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【長編小説】配信、ヤめる。第6話「火葬」

 スマホでニュースを見ていた。どうやら夏の暑さは人を殺すほどになっているらしい。
 本当、自分の家だったら俺も他人事でいられなかっただろう。けど、蛍太さんお家は快適だ。エアコンの効いた部屋でカップ麺を食べられるくらい快適に過ごせる。
 蛍太さんは結構金持ちだな。
「なあ、穣介。今暇だよな?」
「もちろんっすよ。やることがあったら居候無職なんてしてません」
「そしたら外出る準備だ。早くな」
 蛍太さんはいつの間にか俺を本名で呼ぶようになっていた。それと分かったことは、少し人使いが荒いということだ。
 スマホのを消してポケットにしまう。よし、準備完了だ。悲しくなるほど準備することなんてない。
「よし、あとこれ飲んでけな。眠気覚ましのエナドリだ」
 冷蔵庫からキンキンに冷えたエナジードリンクをくれる。一気に飲み干す。涼しすぎる部屋の中で飲む冷えたエナジードリンク。頭の後ろが痛くなった。
「ところでどこに行くんですか?」
「それ、最初に聞くんだぞ普通は。俺の実家だ」
「どうして?」
「興津魅桜が待ってる」
 前回の配信から三日が経っている。なんで興津さんが蛍太さんの家にいるのかは分からないが。

 あの後、まあ当然だが、興津さんを追いかけた。それが正しい方法だったのか分からないが、思い切り走った。
 分厚い靴の底でよく走れるなと感心するほどの速度で興津さんは走り続け、家でゲームばかりしている俺と蛍太さんはなかなか追いつけなかった。
 信号がちょうど赤信号で、そこでやっと興津さんを捕らえたのだ。三人とも息があがっていた。そのおかげもあってか、さっきよりもまとものに興津さんと会話ができた。
「はあ、はあ、なんで逃げるんだよ」
「ん、はあ、はあ、あの、別に……。でもすみません。私、一人になりたいです」
 信号が青に変わって、俺たち二人は止った。興津さん一人が歩いていって、流石にもう追いかけることは出来なかった。
 その後、俺は一度家に戻った。蛍太さんから服と生活なものを持ってくるように言われたからだった。それは、これから本腰を入れて配信をするという意味だった。
 俺が家に帰ってる間に興津さんを実家に連れて行ったんだろう。

「なんで?」
 意味がわからない。
「やっと聞くか。まあ、聞いてこないとは思ったし、それが穣介らしいとも思ってたんだけどな」
 よく分からないをごちゃごちゃと言っている。
「実は、穣介が家に帰った後、俺は積木ちゃんと会った。一応連絡を入れてみたんだ。んであの駅前のコーヒーショップ。穣介とあったあそこな。そこで話したんだよ。そしたら、なんか様子がおかしくってさ。んで実家に保護した」
 途中までは流れがわかるんだけど、実家に保護という部分が少し理解しづらい。
「様子がおかしくてなんで実家っすか?」
「一人にして置いたらやばそうだったってことだ。まあ、直接会ってみればわかるかもな」
 バスを乗り歩いて三十分くらいで蛍太さんの実家に着いた。こんな近いなら一人暮らしなんてしなくてもいいと思うけど、蛍太さん曰くこれは修行なんだという。ふーん。
 蛍太さんの実家はまあでかい。3LDK。平家だ。駐車場もついてて小さい庭もある。そこで女性が花に水をあげていた。伏せていて顔が見えない。
 黒いワンピースに身を包んでいる。とても細い体で金髪の髪の毛だけがやけに目立つ。
 花に水を上げ終わり、顔を上げた。目の下にはクマがくっきりとある。別にクマがあるのは全然構わない。疲れれば誰だって出るわけだし、元々そういう顔でも全くもっておかしくない。
 それから、やつれていた。
 蛍太さんの妹か姉か、と思いながら見ていると、それが見知った人であることにだんだん気がついた。
 興津魅桜だ。確かにあの姿を見たら一人にしておけない。

 蛍太さんの家にお邪魔する。玄関は蛍太さんと俺の二人が入っても余裕がある。広い。蛍太さんが靴をしまう。その収納には、革靴のようなシックなものばかりだが一つだけリボンのついた赤い靴があった。おそらく興津さんのものだろう。
