仕方がなかった。だけど、思い出せるのは、本当に僅かな記憶。そもそも、私とは一体なんなのか。
「ニーコ、迷ってるの?」
 リコの言い方は、優しくなかったけど、苛立ちや敵対心も感じなかった。きっと私が自分で選ばなくてはいけないことなんだろう。けど、何を選ぶのだろう。それは何を意味しているのだろう。
「私、カオルのこと好き」
 取り敢えず私は声に出して言ってみた。
「知ってる」
 優しい返事だ。
 境界治療のことを思い出した。病室のベットに寝ているカオル。私は、カオルを助けることが出来なかった。そんな後悔が押し寄せてくる。それから、私だけが普通の人に戻っている事実にも申し訳ない気持ちがあった。
「ニーコは何も思い出せてないの?」
「うん。リコがしてくれた境界治療のことと、私がカオルに境界治療をしようとした事しか覚えてない」
 そのことを考えると不安になる。だけど、その不安と向き合うことが出来るのは私が異精神者じゃなくなったからだろう。物質化をしそうな感情の揺れる予兆があるけど何も起きない。途中で止まるくしゃみのような気持ち悪さがある。
 リコは私の様子を見て少しだけ先生の目になった。物質化を起こしそうな雰囲気を感じるのだろうか。でも、私はそうならない。もう、ただの人だから。
「もし、それ以上なにも思い出せないとしら、どうするの?」
「それは、ただ後悔だけするのかな。それでだんだんと、カオルを好きな気持ちも薄れていって、境界治療の中でカオルが私に言った、嫌いだったって言葉を信じるんだと思う」
「その言葉が、本心だと思えなくても」
「きっと、時間が経つとそう思えてくる」
 まだ未来の話なのに考えるだけで虚しくなってくる。その心に空いた空洞を埋めるように、カオルの蛹に触れたくなった。今の私の言葉は、本心だけどただの強がりだ。
 私はカオルに触れる。リコに止めてもらうつもりだったのに、なにもして来なかった。
 真っ黒な塊になったカオルは冷たい。だけど、私が触れたところからじんわりと暖かくなっていた。それは明らかに私を思う優しさだと思えた。だから手を離した。
 やっぱり、カオルを信じてみるしかない。もう一度は話をしたい。記憶よりも感じるものを信じたい。だから、出来ることを探さなくちゃいけないんだ。
 いつの間にか私は決心を新たにしていた。
「止めなかったね」
「うん。ニーコの気持ちはよく分かるから」
「もしここで羽化してたらどうするつもりだったの?」
「どうするも何も、カオルが羽化したらどうすることも出来ないから。今はまだ」
 優しくないけど、私のための言い方だった。

 別館を出るとキープアウトのテープの向こうに人影が見えた。背の低い女性は明らかにルルさんだ。
「ごめん、あの人苦手でさ」
 隣でリコが言った。振り返って姿を見ようとすると、すでに遠くの影になっている。ルルさんの動きはない。つまり標的は私だ。
 ここで止まっていても、ルルさんが向かってくるだけだろう。それは余計に状況を悪くすると思う。だから自分から向かった。なんて遠いんだろう。到着するころには、大して時間はたってない筈なのに、冷や汗が滲み出ていた。
「ルルさん、すみませんでした」
 誠心誠意の謝罪を繰り出す。
「ニーコさん。まずは立ち入り禁止の区域から出てください」
 まだテープの内側にいた。急いで出る。
「一緒にいたのは誰ですか?」
「えーっと、リコです」
「ですよね。だから謝る必要はないはずですよ。リコさんには立ち入り許可が出ていますから」
 そこでリコがそんなことを言っていたのを思い出す。
「あー、確かにそんなことを言っていたような。そしたらルルさんはなんでここにいらっしゃるんですか?」
 私が質問をするとおっきいため息をついた。
「ひっ、一体どうしたんですか」
「いえ、ニーコさんに責任はないんです。ニーコさんのせいではあるんですけど」
「え? 何か問題が起きたんですね」
「やり方次第では、問題に発展する可能性がある状態にあります」
 そう言うとルルさんはポケットから封筒を取り出した。中から別の紙を取り出す。手紙のようで、それを読み上げ始めた。
「沼田記念学校管理委員会よりニーコ様へ通達。合法処刑人タナカからの推薦で、ニーコに合法処刑人教育カリキュラムを組む。参加するように。以上」
 またタナカだ。これは例のアレか。無駄な仕事。いざこざ。
「あの……、拒否権は」
「もちろんあります。が、出来ないでしょう」
「いやです。拒否します」
 私の返事を聞いて、ルルさんはこめかみを指でマッサージし出した。これは、ごめんないさいと心の中で謝るしかない。
「そのですね、ニーコさん。そもそもあなたは今、クラス0という異常な状態です。異精神を発症していない。なのにここにいる。つまり、合法処刑人になれる可能性はない」
「それならカリキュラムに参加しろって通達はおかしいじゃないですか」
「その通りです。だから、きっと拒否できない」
 そうか、不条理な何かに巻き込まれている。
「私って一体何者なんでしょうか」
「ニーコさんはニーコさんでしょう」
「それだけ。そういえば、ルルさんは私が異精神者だった時のことを知ってるんじゃないですか? だって、委員会の人なんですよね」
 でも、知っていれば今までに何か教えてくれていたはずだ。
「いいえ。私は、今のあなたしか知らないんです。あなたが私と初めて会った時、私もあなたと初めて会ったんです」
 この言葉が全てだ。ここで苛立っても仕方がない。気分が急速に冷めて行く。
「はは、貴重なご意見ありがとうございます。わかりました。私はここに突然現れた幽霊みたいなもんですね」
 そして力無く歩く。とりあえず、部屋に向かおう。後ろをルルさんが私のノロノロとした歩調に合わせてついてきていた。その優しさを無視して歩き続けた。

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鳥居図書館
鳥居ぴぴき 1994年5月17日生まれ 思いつきで、文章書いてます。