 その先の玄関ホールはとても整然としている。
「ただいまー」
 そう言いながら廊下を進む蛍太さんに着いて行く。
 廊下には扉が六つほどあって、その全てに標識のようなものがかけてある。トイレだったり、収納だったり。ふと、蛍太さんのパソコンの画面を見たときのことを思い出した。フォルダの分け方がとても綺麗で、こういう家庭の影響を感じたからだ。
 一番奥の扉を開けると、リビングに出た。キッチンがついている。そして開放的だ。二部屋分あるだろう。窓の向こうにはボーッと立っている興津さんが見える。
「いらっしゃい。大島くんはピーマン食べられる?」
 後ろから声をかけられる。多分、蛍太さんの母だ。エプロンを着て料理を作っている。その下はかなり肩を出した服装で、気を抜いて見ていると裸にエプロンを着ているのかと勘違いする。いや、積極的に勘違いしようとしている部分もあるが。
「お邪魔します。大島穣介です。ピーマン食べられますよ」
「なら良かった。正直ほとんど料理出来上がっちゃってるから。今更変えられないからねー。じゃあもうちょい待ってて」
 そう言って窓を開けて外に行った。
「ったく、少しは落ち着かせて欲しいよな」
 蛍太さんが呟く。俺は料理が気になってキッチンに足を運んだ。
「青椒肉絲ですね。美味しそう」
「母ちゃんに言ってやってくれよ」
 窓の向こうで興津さんが手を引かれていた。もうすぐここにやってくる。なんて言葉をかければいいの考えていると、ものすごく緊張してきた。深呼吸をしてみる。青椒肉絲の匂いが胸いっぱいに広がった。
 興津さんがなぜあそこまで憔悴しているのか。コメントで言われたことを気にしてるんだろうけど、そこまで気にするのは変な気がする。だから俺はあんなコメント気にするなって、そう興津さんに伝えるしかない。
「こんにちは、二人とも」
 真っ黒なワンピースは喪服のようだと思った。靴下も真っ黒で、太腿が妙に白く生々しい。
「お、おはようね。興津さん……」
 何か言おうとするが、この距離で興津さんと面と向かって見て、その元気のなさを目の当たりにして、わざわざあのときのコメントのことを思い出すようなことを言うべきではないと気がついた。
「おっす。腹減ってるか?」
 俺が興津さんを目の前にしてやっと気がついたことなんてとっくに蛍太さんは気がついていたようで、当たり障りのない普段の言葉を投げかけていた。
「はい。いい匂いがしますね」
 いつもの興津さんなら、笑いながら言うのだろう。無表情がとても冷たく感じる。
 ちょうど四人が座れるテーブルにつき、食事が始まる。
 チャカチャカと箸が食器にぶつかる。結構みんな腹が減ってたのか、最初は口数が少なくひたすら食べる。もちろん俺もだ。
 なんせ青椒肉絲が美味い。それと副菜的に置かれてるポテトサラダがまた美味い。狙っているのか塩っぽい青椒肉絲を食べて、少し口の中が飽和したところに、冷たくてシャキシャキの胡瓜のスライスが入ったポテトサラダがさっぱりと入ってきて、箸を動かす手が止まらない。
「蛍太さん、これすごい美味しいっすね」
 ある程度満足に食べた後、やっと俺は口を開くことができた。蛍太さんの母に直接言うのはなんとなく恥ずかしかったから、まずはその息子である蛍太さんで様子見をする。
「ってよ。母ちゃん」
「ふふ。大島くんだっけ? いいセンスしてるんじゃない」
「センスって、関係ありますかね?」
「あれな。母ちゃんが言ってるセンスってのは少し違うからな。えっと、経験とか、生活習慣とか、そう言うのをまとめてセンスっていってんだよ。伝わるか?」
「なんとなく、わかったような気がします」
 蛍太さんの母は俺が理解してもしなくてもどっちでも良さそうな感じで、センスよセンスと言っている。

 食事は意外にも充実していた。喋り声は絶えず、変に緊張もしないですんだ。蛍太さんの母が率先して笑ってくれたおかげだろう。ただ、食事中に興津さんの声は聞くことがなかった。相槌さえもない。
 興津さんはほとんどの時間を庭で過ごしていた。
「結構戻ってきたんだよ。あれでもな」
 蛍太さん曰く、実家に来て初日の興津さんの精神はとても不安定で、夜に来てから翌日の夕方。蛍太さんが自分の家に戻るまでの間、泣くことと怒ることと、何かに祈ることに費やしていたらしい。
 そのあとは蛍太さんの母が看病を続けていたようだが、どうやら、真夜中まで同じことを繰り返していて、見かねて睡眠薬を飲み物に混ぜて無理やり寝かせたらしい。
 昨日の昼に目が覚めてからは今みたいな落ち着いた様子になってくれたのだと蛍太さんの母は笑って言っていた。
「うん、人間って案外壊れないものよ。周りの人間がしっかりしてればね。全人類が同時に落ち込むなんてあり得ないじゃない。それって、支え合うためだと私は思ってるからね。ほら、支え合いましょう」
 俺は掃除機を手渡される。蛍太さんは洗濯物を取り込んでいるらしい。蛍太さんの母はもう夜ご飯の仕込みをしていた。コツコツと野菜を切る音が聞こえる。
 やることが終わり、庭に出た。蜂が飛んでいることに気がつく。
 警戒していたが、ミツバチはこっちから攻撃しない限り刺してくることはないと蛍太さんの母が教えてくれる。ミツバチは毒針を刺すと死んでしまうらしい。命を犠牲にして繰り出す最終手段ってことだ。
 日が落ちてきて、強い西日が射す。それからあっという間に暗くなった。オレンジ色の光の中でくっきりと浮き出していた興津さんは、いつの間にか闇に溶けていた。真っ白な太腿と顔だけが浮いているようにも見える。
「おいおい、なにぼーっとしてるんだよ穣介。夜飯の準備だぜ」
「え、なんですかそれ」
「火、起こすぜ」
 炭と書かれた段ボールを両手で担いだ蛍太さんが庭に出る。俺も道具を出すのを手伝った。炭を焼くためのコンロ、着火剤、ライター、小枝、その他諸々。
 蛍太さんは慣れているのか、淡々と炭を乗っけていく。俺もそれを手伝った。
「穣介ありがとうな。けど、これ適当に置いてるわけじゃないんだよ。空気が通りやすいようにしてるん。頼むぜ」
「ひぇー。めっちゃ頭使ってるじゃないですか」
「穣介って、見た目んわりに適当な。面白いからいいんだけど」
 俺は自分の面白さに感謝しつつ、注意深く炭を置いた。うん、上出来だろう。
 それからチューブの中からゲル状の着火剤を出し、炭と小枝に満遍なくつけた。ライターで蛍太さんが火を付ける。ボッ、と音がして蛍太さんの険しい顔が照らされた。
 それから俺は言われるがままに団扇を扇いだり小枝をくべたりして、炭に火が定着するのを手伝った。
 パチパチと音が鳴り、小さな火の粉が舞う。コンロの周りには椅子が四つ。そして四人とも腰掛けていた。興津さんの顔が赤い光に照らされる。
 網の上で串に刺した肉と野菜を豪快に焼き、豪快に食べる。濃いタレにつけて食べる串は満足感がすごい。たまに炭を足し、いつの間にか食事は終わっていた。思えば、昼飯が少し遅かったせいもあってあまり食べていない。
「ふう。じゃあ私はお風呂入っちゃうから。あとは勝手にしといてね」
 蛍太さんの母が席を立って家に入っていった。
 俺は二人のことを観察した。蛍太さんは空を見ながら炭酸をたまに飲んでいる。興津さんはじっと炭を見つめていて、顔が真っ赤に照らされている。
 わずかに、ほんのわずかに、興津さんの表情に普段のゆったりとした柔らかい雰囲気が見えた気がした。
 火がそうさせるのだろうか。俺も見てみる。確かに、音も相まって気分が落ち着いてくる。もしくは、極度の集中状態になっているのかもしれない。
 闇の中に浮かぶ火の明かりだけが世界の全てのように思えた。不規則になる炭が爆ぜる音に規則性を探そうとするのも、集中するのに一役買っている。
 それ以外のことは、ゆっくりと頭の中を流れていた。普段なら気がつかない自分の感情や人に対しての想いや、空気の匂いが、断片的に現れては消える。
 いま、興津さんはどんなことを考えてるんだろうか。
 そんなことを考えてながら、眠気に襲われる。夜風が気持ちいい。隣を見てみると蛍太さんも目をつぶっている。俺もそのまま寝てしまうことにした。

 汗が冷え始めた。ベタつきと寒さで目が覚める。一体どれくらい眠ってたのだろう。あたりは薄明るくなっていた。きっとまだ火が上ってすぐくらいだろう。コンロにはまだ火が轟々と燃えていた。
 なぜ?
 むしろ眠る前よりも激しく燃えている。音もすごい。その火の向こうに興津さんが見えた。薄明かりに照らされて幽霊のように透き通っているようにも見える。
「……」
 目が合った。
「起きたんですね」
「えっと、おはよう。何してるの?」
「私、やっと気がつきました」
「何に?」
 と聞いたのだけど、多分聞こえていたはずだ。だけど興津さんは足早に家の中に入ってしまった。隣は空席。蛍太さんも家の中に入ったのか。俺のことも起こしてくれればいいのに。
 伸びをして立ち上がる。住宅街ではあるが、自然を感じさせる清々しい感じがした。道路を挟んだ向かいの家の庭で、早起きな老夫婦が庭の手入れをしていた。軽く会釈する。老夫婦は軽く微笑むと、淡々と自分の作業に戻った。
 周りの家、全て庭が広い。家と家の間隔は広く取られていて、窮屈な感じがしない。さっきの老夫婦の身なりと雰囲気といい、ゆったりとしていて、ここら辺は金持ちが住んでるっぽいと俺は判断を下す。まあ、下したところで罪も罰もないのだが。
「起きたのか。あれ? 積木ちゃんは?」
「なにかに気がついて家の中に入りましたよ。ってか、シャワー浴びたんですか?」
 首からタオルをかけ、濡れた髪の毛を拭いている。ラベンダーの匂いがした。
「さっぱりした。穣介も入れば」
「お言葉に甘えさせてもらいます」
 服や髪に炭と脂の匂いがこびりついているのが自分でも分かっていた。すぐにでもシャワーを浴びたい。ちなみに俺は人の家のシャワーを平気で浴びれる人間だ。
 着替え場に入ると興津さんと鉢合わせた。服は、当然着ている。収納の中から何かを探しているらしい。
「何か探してるの? 時間かかりそう?」
「いや、もう大丈夫です」
 そう言って、手にくたびれたジャケットやらシャツを持って出ていった。
 俺は興津さんが出ていくのを確認してから、部屋に鍵をかけて熱いシャワーを浴びる。変に目が冴えた。
 ような気がしたが、浴室から出てひんやりとするフローリングに寝そべってみると間も無く眠ってしまった。

 蒸し暑さで目が覚める。喉がものすごく乾いていた。喉の内側が全てくっついて閉じているような錯覚に陥りパニックを起こしながた水道水を飲んだ。
「お、水道水直飲みなんて日本以外じゃヤバイぜ」
 なぜかスーツを着ている蛍太さんが笑いながらいった。しかもワインレッド、であってるのだろうか、赤紫のスーツに黒いシャツとあしらっている。少し色の抜けた青髪がやけに似合っている。実に、近寄りたくない感じだ。
「その格好、どうしたんですか?」
「家にあった」
「あ、あー。そうなんですか」
 なんか、聞きたいことに答えてくれないな。まあ、寝起きで目覚めも悪かった俺はあまり追求せず、また水道水を口に含んだ。カルキの匂いがきつい。
「蛍太さんのお母さんはどこ行ったんです?」
「買い物」
「興津さんは?」
「部屋」
「何してるんですかね」
 どこから取り出したのか、蛍太さんはサングラスを掛けていた。鼻に書けるようにサングラスを落とすと、その隙間から目を覗かせて一言、
「服を作ってる」
 サングラスを元の位置までキザっぽく戻すと、その動きの流れを切らすことなく、置いてあったぶどうを一房口に含んだ。俺もつられて食べてみる。種があることに気がつかず歯を痛めた。
「痛てっ。なんですかこれ。種ありって逆に珍しくないっすか?」
「本来は種があるのが普通だろ。種がなくて美味いところだけなんて健全じゃねえよ」
 蛍太さんは口の中の種を直接ゴミ箱に飛ばした。吹き矢で将軍を暗殺する忍者が思い浮かぶ。
 俺もやってみたいと思ったが、種は口の中で粉々になっているからティッシュに丸めて捨てた。

 捨てられたあの赤ちゃんは孤独なはずのゴミ捨て場から、インターネットを通じて世界に発信された。発信したのは俺たちで、そうして一躍有名になりかけている。
「健全じゃないよな」
「ですね」
 二人でパソコンの画面にかぶりつく。蛍太さんの母のノートパソコンだ。ごちゃごちゃとシールやデコレーションが施されていて、ずいぶんと邪魔だ。
 蛍太さんの母の仕事部屋にはデスクトップパソコンが置いてある。日常系のエッセイ漫画を描いて収入を得ているらしく、画面に専用のペンで絵を描くことができる専用の機材が整然として置いてあった。私用のパソコンがごちゃごちゃしてるのはその反動なのだろうか。色々とストレスが溜まる仕事なのかもしれない。
「これ[積木ちゃん、かわいそうだよな]だって。んでこの人のコメントを遡ってみてみると、ゴミ捨て場でのことで初めて積木ちゃんのこと知ったらしいんだよ。なにを知ったつもりになってるんだろうね。全く」
 ゴミ捨て場での一件以来、俺たちのことを知る人は圧倒的に増えた。その前の青姦配信の再生数も伸びていたから、やはり俺たちの配信を見に来ている人がいると言うことだろう。
「まあ、でも人気者になったはなったってことですよね。捉えようによってはいい部分もあるんじゃないでしょうか?」
「そうだな。俺もそう割り切れる。けど、積木ちゃんはそうもいかないみたいだけど」
「なにをそんな神経質になってるんですかね。まあいいんですけど」
「全然良くないぜ。穣介。他人事じゃないんだ」
「ま、まあ、確かに他人とはもう言えませんけどね……」
 蛍太さんはニヤニヤと俺を見ている。その真意がわからない。
「なに見てるんですか!」
「いや、お前、結構可愛い顔してるなって思ってな」
「え、ちょっ、ちょっとまっ」
 蛍太さんが俺に迫って来ている。嘘だろ? あまりの展開におれ、ついていけないよ!
 思わず目を瞑った。学生時代もボールが飛んできたりすると目を閉じてしまってたな。本当は見て避けなくちゃいけないのに。怖くてどうしても目を瞑ってしまう。
 ピッ
 ん? カメラの音?
「え?」
 目の前にはカメラを構えている蛍太さんがいた。
「うわ。音、出るのかよ。ここからが面白いところだったのに」
「撮ったんですか?」
「覚悟を決めた顔をしてるように見えたから記念にな」
「決めてないっすよ!」
 全く、何を言ってるんだか。いかん、蛍太さんが変なことを言うから、妙に唇を見てしまう。感想は、いや、そんなことは考えないようにしよう。
「とにかく、おきづっちには、早く立ち直ってもらわにゃならんな」
 それは俺だって思う。そういえば、アルハレからも心配だと連絡が来ていた。アルハレと俺の意見は同じだった。きっと、時間が解決してくれる。

 夕方になると興津さんが部屋からでてきて、その手には子供が着るサイズの服を持っていた。
「私、今日もバーベキュー がいいです」
 昨日の油臭さを身に纏ったままで、さらに肉を焼きたいと言う。そんなお興津さんを蛍太さんの母はニコニコして見ていた。なんとなく、普通な感じに戻ったのが嬉しいらしい。
 蛍太さんと俺はすぐにバーベキューの準備を始める。準備とは言っても道具は庭に出しっぱなしだし、食材を準備するくらいしかやることはない。
 足りない具材は蛍太さんの母がスーパーまで買いに行ってくれている。興津さんはちゃっかりとお風呂に入り、さっぱりとしている。また、黒いワンピースを着ているけど、油のニオイがないから、別の服なんだろう。少しだけサイズ感が変わっている気もする。
 そうして、蛍太さんの実家での二度目の夕食になった。昨日より少し野菜よりになっているのは気のせいではないだろう。二日連続で肉ばかり食うのは負担だ。
 最後には焼きそばを食べ、昨日よりも簡単に食事が終わった。
 食後、昨日と同じようにボーッと炭火を見ていると、やはり眠くなってくる。一度外で寝ても問題ないと身体が覚えた俺は迷うことなく眠る。おぼろげな意識の中で俺は気がついた。むしろ、外で眠ることの気持ちよさを俺は知ってしまったんだ。もう戻れない。

 肩を揺らされて目が覚める。汗は昨日と同じように冷えていた。ああ、この目覚めかたは最悪だ。眠る時は最高だったのに。思えば疲れも全然取れていない気がする。やっぱり外で寝るのはあまり良くないな。
 あたりは暗い。昨日は明け方に目が覚めたけど、今はまだ日は昇ってない。深夜らしい。
「早く起きてください。蛍太さんも!」
 蛍太さんも同じように椅子の上で寝ていた。やはり、あの気持ち良さを知ってしまったらもう戻れないんだろう。
 目の前の炭火は赤く燃え上がっている。今日も興津さんが消えないようにしていたのだろう。
「興津さん? なにしてるの?」
「これからするんですよ」
 だから何をするのか、それを答えてくれない。
 蛍太さんが目を覚ました。
「うわうわ、何? てーか頭いてー。やっぱ布団で寝るべきだったか」
 激しく共感できることを言いながら目を擦る蛍太さんは、興津さんに起こされたことを確認して一言いった。
「積木ちゃん、なにするつもり?」
 興津さんはコンロを挟んだ向こう側に立つ。椅子の上から家で作っていた子供用の服を手に取るとそれを掲げた。
「私、聞いたことがるんです。亡くなった人は煙を食べるって。詳しいことはわからないんですけどね。とにかく、私たちであの赤ちゃんに何かを送らなくちゃいけないと思うんです。だから、これから行うのは葬儀であって、儀式であって、けじめなんです」
 俺も蛍太さんも黙って聞いていた。興津さんは火に照らされていて妙に神々しい。それは表情のせいだろう。本当に、覚悟を決めている、真剣な眼差しだった。
 興津さんは意志の強い人なんだと、この時に気がついた。解決が困難な出来事になんとか落とし所を見つけることは、何かを諦めることが必要で、それは決して簡単ではない。
「私がこの服を燃やしたら、みんなで目を瞑って黙祷しましょう。そして、祈りましょう。何に祈ってもいいんです。私は、あの赤ちゃんと、捨てた親と、私自身に」
 子供の服が赤い木炭を包み、一瞬あたりが暗くなる。俺は目を瞑った。まぶた越しに火が燃え上がるのがわかった。ちりちりと音がする。
 いったい、何に祈ればいいのだろうか。別に、形式だけ祈るフリをすればそれでいい。けど、祈るべきことがある気がする。
 蛍太さんはなにを祈るのだろうか。案外、祈るフリだけをしてそうな気もする。なんかこう、手の抜き方を知ってるタイプだと思うし。
 ふと、アルハレが思い浮かんだ。アルハレはどう思っているんだろうか。この儀式に参加したかったんじゃないだろうか。けど、何処に住んでるのかも、顔すらも知らない。
 他にも、視聴者たちはどうだろうか。偶然、俺たちのあのゴミ捨て場での配信を見てしまった人達。
 彼らの中にも傷ついた人がいるだろう。その傷は癒すことができたのだろうか。
 自然とそんな人たちのことを思い浮かべていた。俺は、出会ったことのない視聴者たちに祈っていた。

「はい、これで終わりです」
 興津さんの掛け声で目を開ける。塵になった服が舞っていて目を細めた。
 興津さんはスッキリとした表情で、スタスタと家の中に入って行った。逆にこっちはさっきの儀式からそんな簡単に気持ちを切り替えられずにいる。
「あの、蛍太さんはなにか祈りましたか?」
「ああ、ちゃんと祈ったぜ。俺たちのこと」
「俺たち、ですか」
 蛍太さんは返事もせずに家に帰った。二人とも自由なのは良いけど、全然片付けてない。
 仕方なく片付けてから俺も家に入った。
 家の中の明るさで軽く頭痛がする。リビングの椅子に蛍太さんが座ってコーラを飲んでいた。
「積木ちゃんが風呂から出たら発表があるから座って待つべし」
「え、なんですかその言葉遣い」
「待つべし」
「……はい」
 黙って待つ以外の選択肢はなさそうだ。蛍太さんと出会ってまだ期間は短いが、そういう人なのは薄々感づいている。てか、発表ってなんだ? あの言葉遣いのせいで肝心な所を聞きそびれてしまった。もしかすると俺の気を逸らせる為の作戦だったのかもしれない。
 俺は冷蔵庫に入っていたエナジードリンクを頂戴する。蛍太さんは何も言わない。飲んでいいということだろう。
 本当は一気に飲み干したいところ。が、飲み物がないとなんとなく気まずくなる気がして、ちびちびと飲む。こうやって飲むエナジードリンクは本当に旨くない。
 そうやって缶の中身が三分の一くらいになった時、興津さんが風呂から出てきた。
「さっぱりしました」
 それから冷蔵尾からコーラを取り出して飲んでいる。
「積木ちゃん、集合だ。発表があるぞ」
 興津さんは不思議そうに頭を傾けてから、蛍太さんの隣に座った。
「さて、みんな集まったかな」
 この三人がみんなで合っているのかどうか、それは蛍太さんにしか分からないことだ。
「うん。集まってるな。じゃあ、発表だ」
 いったいなんだ? 蛍太さんがわざとらしくネクタイを締め直した。なぜか緊張する。
「いいか。これより、正式に俺たち三人。つまり、俺、佐藤蛍太と、大島穣介、興津魅桜のことだ。この三人で配信活動をすることにする。いや、したいと思う。嫌な奴は挙手」
 突然の宣言に困惑するしかなかった。三人でグループを組んで配信をする。ただ、今までとやることは変わらないと思ったし、俺は無職で時間がある。別に挙手をしるほど嫌じゃない。
 なんて思っていたが、興津さんは勢いよく手を挙げた。
「はい、積木ちゃん!」
「リーダーは誰ですか?」
 なるほど。興津さんはそもそも生配信をしていたわけで、やるのは当然くらいの気持ちらしい。
「蛍太さんが良いんじゃないですかね?」
 俺が言うと蛍太さんに即答で却下された。
「いや、リーダーは穣介、お前だ」
「おー、おめでとうございます〜!」
 実は、こうなる気がしていた。ちなみに蛍太さんの言葉だけならまだ巻き返せるチャンスはあったんだ。けど、問題は興津さん。打ち合わせ済みかと思わせるほどのノンタイムで簡潔な祝辞を述べた。その時点で俺の負けなのだ。
「あ、あ……」
 小さくお辞儀をしてしまう。でも、まあ、リーダーとは言ってもね。大したことをするわけじゃないだろう。
「じゃあリーダー。今後の配信での全責任をになってもらうからな! よし、今日は解散!」
「え? 責任ってなんですか?」
 呟いた言葉は誰にも届かなかった。もしくはみんな疲れていて返事をする気がなかったのか。あるいは、これから活動していく仲間に対してこんな感情を抱くのは良くないのかもしれないが、話し合うつもりがなかったのか。
 とりあえず、今日は眠ることにした。時計をやっと見てみる。午前三時半。この時期はすぐに明るくなる。暗いうちに眠ろう。
 けど、なかなか眠りにつくことができなかった。配信者の責任って、なんだろう。それがぐるぐると回った。

鳥居ぴぴき 1994年5月17日生まれ 思いつきで、文章書いてます。